SP2.02 (リリース: 2003年02月04日)

ずいぶん前の話です。

9月の雨が混じった朝でした。わたしは原動機付物置、TB2を走らせています。

当時、わたしは自宅から15キロほど離れた場所にある学校に、毎日通っていました。たった1ヶ月の間だけのスクーリングだったので、体力の強化と燃料をケチる、というつもりで、普段は自転車で動くことにしていました。しかしその朝に限っては、雨を嫌って車を使いました。この学校の講義の内容が、すくなくとも自分の求めるものではないということを、初日の一限目が始まってから、ほんの15分くらいで気付いていたわたしでしたが、授業料が無料ということでかなりの競争率の中、選考や抽選に漏れてしまった大勢の人たちのことを考えると、たとえ嫌でも真面目に参加しようということで我慢していました。

どれだけ学校に行くふりをして、一日どこかで遊んでいようか、と思ったものでしょうか。

結論から言えば、その日に関しては、本当にそうしておいたほうが良かったのかも知れません。

ガコン。

左側で大きな音がしました。その衝撃でサイドミラーが、別の方向を向いてしまいました。

いつも自転車で通る裏路地があって、そこが急に狭くなる場所の壁に助手席のドアとが、接触していました。ぼんやりと車を走らせていたわたしが悪いのは当然のことですが、回避しようにも前輪が滑ったようなかんじになってしまったようです。勿論速度は制限速度の範囲でした。

左のドアだけが半分もぎ取られるような格好で、TB2は壊れていました。ドアだけを修理すれば、なんとか格好は付くみたいです。運が良かったうちには入るでしょうが、気分はとてもブルー。自分で板金して直そうという気力さえ出ないような、そんな壊れ方でした。

学校の休憩時間を使って、自動車修理工場で働いている友人に、修理の見積りを電話で頼んでみました。

「壊れ方にもよるけれど、板金するよりもドアごと中古品に交換したほうが、安上がりになるのではないかと思うから、一度見に行く。」

そんなありがたい返事が戻ってきました。

「安上がり、っていったいどのくらいの金額なんだろう。」財布の中身に余裕なんてないので、不安に襲われました。

しかし、運転席から破損したドア越しに左の路肩が見える状態というのは、死角の視認性は確かに良くなりましたし、運転席からエアガンで歩道を歩く猫を狙う、なんてこともできそうですが、とにかく隙間風やら雨が吹き込んできます。このままの状態で冬を迎えるというのは、いくらなんでもまずいです。雨風を凌いで荷物を運ぶために買った車ですから。

「ああ。これでW3の車検代が、消えたよ。」

次の日の夕方、自宅に帰る途中の彼が立ち寄ってくれました。

「これは交換したほうが、ぜったい安い。それに・・・・。」彼が言うには、彼が以前に所属していたディーラーさんに頼んだほうが、確実に支払い金額は少なく済ませることができるだろうから、そこに持って行け、ということでした。

その週末、わたしは彼に紹介してもらったディーラーのサービスピットを訪ね、TB2を預けることにしました。

「代車をお使いください。」同級生のかつての後輩である若きサービスマンの彼は、わたしにTOYOTAファンカーゴのキーを渡しながら、中古ドアを探し出すのに、だいたい3日間くらい待ってくださいね、と言いました。

「別の塗色だろうが、藤原とうふ店とか屋号がペイントされてあろうがぜんぜん構わないんで、とにかくよろしくお願いします。」かつて新婚旅行で訪れたジャマイカのタクシーのことを思い出していました。モ・ベイからオーチョリオスの街に移動したときに使ったタクシー、それがやはりTOYOTAハイエースVANで、黄土色っぽい塗装に「宮内庁御用達○○堂」と金色の毛筆フォントで文字が書かれてありました。日本から持ち出されたときのままの姿で走っていたのです。

「まあ、それもよかろう・・・・」わたしはディーラーを後にしました。

しっかし、たかだか1300ccエンジンの代車のほうが、ずっと乗り心地が良いというのも悲しいことだよなあ、と思いつつオートマチック・シフトにようやく慣れた頃、ディーラーの彼から電話が入ってきました。

「修理が出来上がりました。税込みで、15,000円です。」

よもや、ツェー万ゲー千で仕上げてくれるとは思っていなかったわたしは、これ不幸中の幸いとばかりに、よけてあったお金を取り出してディーラーへと急ぎました。

駐車場には、わたしのTB2があってそのすぐ隣に、同年式・同サイズのハイエースバンが並んでいました。ただそちらのハイエースは、最下位グレードにランクしているわたしのやつとは違って、いちばんハイグレードのモデルでしたが。

「これは僕のなんですよ。」若きサービスマンの彼は、にこにこと笑いながらわたしに話しかけてきました。

「ハラダさんは、このハイエースを何に使ってるんですか? シートは改造してありますね!」

「えーと。えーと。それはですね、バイクのトランポにしたり、そのまま車庫にしたり。たまに畳を敷いて寝たりしてますが。運転席はRX-7/FD3Sのものです。バックシートはワゴンのハイエースの3列目です。」そう答えると

「実はですね、バッテリーが相当弱ってますよ。交換をお考えになったほうが良いと思います。」

彼の申し入れに、あっさりと財布を緩めることができないわたしでした。本来ならば、ここでお受けするべきなのが筋なのでしょうが、バッテリー交換だったら申し訳ないことですが、自分でも間違いなくきちんとできることを知っていますので、またの機会にさせてくだされ、と言い残して、ディーラーを後にしました。


ある日曜日の朝です。

怪しい学校も、今日は休みです。

車検用のお金が無くなってしまったとたん、急にW3がいとおしくなってきました。そしてW3にも少し触っておこうと思いました。車検代が無いからといって投げ出してしまっていては、乗りたいときに乗れないままの状態であるだけではなく、心が向かなくなる原因になる恐れがありますから。

そしてわたしは、例の問題を抱えているネジ穴について対策をするため、師匠先生のところにお邪魔していました。

師匠先生は、その3つの穴を注意深くチェックしたあと、8mmのタップを工具棚の奥深くから数種類取り出してこられまして、じんわりとタッピングを開始しました。

「ヘリサートはやはり、このヘッドにとって一番最後の手になるから、できるならあんまりやりたくないのよね〜。」などと言いながら、その手は止まることもなく、やがて3つの穴には、メスネジが再生されていました。

「たしかに危ないけど、これでダメだったら,ヘリサートっちゅうことにしようや。」

「そうですね。そうさせてください。」それほど修理を焦っているわけでもないわたしは、答えました。

自宅に戻ったわたしは、さっそくバルブの組み付けを、さくさくと始めることにしました。

敢えてわたしは、すべてのバルブについて、オイルシール無しで組んでみることにしました。本来なら、排気バルブにはオイルシールが1個ずつ使われてありますが、ずいぶん前から絶版パーツになっているらしいです。ここでわたしはオイルシール無用論を展開するつもりなぞ毛頭ありませんが、バルブガイドを抜き取って加工したあとで元に戻し、四輪用のオイルシールを使ったりすることを、今回はわざと選ばないことにします。お金も腕もありませんし。

おそらくは、このクリアランスが残っているわけですから、しばらくの間は燃焼室にオイルが流れ込むなんてことは起きないでしょう。

それはずいぶん以前、師匠先生から師事を戴き始めたころに聞いていたお話なのですが、バルブガイドのクリアランスがアマくなったスタミナZ7に乗っていた師匠先生の知人が、その対策として全てのバルブにオイルシールを組んだら、しばらく後に焼き付かせてしまった、ということがあったのだそうです。どんなオイルシールをどのように使ったものなのかはよくわかりませんが、ある程度の潤滑はバルブにとって必要であるということなのでしょう。

またこれは推察ですが、もしかするとバルブガイドの材質そのものによるものなのかも知れません。それからW326の刻印がありますけど、なんのことやらよくわかりません。

バルブシャフトにゾイルを塗り、いつもの手順で4本のバルブを組み付けました。

分解するときには深く考えていなかったせいで、気付かなかったことなのですが、7ミリバルブと8ミリバルブとでは、コッターピンの形状が違っています。この日のわたしは、やはりバラバラにして清掃を済ませた「誰のオートバイ号」のシリンダヘッドも、並行して組みつけていました。

同じ作業をやっているはずなのに、コッターの引っかかり部分の形が違うことで、どちらかというとW1S-Aのほうが少し組立て辛くて、ずいぶん戸惑いました。それは、わたしにとって新鮮なことでした。

この工程の最後に、バルブの端を銅ハンマーで叩きました。コッターピンが、きちんとバルブシャフトにハマっていることの確認作業です。


特別出演

誰のオートバイ=W1S-A=のヘッド

吸気側を上から見たときに、K254の刻印が入っていました。もちろん意味はわかりません。

このバルブガイドには、Z1のオイルシールがばっちり使えるので、本来のオイルシールが欠品かどうかは知りませんが、スプリングストッパー付きのこいつを使います。

でも、スプリングを組みつけてしまったら、どんなオイルシールを使っているのかは、もうわかりません。


ひとくぎり付いたので、エルシノ庵に整理してある新品パーツの棚から、シリンダヘッドガスケットをひとつ取り出してきました。使い古しとは違って圧が加わる前の新品ですから、そのブ厚さにはなんだか頼もしさを感じます。

ここで必要なのは、いつもの工具とシリコン系の液体パッキン、それにネジの緩み止めとカジリ止めのケミカル類。そして師匠先生直伝の「最善手ではないが、案外と有効な方法」という期待値いっぱいの処理を施して、いよいよヘッドは車体のほうに移動することになります。

虫食いを発見した時点で、少しでもそれが消えてくれないかなということで、ガラス定盤の上で5分ほどの間、インチキ面研をやってみました。ですが、その効果はほとんど見られないようなので、すでに研磨のほうは諦めていたわたしでした。

ヘッドをシリンダに載せてボルトで締め付けました。カービュレタを取り付けてエアクリーナを締め付けたところで、あっさりと作業を止めました。その日のうちに連続して一気に組みたいと思う、逸る気持ちを抑えながら、後片付けに入りました。

別の日に、鉄則と言われる、シリンダヘッドの増し締めを行いました。アルミのリングが入ったシリンダガスケットは、やはり潰れながら圧着するのでそうなるのでしょうが、鉄則とはよく言ったもので、予想どおり、もうひと締めだけトルクを吸収していました。

そのままプッシュロッドでブロロロロ〜をやって、ロッカーケースを締め付けることにします。

シリンダ・ヘッドには、ロッカーケースを取り付けるために雌ネジが8箇所にわたって刻まれてあります。

わたしの「貰い物W1Sヘッド」ですが、ネジ山が弱っている穴のうち、右シリンダ排気側の外周部のボルトだけが、指だけでいちばん奥まで、軽く回りながら入っていきました。つまりその状態は経験上、これ以上のトルクをかけることができないことを意味していました。

外周の長い4本のボルトと、タペットアジャスタカバーに隠れる短い4本、都合8個のボルトに対して均等なトルクを乗せていないことは、最終的にオイル漏れの原因になってしまいます。 まして、このまま頑張ってみたところで締め付けることもできないまま雌ネジをナメてしまうことでしょうし、最後の手段ヘリサートによるネジ山復活をする際に、障害になってもいけないかなと思いまして、そのまま作業の手を止めることにしました。

せっかく少し乗ってきた気持ちがすっかり萎えてきたところで、つい今しがたまで行ってきたのと逆の手順で、のろのろと作業再開です。ボルトやナットを緩め、それから部品を仕分けてまとめました。いつもは再度利用するつもりで剥がしているロッカーケースのガスケットですが、今日は3枚ともチギれていました。どうやら限界みたいでした。スパナもレンチも工具箱に戻しました。

憂鬱でした。

というわけで、くだんの案外有効な方法について、何の解説もしないままで続きに進みます。

問題の雌ネジですが、ヘリサートすること止むを得ずと、修理に出すことにしました。

「わたしのほうでは、ぜんぜん急ぎませんから時間があるときに直してやってください。」

師匠先生にW1Sヘッドを渡したのが、10月の終わり頃。 このときも、わたしはTB2で行動していました。師匠先生のお宅から出ようとして、イグニッションを捻るとグローランプは消えましたが、スターターが動きません。バッテリーが瀕死状態でした。

「このまま帰っても良いことにはならんから、奥さんに迎えに来て貰え。」師匠先生はそう言って、TB2からバッテリを抜き取り、充電器を置いてある台に、よっこらしょと載せてしまいました。

TB2の電装関係に見られる兆候には、ずいぶん前から気付いていました。走行中のパーシャル時に、グロー不足と排気触媒温度異常とオイル切れを示すインジケータが同時に点灯したり、警告音が鳴るということが、1年くらい前には3回乗るごとに一度くらいありました。アクセルを軽く煽ると、その警告は消えてくれるのですが、その頻度は次第に増えてきて30キロに一回、またあるいはまったく不規則に発生するようになってきていました。

この警告が示すのは、オルタネータの寿命が近づいていますよ、ということですからバッテリに蓄電がなされなくなっているのも当然と言えるでしょう。いずれどこかで死んでしまうことはわかっていたのに、わたしは予算不足を理由にしてそのままにしていました。その場所が師匠先生宅の庭先だったのは、たまたまラッキーだったとしか言い様がありません。

翌日。自転車に乗って師匠先生のお宅にわたしは伺いました。

「かなり長い間つっこんだけれど、比重はあまり変わらなかった。もう寿命だ。」と仰る6年モノのバッテリをTB2に組んでから自転車を載せて、家に戻りました。

発電がじゅうぶんできていないのに、バッテリだけ交換してもあまり意味はないことはわかっていましたが、W3車検のために残しておいたお金から、ドアの修理代を引いた金額くらいでなんとか調達できるような安物バッテリを、とりあえず買ってきて積み替えてみることにしました。

それから数日の間は、非常に良好な具合でTB2は動いてくれていましたが、やっぱりインジケータの点滅が始まりました。それにトリップメータのカウンタが、ついに10万kmを越してしまいましたので、タイミングベルトの交換についてもアタマの隅に入れておかないといけません。

辺境地で大活躍している車であることが、かつてこの車を選んだ理由でした。部品の入手が安くできて、劣悪なメンテナンス環境でも、とりあえず走ってくれそうだったので、雨風さえ凌げればOKということでポンコツの4年落ちを買ったわけですが、継続して乗るためには本気でメンテナンスをしておかなければならない時期にさしかかっていました。

ある日には、まっすぐ走っているときに、ハンドルがブレはじめました。手にごつごつとした感触が伝わるのでタイヤをチェックしてみると、前輪右タイヤの内側がツルツルに偏磨耗していました。もしかしたら、こいつがドアを壊したときの本当の原因だったのかも知れないと思いながら、まだ時期的には早いですが4本ともスタッドレスタイヤを付けてあるホイールに取り替えて対応しました。残る3本も、既にスリップサインが見えて限界に近づいていました。

春までには新品のタイヤを調達してこないといけませんが、それまでに定職に就くことができなかったら今度はW3どころか、TB2を動かすことさえ、ままなりません。

以前ですと、ボーナス一括払い、なんてかんじで気軽にクレジットカードを使ったものでしたが、収入の当ても無い状態でしたから、恐ろしくてとてもそんなことはできません。

打出の小槌があればいいのですが、そんなもんは持ってませんし。借金が無いことにこしたことはありませんし。

その頃、わたしにとって色々と思い悩んだ末、新しい仕事に就くことが決まりました。時には自分の車で移動が必要になる職場のようです。ということは、どうにかしてTB2を修理しておかないとまずいことになりました。

「タイミングベルトを新品に交換して、オルタネータをリビルド品に交換するとしたら、費用はどのくらいかかるの?」分解組立ての工程において、おそらく共通の作業があるはずで、同時に処理するなら工賃のディスカウントが望めると踏んで、すでに懇意になっているディーラーのサービスマンを訪ねました。

「ついでにブレーキフルードの入れ替えをして、ちょうど10万円くらいでしょうか。」

うげ。

これはしくじると致命的になるなあと思いながら、わたしは金策を弄することにしました。その結果として、約十ヶ月間にわたる主夫としての労働報酬という意味で、返済期限付き無利子無担保の10万円を妻に捻出してもらったわけですが、そのときには涙が出そうになりましたね。

人間として男として一番情けない気持ちの状態に追い込まれたような気がしました。少なくともこの10万円を完済するまで、好きなタバコも数減らし外出の機会も減らすなりの努力をして、早いところ繰り上げ返済してしまいたいものです。

さてTB2。

ディーラーのピットに運び入れたその二日後に、タイミングベルトとオルタネイタのリプレイスが完了しました、という連絡が入ったので、わたしは妻の虎の子を握り締めて、ディーラーに向かいました。エンジンを始動させたところ、かなり静かに回っております。おそらくピーッという不快なあの警告音を、走行中に聴くことは当分無いでしょう。気分は爽快です。

「ハラダさんにプレゼントがあります。よかったら使ってください。」いつもこのディーラーに顔を出すごとに、コーヒーを飲ませてくれたり、ご来場キャンペーン中なのですとティシューボックスやら洗剤を手渡してくれることは、確かにありがたかったのですが、わたしが車を決して買わない客であることを知ったうえでのサービスには、いつも気の毒に思っていました。ですから、今日はさすがに断るつもりだったのですが・・・・

彼がわたしに差し出したモノは、以前から機会があれば手にいれたいものでした。

「僕のハイエースですが、顔面をぶつけちゃったんです。修理のついでに後期仕様に組み替えたんです。」左のコーナー・マーカー以外はぜんぶ揃っている部品、樹脂にメッキしてあるフェイスグリルに、フラッシャー、そしてわたしが欲しがっていたハロゲンヘッドランプが、TB2のキャリッジ・ルームに載せられました。しかも純正品ではなくてBOSCH社のランプです。後期型の顔にすると、異形左右非対称のランプになってしまうことで浮いてしまった部品になったそうです。いちばんロー・グレードのTB2のヘッドライトは、シールド・ビームでしたから、本当にありがたい申し出でした。

それから数日後の平日の昼間に時間を作りました。ご近所にはあまり目立たないようにして、TB2の顔を差し替えてみました。まあ車両の外装は元々ギタギタですから、メッキグリルになったからといって、たいそうな変化があるわけではありませんが、娘を保育園に迎えに行く時刻の夕方になるのがとても楽しみでした。そして、ハロゲンの威力を確かめたときは嬉しかったですね。なにせ貰い物ですから。

んー。何か忘れてるぞ。なんだっけ? 

それを思い出しているけれど気付かないふりをしているわたしは、40歳代を間近に控えてのモラトリアム期を乗り越えて、再び外で働き始めました。まあ、ぼちぼちと元気にやっていきたいと思ったりなんかしているわけなのですが、10回も出勤しないうちに、いきなり正月休みが訪れていました。

そして2003年まであと三日を残すばかりというある日、わたしは翌日に控える餅搗き大会に用意する薪割りを終えて、そのときに出た木っ端を掻き集めようと庭先の掃除をしていました。小さなクラクションの音で顔を上げると、師匠先生の姿が。

「通りがかりのついでに持ってきたよ。クリーンアップは自分でやりなさいよ。」突然にそしてひさびさにW1Sヘッドがわたしの手元に戻ってきました。ヘリサートのおかげで、3本の壊れた雌ネジが完全に復活していました。

わたしは何を焦っていたというのでしょうか、あきれたことにバルブを組み付けた状態のままでヘリサートをお願いしていました。

バルブスプリングのあたりに、それが元はシリンダヘッドの一部だったとおぼしい金属粉が付着していました。それを見つけたわたしは嬉々として、プラグレンチとハンマーを持ち、再びバルブ周りを分解することにしました。

そこいらの部品をきれいに洗浄して整理したところで、わたしにとって悩みごと多かりし2002年は、ようやく暮れましたとさ。

このコラムのタイトルも、当初は洒落っ気たっぷりのつもりでしたけれど、だんだん嫌気がさしてきました。 このあたりで、2002年は本当にキツかったなあと振り返りつつ、そろそろ当コラム彼のオートバイXpつまり2002を終了させることにしたいと思います。

大勢の同好の志の皆さん、アクティベーションでのご声援ご意見、誠にありがとうございました。いつも感謝しております。リクエストは、郷ひろみの「よろしく哀愁」をお願いします。

逢えない時間が愛育てるのさ 

信じることが生きる力〜♪


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