白い波で荒野が

Jul 22,2011

なんと申しましょうか、ウエブサイト。

だらだらと駄文を書き散らすのに、わたしの場合だとレイアウトに腐心しつつHTML文法に気を配ったりなんかして、軽い動作でサクサクと閲覧できることにこだわることが自分流のスタイルだっ、と信じてやってきてはおるのですが、世の中はずいぶん変わりました。。現代では家庭ユースパソコンとネットワークのハイスペック化で、もはや何でもアリの世の中ですね。例えば中学生が携帯電話で撮影したクラスメートを虐める動画を自らYouTubeにアップロードすることができるに至っているし、入力操作が煩雑な割りには制約が多く、そのくせ余計な機能を省くことはできないのに全体の動作が鈍いとわたしが感じるブログという仕組みが、ごくありきたりの簡便なものであったりするのか、個人運営サイトの主流になってしますね。もしかしたらTwitterだけでもうまくすれば要件が整うんじゃないかとも思ったりしています。深く考えなくても腕が無くても言語入力さえすればカタチは用意されてあるのですよ、今は。米を洗わなくても水を注いでスイッチ押せばメシが炊ける世の中と同じですよ。

そういや先日、炊飯器用の電源を標準装備した電気自動車なるものが発表されました。もうすぐです。携帯電話で掃除と炊飯ができる夢のような世の中がきっとやってきます。

世の中が変わるといえばテレビの受信方式。我が家では以前からケーブルテレビ会社と契約して利用してきましたが、その会社が時々新聞に折り込んでいるチラシの記事を読んだところ「2015年までは政府からの依頼により、CATV回線でデジタル放送をアナログ変換したものを提供しますのでヨロシク」みたいな内容があったので、地デジ導入を2011年の6月時点で見送ることが決定しました。これでブラウン管テレビを廃棄しないですむことになりました。「どうして動くものを捨てて新しいものをわざわざ買わないとならんのだ」的エコロジー観点からは当然のことです。こうしてどんどん我が家は時代から取り残されていきます。ガラパゴスってやつですかね。

ま、地デジ導入で振り回されたり踊らされたりしたこの現代も後年のいつか、皇太子さま御成婚で一般家庭にテレビが普及、なんてニュースソースと並列化される日がくるのでしょう。

自然災害でも世の中は変わる、というのをわたしがその身をもって体験したのは今を去ること7年前のことです。その夏に襲来した台風19号でW1S-Aとシルクロードを格納していた共同ガレージが海水に沈んだのはわたしの記憶にはまだ新しく、わたしの心はずいぶん長い間へし折れてへちゃげたままでいました。被害にあったのがオートバイだけなんだからまだマシでしょ、という声もあるけれど、いろいろなことがあっていろいろなことを考えているうち、わたしの行動とか拙サイトの作風とか諸々のことが、ずいぶんと変化したなあと振り返ってみて感じます。変わらないものももちろんあります。断れない、捨てられない、離れられない。それから「自分でイジることができないオートバイは買わない」たしかに現代のオートバイに興味が湧かないこともありますし、支払う金額の大きさに眩暈すら覚えるというのも確かなことだったりするわけですが、一方で、もしもプレゼントして貰えるんだったらハーレーでもドカでもトラでも、それから勉強したり工具を揃えたりする覚悟はあるしそうすることが矜持だなんて思ったりします。「自分でイジることができないオートバイは買わない」なんてことを申しておりますがその本意は「タダで手に入れたバイクを独力で修理して乗ることのみを許し、それこそがわたしのバイクライフなのだ」ということです。

いつものように前置きが長くなりました。タダで手に入れたバイクのお話、いつもながらのクドいトーンで綴り始めたいと思います。

先頃共同ガレージを総意のもと解散することになりました。罹災以来わたしのココロの懸案事項というか先送りにしっぱなしのオブジェクトがガレージの中で累々としていましたので、なんとか整理をつけるべく始末をするべきものは捨て、これから手をつけることが可能なものは整理して自宅に持ち帰ってみるという行為を繰り返すうち、ガレージの中には初期型SR400と二型のSR400、それからXT125の三台のみが残る状態になっていました。この三台ともがあの夜W1S-Aといっしょに海から迫り来る白い波に襲われた水没車で、当時すでに何年かガレージで眠っていたと表現するのがよいのか塩漬けになっていまして、さらに「潮浸け」状態に追い込まれたわけです。あのときシルクルードやW1S-Aをわたしが水道水で洗浄した際、この三台も同じレベルで洗ってやってはみたものの、その将来の動向はオーナーさん次第でわたしが案じるべきことでもないのであくまでも応急処置の洗浄と軽い油脂供給に作業を留めた記憶があります。

ガレージ解散の日付が近づいてきました。そして過ぎ去りました。いろいろありまして三台のヤマハのオートバイは、師匠先生からお借りしたスバル・サンバートラックの荷台に乗せられてわたしの家に運び込まれました。三台の処分を依頼される流れになったのですが、残念なことに三台とも、書類も鍵もオーナーの家のどこかに仕舞い込んだきりどこにあるのかすぐ簡単には見つからない状態のようです。まとめると「塩漬け」「潮浸け」「書類無」「鍵無」という状態。もしもこの三台の中にXT125が含まれていなかったら「まとめて三台処分のお手伝いしますよ」などとゲンキンな発言も起きなかったろうと思います。原付2種125佞箸いΦ格にたいへんな魅力を感じたのです。「XT125って面白そう。高速道路料金の割引がいろいろとりざされているなか、原2だったら『しまなみ海道(尾道〜今治)が安いよ!』」自動二輪免許の限定解除をした以降で手に入れたオートバイで、パワーが頭打ちするまでブン回す機会はちょっと無かったわけですが、4スト125ccというスペックから想像するに、アクセル全開を楽しむことができそうな気もして、それもまた良きかな、と。

ヤマハXT125

むかしむかしヤマハにはツーサイクルの傑作オフロードバイクがいろいろありました。360佞RT、250のDT、125のATとか。いつから記号で排気量を表現しなくなったのかはすっかり失念していますが、学生時代のわたしのお気に入りとして活躍してくれたのが空冷最終型のDT125。下駄としては少しもてあますパワフルさで、剣山スーパー林道に通いつめたリアショックがモノサスで黄色いタンクのDT125。ハタチの頃に名古屋まで行ったツーリングで、途中の和歌山を50km/hくらいの速度で流していたら、白バイ二台に追尾されて囲まれて制圧されたことを今でも懐かしく思い出します。「はい、そこの黄色いオートバイ。とまりなさーい」なんて具合でした。 現在はどうなのか存じませんが、昭和60年当時の和歌山市の50ccはピンク色のナンバープレートだったようで、ピンクナンバー車両が法定速度を超過していたら摘発したくなるのも不思議はないところなのです。「他県の、あるいは一般的なナンバー事情とか白い三角マークを認識したうえで停めてくださいね」と嫌味を言ったところで、シリンダーブロックの刻印を確認するまで開放してもらえなかった記憶があります。

ややこしいのが学生時代の同じ下宿に和歌山出身のやつがいて、浪人時代から使っていたというシルバーのMR50を高松に持ってきてピンク色の和歌山ナンバーのまま乗っていたのですね。そいつがまた不思議な心優しさというか気弱さのある人物で、強要されたら断れないという性格だったもんで、相手が無免許だとわかっていても貸せと言われたらキーを渡してしまう人でした。

1983年当時、原付一種50ccはヘルメット着用義務になる直前でして「ヘルメットなんぞ被って50佞離殴鵐船礇蠅鯏召してたら高校生と間違えられたりして却って摘発されやすいぜ」なんてことを無免許ジャイアン君はうそぶいていたものです。ピンク色のナンバーを付けたMR50をノーヘルで乗ったら、いくら本人が法定速度を守っていようがヘルメットを着用していないことの正当性を主張しようが、いくら法学部の学生で司法試験を目指していようが、白バイ警官に免許提示を求められたら言い逃れはできません。 「オレどうしよう。無免許運転で二回つかまったぜ」

大学生といってもわたしを含めバカばかりでした。どうして短期間で何度も検挙されたのかその理由を彼が理解できていないという点で、君は法曹界には向かうべきではなさそうだね、という提案だけはしておきました。

話題を戻しまして、大学生時代にわたしが乗っていたDT125は最終型の空冷式でしたが、先輩に無理を言ってときどきお借りしたDT125LCのパワフルさ加減には目を剥いたものです。水冷エンジンのアクセル開けるのが怖かったですもん。その水冷式DT125LCが世に出た1982年にXT125も発売されました。このエンジンは数年後にスケールアップしてセロー225に積まれ、さらに熟成を重ねたことはご存知の通りで、長命のエンジンとして知られています。XT125のエンジンはたしかSR125のエンジンの改良版だったような気がしますが、足回りなど車体構成を考えるなら、XT125こそがセローそれからTWとかAGの起源であると言い張っても無理はないところでしょう。

セロー225って良いですよね。所有したことはないですけど大好きなオートバイです。初代セローを買ったばかりの友人にちょっと乗せてねとまたがった時の感激は忘れられないものがあります。ツノに枝があるやつで。 「うわあ。扱いやすい〜。ウイリーしやすいしそのまま距離走れるしジャックナイフも、それなりにキマるし〜」

じゃあセローに乗ればいいじゃん、という声もありましたけど誰もプレゼントしてくれそうにない中でその日が来るのをじっと待ち続けておりました。買うなんていう行動は一番慎むべきことであると本気で思っていて、あー、けっこう街でゴロゴロ走っているのにウチにやって来ないなあ、とぼんやりしているうちにセローは250ccの新設計エンジンを積んだ別のオートバイになってしまいましたね。バイバイ、セロー。

こうして20年以上の長きにわたって待ち続けてきた甲斐あって「セローの起源」XT125の不動車がプレゼントされる運びとなったのですが、師匠先生からお借りしたスバル・サンバートラックの荷台に載せるのにあたって障害が二つ。白い波に襲われた影響で問題が続発しました。まずは前輪ブレーキが固着、それから空気圧の不足。持参の工具で前輪をメンテして、同様に持参していたエアコンプレッサで前後ホイールにエアをいれてみたところ、ぶくぶくとバルブ口金から水泡が噴き出してきたのには悲しくなりました。いろいろ覚悟の上で舐めてみたところ、速攻で塩分と錆びの味が味蕾に襲い掛かったもんで慌てて水筒のお茶でウガイしながら考察しました。「何年も内部で海水漬けになっているから鉄リムはダメージがあるだろうなあ」 しばらく休憩したのち作業再開。空気圧がだいたい適正なら、押すのにも荷台に載せるのも軽い軽い。あとで調べると乾燥で100kgを下回るそうで、それも道理ですね。

トランポから降ろしてすぐ全体をエアブロウ。土ぼこりをおおまかに払ってから廃油受けを用意してエンジンオイルを抜いてみました。エンジンオイルは浅煎りコーヒーの色で、カフェオレのように白濁してないから海水は混じっていないと判断してもいいと思いました。それからサイドカバーを剥いでエアクリーナーの蓋を取ると内部へ泥の浸入などはなく乾いていました。スロットルは固着していたしキャブレターの中身はべとべとした物体が占めていましたけれど再稼動までの難易度はそれほど高くなさそうだと思いました。錆びとか粉吹きで使いものにならないのは前後ホイールくらいかな。

レストアというか掃除と表現するのが妥当なのか、いつもの何度も通った手順を踏んでキャブレターとエアクリーナ、フュエルタンクをひとまず使用に耐えられるだけの状態に戻すことにします。キャブレターは洗浄液にドブ漬け、タンクは中身を抜き取って中性洗剤でガシガシ洗ったあと、通称「花咲G」(5回目の再使用水溶液)を70度Cに温めたものを注いでしばし静かに待つことになります。

バッテリーをケースから取り出すと6Vと書いてあります。
「あー6Vかー、仕事が増えちまったぞー」

以前にやった「エルシノア12V化作戦」を実行したときに見せてもらった師匠先生の在庫部品のなかに「セル付きセロー」と黒マジックで書かれたジェネレータ・カバーがあったことを図々しくも記憶していました。確か単相交流のチャージコイルが付いていたはずでローターは対になっていなくて。

「師匠先生。セローのチャージコイルを譲ってください」
「お、いいところに来たねぇ♪ 来たついでに、これをああしてこうして・・・(以下割愛)」

予想した通り、チャージコイルは同じタイプで、両端から白黒の線、中ほどから黄色と全部で三本の線で構成されていまして、銅線が細くて巻き数が多めのものが12V仕様ということのようです。

そのセル付セローのものとチャージコイルを入れ替えた後にオイルと燃料をセットしてエンジンを始動してみたらルルルルと非常に滑らか。ここでスロットルを煽ることはせずに、これから構築しようとしている電装12V化に向けて発電コイルから出ている3本の線にテスタを当てようとしたところでストール。

ここからエンジンはいくらキックしても動かなくなりました。バシュッとクシャミをしたりケッチンが来たり。CDI車でこの現象ってのはどうしたものだろう。バルブに不具合でも発生した?それとも??

チェック作業を開始するわけです。このエンジン、オイルレベルはクランクケース下部あたりの覗き窓で確認するわけですがその窓がカフェオレ色になってました。つまり水が混じってしまった、ってことです。迂闊でした。クランクケース内部には、やはり海水が入っていたのです。7年の熟成を経て海水と機械油が分離してどこかに潜んでいたんですね。横着しないでせめて腰下のカバー両方を取り外してチェックするべきだったのでしょう。

さあなんとか直してみよう。サービスマニュアルなしでどこまでのことができるか。わたしの味方は、師匠先生とウェブサイト。兄弟車セローなどの台頭のおかげで充実している「いじりレポート系」ウェブサイト&ブログもなかなか参考になったりならなかったりして、立ち並ぶ情報の取捨選択という行為すら面白いものです。

いろいろ作業をしました。冗長に全部書くのも面倒なんで基本的すぎる部分とディープすぎる部分を割愛して作業記録を残しておきます。

エンジンを車体から下ろさずにヘッドを取り外そうとしたときにヘッドを固定している4本のボルトをすべて緩めましたがそのうちの3本までしか抜き取ることができません。残る1本を抜くにはどうしてもフレームが干渉してしまうのです。スイングアームピボットを残すかたちでマウントボルトを取り外してエンジンを僅かに前傾させる必要がありました。セローではどうなのかはわかりませんが、少なくともXT125(17T)はそういうものでした。

オーバーホール後の排気バルブの組み立てには苦労しました。バルブスプリングコンプレッサーを持たないわたしにとって、いつも訪れる難作業です。メガネレンチをうまく利用できる場所がないんですよ。力が逃げるばかりで。 木片とステンレスのステーと登山用ザイルを駆使してなんとかカタチになったのは、作業が延べ2時間を超えたあたりだったでしょうか。

シリンダヘッドを組み戻す際、合わせマークに従ってカムチェーンをセットしてカムギアのボルトを締め付けようとしたのが間違いのもと。カムチェーンをセットできたら即チェーンテンショナーを締め込むべきでした。シャラリという音と共にクランクシャフト側のギアからチェーンが外れて、そればかりかチェーンテンショナーのシャフト(プッシュバーとかロッドとかっていうのかな)などがクランクケースに落下しちゃいました。

クランクケース内部に落下したチェーンテンショナーのスプリングとシャフトを救出するのに、エンジンを車体から降ろして天地逆にして振らないと出てきませんでした。このエンジンを車体に戻すのにまた難儀しました。かなりのコツが要ります。

シリンダヘッドを再び組み立てようとしたとき、針金で吊っていたカムチェーンがクランクケース内部に落ち込みました。それを救出したときクランクシャフト側のギアからチェーンが外れたみたいで、これを掛け直すのにも難儀しました。ジェネレータカバーを外しておいてシリンダヘッド側からカムチェーンに小さな結束バンドを締め付けて順に送ります。ローターとクランクケースの隙間から結束バンドのシッポが姿を見せたところでシッポを捉まえてゴチョゴチョやるとチェーンはギアに乗っかってくれます。結束バンドを再び送ってシリンダヘッド側の穴から切断摘出。

コーヒー牛乳状の白濁オイルとカーボンを除去したエンジンの始動を試みました。まだ不動です。キャブレターをもう一度疑うことにして、自信の無い箇所が一点あったので師匠先生宅にキャブ本体を持参して監修してもらいまして不動の原因がここではないと特定しました。

プラグを抜いてエンジンにアースしてスターターを蹴ると白い火花がパチと光ります。これまでどおりです。それでも電装系を疑うことにしました。圧縮も燃調もオーバーホール済でほぼ適正でしょうから。

電装系を疑うにあたって配線図を手に入れたいと思いましてウェブを彷徨ってみました。

時代が進んだことの功罪のひとつですが、たぶん配線図なんてものも著作権が発生する性質のものじゃないかなと思いつつも、探せば出てくるんじゃないかと期待して検索を繰り返しました。XT125(17T)の図面を見せてくださる危篤なサイトは存在していないようですが、なんとありがたいことに各年代のセローの配線図の画像を載せているサイトがありまして、こちらを参考にしてよーく考えてみました。

CDIユニットとCDIマグネトーの配線色は、初期型セロー(型式1KT)とXT125(17T)は一致しているようです。大きな違いはXT125ではレギュレータとレクチファイアが別体式でそれに伴ってヘッドライトスイッチ周辺の回路が異なるのだろうということが推察できました。

灯火のほうは後まわしでエンジンを始動することに集中しました。メインスイッチ、キルスイッチの導通をテストしたり、プラグキャップの交換やらIGコードを1cmほど切り詰めて接続してみたり、イグニッションコイルをシルクロードのものに交換してみたりして状態の改善につながるかどうかチェックしていきました。期待するような変化がちっとも得られないまま時間は過ぎていきます。

CDIユニットをSR400のものと交換して試そうと思ったら線の数が違っているので調べたら(この場合の「調べる」は「ネットで検索」ってやつです)ピックアップに低速用と高速用があることを知って頭が痛くなったり、SR400もフラマグ点火なのは初期中期だけで(何をもって中期というのか裏付け薄し)バッテリー点火方式に変更されていることを知ったり、まあ何がきっかけになって余計な知識が増えることになるのか人生ってやつは不思議なものです。

「SRはいつからバッテリ点火になったんだー」とツイートしてみました。いくつか反響があった中、師匠先生のダイレクトなツイートによるアドバイスで一筋の光が射して来ました。「火花が出てるんだったら、CDIユニットはパンクしてないと思うよ〜♪」

ホームセンターの電材売場に立って、3パイの透明な熱収縮チューブを買い求めてきました。ジェネレータ・カバーの中にある3つのコイルから出ているすべての電線をそれぞれそのまま被覆してやろうという魂胆です。

結論を申し上げます。おそらくピックアップコイルかエキサイタコイルから伸びた電線の被覆が劣化してどこかに接触していたみたいです。プラグをアースしてスタータを蹴ると火花がバチチチチチと飛び散るではないですか。

プラグをレンチで締め込みキャップをセットしてスタータを蹴っとばすと一発で起動しました。原チャリのエンジンはこうでなきゃ使いものにはなりませんやね。

エンジンが温まるのを待ってスロットルストップスクリュとエアスクリュで軽く調整します。今度はストールしません。メインスイッチとキルスイッチの動作チェックでわざと二度止めましたが、それを除いて17Tエンジンは淡々と動作しています。

テスターを持ち出して来まして、数日前にやりたかった作業をすることにしました。セル付セロー(ウェブの受け売りによるとこれは3型らしい)のチャージコイルは12V車として使うのに充分な性能を果たすのかどうかということです。その数値は失念しましたが、そこそこ発電してくれていました。

「エンジン動きましたっ。発電量チェックしましたっ。つきまして12V単相交流対応のレギュレクチをひとつナニしてくださいっ」
「オッケー」

師匠先生から手渡されたのは3個のレギュレートレクチファイア。いずれも4系統の線が出ているタイプでヘッドライトを交流点灯させるスクーター系のものだということです。そのうち2個には型番がプリントされてあって、ひとつはホンダ・プレスカブのグリップヒーター用、もうひとつはスズキ・セピアZZに使われるものらしいことが、これまた調査の結果(ググっただけ)判明しました。

それじゃその二車の配線図でコードの色の意味合いが判別できるものをセットしようと調査を開始したら、よくわかりませんけどスズキの50ccスクーターに同系列100ccエンジンを搭載しようとするイジりサイトがバンバン出てきまして、セピアの配線図も見ることができましたのでこれ幸いとばかりレギュレートレクチファイアの配線色をヤマハ系の色に差し替えて車体にセットすることにしました。ノーマルのレクチファイアを取り外し、メインハーネスの中にあるチャージコイルから伸びた黄色の線に割り込む配線を増設して12V化の改造はヤマ場を迎えました。

12V仕様の電球はヘッドライトを除くとエルシノ庵の在庫だけで手当てできましたので全部入れ替えて、4.5Ahのスクーター用MFバッテリーをセットしました。 メインスイッチをオンにします。ニュートラルランプが点灯しました。シフトで消灯します。前後ブレーキOK、ホーンOK。でもウインカーは点滅しませんでした。フラッシャリレーを12Vに交換するのを忘れていました。こんな基本的ミスは素人が自分のために趣味でやる行為においてのみ許されることで、プロが金を貰ってやることなら万死に値することです。作業工程を管理する人間がちゃんと機能しているなら絶対に看過しないようなことです。ミスがあるのはドキュメントが無いのと手順を確認する手段がないことが原因だ、とばかりしばらく車体から離れて、現在のチェックと将来の修繕に備える配線図を作ってみることにしました。

ヘッドライト球はマツシマさんから出ているPH9なる電球を買ってくるつもりでおりました。XT125のノーマルソケットに対応したハロゲン球で、ウェブ調べではだいたい2,000円程度のものです。最寄りの南海部品に出向いてみますと、マツシマの什器にはPH9だけを除外したような陳列になっていました。そういやサイト上ではこの球を使っている車両はほとんど該当無かったなあと、他の電球のソケット形状と価格をアタマに叩き込みましてその店を出ました。別の場所にある中型クラスのホームセンターでスクーター用のハロゲン球コーナーの前に立ち、しばしの間脳内検討会議を催してみました。最後に自宅から一番近い小型ホームセンターでも同じことをやりまして、この電球が流用できるなら安価でいつでも入手することができるのになあ、という型番を二種類、特定しました。部品倉庫エルシノ庵には、先日閉鎖したガレージから運び込んだばかりのオブジェクトがいろいろと押し込まれてありますが、その中のヘッドライトコレクションのガサ入れを開始しました。XT125のヘッドライトユニットに取り付け可能なソケットが在庫に存在しているかどうか現物合わせしてみたところエルシノアのヘッドライトソケットが強引ながらもなんとか使えそうなものであることがわかりました。ではエルシノアのソケットに収まるハロゲン電球があるかどうか探してみたところ12V-35/35Wっていうなんとも都合が良いものがひとつ転がっていました。この球はロービームのフィラメントが断裂していましたが、接続確認くらいの役には立ちます。そのジャンク電球ですが、どのホームセンターでも売っていたのと同じタイプでした。これがうまくいけば12V化させた甲斐があるというものです。

ヘッドライトおよびテールライトのテストが完了しました。あとは登録と保険加入で公道走行できます。コラムの冒頭あたりで、書類無し鍵無しの水没車(しかも海水)と記しましたが、自分では絶対できないコトということで、鍵の再生と書類の復活は、しかるべき方面に処理をお願いして、それぞれを合法的に実現してもらっていました。その方法は詳しく書きませんけど法律にも公序良俗にも触れることはありません。

このXT125、リアフェンダーとシートの境目あたりに小物入れがあって、その蓋がチギれかかっていました。もともとの固定用リベットをドリルで揉んで取り外し、その部品と蓋部分を白い帆布をテープ状にしたもので再接続して再びリアフェンダーにリベット止めしてみました。

リアブレーキパネルのアームは下向きから上向きに付替えました。ブレーキロッドのリターンスプリングを引っ掛けるための輪が、アームが上向きだとスプリングに届かなくなったので、百円均一ショップで手に入れたステンレスホースバンドをスイングアームに巻きつけ、これにリターンスプリングを掛けました。

クラッチレバーを在庫のショートタイプのものと交換して、レバーホルダーを可能な限り右に寄せてセットしました。取り付け角度は好みでやや起こし気味の「鬼」状態にしてあります。エンジンを始動してクラッチが左手の人差し指一本で楽に操作できるポイントを探ります。試しにそのつもりでクラッチミートしたら、ポンとフロントアップしました。楽しい下駄になってくれるんじゃないかっていう期待値がどんどん上昇中です。前後輪のリムを交換すれば完璧でしょうが、7年前に白い波に呑まれたことのある1981年式XT125(17T)の修理、完了です。

「がんばってください」と声をかけてもらう際の複雑な心証は、わたしには理解できます。被災地お見舞いと言いながら見物に来る人々に対する殺意にも似た感情も理解できます。どうしようもないケースもあるでしょうけど、諦めなければ修繕できます。捨てさえしなければなんとかなります。時間はかかるかもしれませんがでもいつかそのうち、とココロに決めて大切なものをどこかに置いておくことができるのなら、ある日は重荷に感じたりしながらもそれが生き甲斐になったり、またクサい言い回しですが「あたかも荒地に花が咲く如く」ほぼ元通りに戻すことだって不可能じゃないと信じています。シルクロードもW1S-Aも海水に沈んだけど捨てなかったからこそ得ることができた悦びをわたしは知っていますから「断捨離」なんていうどこの世界の風習かよくわからない一過性のブームに踊らされてはいけないぞ、とわたしはぐっと奥歯を噛み締めつつも、家族とオートバイに囲まれて勤労して納税できる、そんな静かな暮らしがこれからも続きますように祈りたいと思います。

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