
まず、彼のオートバイxpという名の通り、お詫びからスタート!です。
いやほんとに、あのメールを受け取ったときには、驚いた。
バーチカルツイン特集という企画をやります。つきましては、貴サイトを紹介したいと思います。そこで、掲載の許可をください。
その素敵なメールは、わたしも時折購入している全国誌の編集者のかたから届いたものだった。そして、その差出人には、女性の名前が記されてあったから、いつもの4倍くらい早く、わたしがリメールをしたことは、もちろん言うまでもない。
「ご連絡ありがとうございます。ですが、ある条件を提示させてください。それをご了承いただけるなら、ありがたくお受けしたいと思います。」
その条件は、あくまでも私的なこだわりが根拠となるもので、その性質上、ウェブのネタにはふさわしくないから、ここでは割愛したい。
翌日だったか、彼女から返事のメールが届いた。この時点で、編集者さんのことを彼女呼ばわりしてしまうといったこのあつかましさについては、どうかと思うが、あっさりと続ける。
ご提示いただいた条件ですが、それについてはまったく問題ありません。 −中略− よろしくお願いします。ところで、掲載にあたって、コメントを頂戴したいのですが−以下略。
うげ。コメントですかぁ。そうですねぇ。うーむ。
ダブワン仏恥義理 進行性夜露死苦みたいなので良いのだろうか、趣旨はどのようなものをお望みなんだろうか。
わたしは一応尋ねてみることにした。
「あの〜。コメントって、どのくらいの文字数なんでしょうか?」
一般に文章は、掲載スペースの都合などで短縮されることが、ままあるというのは、わたしでも知っている。ただ、圧縮されたときに、その文が伝えようとするところのポイントがぼやけるのは、ひどくつまらないことだと思う。
それは、わたしが書いた企画書が、スペースが足りないという理由で、上司によっていったんボツにされ、後にその上司が発案した企画だと改ざんされてしまった記憶と重なってしまう。不躾ながら、そうした質問をわたしは彼女に投げかけた。
文字数は15字×80行前後を予定しています。
それは自分のサイトのネタに関して、という範囲に限定されてはいるが、テキストエディタでパカパカと駄文を綴ることが、近頃ではなんだか楽しい。それに、自分のサイトの中に限っていえば、適当なことを書こうが嘘を書こうが、まるでそんなことなんか発言しなかったかのように、文章を修正加筆できる。しれーっと削除することさえ自由にできる。気楽なものだ。
それに一行の文字数については、見に来てくださるかたの環境に依存するから、考慮したことなんて無い。何行にも亘る冗長なものになったところで、それすらも環境によって何行で表示されてしまうものなのは、ウエブマスタ側ではまったく予測がつかない。だから、あんまり気にならない。ガンガン改行しようが、一行のうちに空白文字列がいくつできようが、まったくお構いなしの作文をすることができる。
掛ける数と掛けられる数が、それぞれ2桁の暗算をするのなんて、いったい何年ぶりなのかなと思った。そしてそのとき、頭に浮かんだ数字が、1200。
げっ、1200文字か。
慌てたわたしは、電卓を叩いて検算してみた。やっぱり1200だ。
おれの暗算もまんざらではないな、と、ニンマリしたのも束の間のことだった。その数字が、400字詰めの原稿用紙3枚分であることを意味するのだと悟ったとき、わたしは、事態の重大さについて、はじめて気づいた。
なにしろ普段の進行性ネタは、思いついたことを、ひたすらパチパチと、そしてダラダラと書きつづけるから楽しいのである。文字数にシバリがあるというのは、ひじょうに苦しいのである。
傍線部のメロスの心情について、20文字以内で表現せよ、という作業をひたすら繰り返させられた国語の試験問題に、よく似ていると思った。こんな制約は、19年ぶりだ。
またあるいは、30日分だと前渡しされた400字詰め原稿用紙のことを思い出した。たしかこれは、やはり19年ほど前に、毎日2枚ずつ書くことを指示されたものだ。いわゆる、停学中の反省文というやつである。ただ、三日も経てば、反省していることさえも、自分の中では陳腐化する。話題は尽きるし、ある程度はマスメを埋めないと、再提出を命じられる。やがて、ただ毎日ひたすら謝るのも、だんだんと悔しくなってくる、という現象に陥る。そこで、大筒井のように、うぬぬおのれおれさまはだんだんとくるしくなってきたのだ、と漢字を使わず句読点も打たず、びっしりと原稿用紙を埋めてみた。案の定、貴様それでも高校生か、明日までに書き直せと怒られた。もちろん2日分の作業が、わたしのところにきたわけだ。
それではと、大片岡のごとく、やたらと会話を入れては改行しまくり、めたらと段落を変えたり、句読点を打ちまくったりしてみた。
担当の教師は、なんとか受け取ってくれた。が、翌日からの反省文は、A4のレポート用紙に書けと申し渡されてしまった。やぶへびだった。
わたしは、彼女から求められたコメントの依頼について、もう一度よく読んでいた。その全文について、許可なくここに掲載するわけにはいかないので、要約して整理してみることにする。
うーん。
どれもたいがい、これまでにネタにしてきたことばかりなんだよなあ。いっそのこと、全部を新しい切り口でバッサリと箇条書きにしてやろうか、と思った。ただ、一行が15文字で段組されることを前提に考えたら、きっとひたすら読みづらいページになってしまうんだろうなあ、とも思った。
ここはやっぱし、人情噺にお題を盛り込んだ、いつものスタイルにしよう。正直言うと、その形式でしか文章をまとめることが、わたしにはできない。ともかく、プロのエディタさんが、わたしの駄文を推敲してくれる前提があるんだから、これは気楽だ。
そしてわたしは勝手に、彼女のことを想像した。
彼女がわたしに宛てたメールのなかには、「貴サイトのなかにある、大片岡の有名作品のタイトルをオマージュした駄洒落が、お気に入りなのです」と書いてあった。
わたしが推察するに、大片岡のタイトルと拙サイトコラムのタイトルとの連想ができるということは、もしかすると妙齢のご婦人なのかも知れないと思った。ただそれは、まったくおおきなお世話であるから、それについてはあっさり流した。たぶん、身長は160センチから165センチ、ちょっと日焼けした肌にオレンジのシャツが似合っている。そして黒髪がのぞく白いヘルメットはAGV。オートバイはCB450K1だ。ええねえ・・・・・
放っておくとイメージは、どこまでも突っ走っていく。そしてわたしは、鼻の下をすこし伸ばしながら、コメントの寄稿を引き受けることにした。
ご存知の通り、いいかげんな性格を持つわたしなのだが、引き受けてしまった以上、一応は、プロットを適当に書き並べたりして、その構成を考えてみた。ちょうどこの頃は、わたしが職場を離れることについて、組織の責任者とやりあっていた時期と重なっていたから、その荒んだ気持ちを解きほぐす、楽しい作業でもあった。
職場の若手エロ助が、山形県に出張した折、どこからか貰ってきた嘔吐下痢症が、そのころのわたしを襲った。さらにその翌日には、妻にも感染してしまった。わたしの症状がようやく治まったのかな、と思ったのがその二日後の日曜日の朝だった。
まだコメントの締め切りまで、あと三日間の猶予がある、今日中になんとか片付けてしまおう、と考えていた。が、今度は娘が、朝食をとる途中で、突然嘔吐した。
しまった、と思った。これでは原稿を書く時間が無い、えらいことになった、と思った。
すぐに休日当番の病院に連れて行ったところ、脱水症状が激しいから数日間、入院しなさいと申し渡された。妻もまだ不調だから、基本的にわたしが介護することにした。
これはコメント書くのに好都合だ、なんてことは決して思っていなかったということだけは、ご理解いただきたいところである。
娘は診察室で、左の手首から肘にかけてをギプスみたいなもので、まず固定された。それからドクターの手によって、手の甲に点滴針を打たれた。泣かなかったし叫びもしなかった。強い奴だ。
そのことをナースさんたちから口々に褒められた娘は、ぐったりとしながらも、鼻の下を伸ばしながら照れていた。父娘そっくりな行動だ。
それから通された小児用病室は、二人部屋だったが、隣のベッドは空いていた。つまり、個室状態で利用させてもらえる、ということだ。
ただ娘にあっては、夜はどうしても母親でないとだめ、と言う。だから、夜の9時から翌朝の6時までの間は、妻が付き添いを替わる、ということにした。
翌日の月曜日、わたしはドクターに許可を貰って、ノートパソコンを個室に持ち込んだ。蓋にVAIOと書いたエンボスが施されているやつだ。そしてわたしは、娘が寝ている間とNHK幼児向け番組をみている間だけ、テキストエディタに向かった。
平日の昼間に、幼児に付き添う父親も珍しいが、その病室でパソコンのキーボードを叩く父親は、もっと珍しいと、ドクターさんやらナースさん、そしてお掃除おばちゃんにも、いろいろと話しかけられた。
病中にある妻子を放り出してまで、職場に向かおうという気力が、もはやわたしには残っていなかった、ただそれだけのことだった。
愛娘と暮らす病室(蔦森先生ごめんなさい)も、まんざら悪くはない。娘のお絵描きゴッコのお相手も、すごく楽しいし、それに思った以上に、原稿書きの進捗は良い。
わたしは、父性について覚醒したのかもしれない。そしてこの病室で、インチキSOHOライターごっこを疑似体験してしまった。
娘が退院した日と、締め切りの日は、同じ2月20日だった。たいしたことはしてやっていないが、看病というのも案外に疲れるものだったから、わたしの思考はずいぶんくたびれていた。だけど、納期は絶対守らなければいけない。何時間かをかけて、なんとかまとめることができたコメントを、電子メールで彼女に送った。そして、その夜は、ほんの三日ぶりなのに、ずいぶん懐かしいなあと思いながら、川の字になって寝た。
翌日、職場から戻ったわたしのところに、彼女から返信が届いていた。実は、彼女からの依頼は、もう一件あったのだ。
入院騒動のせいでそちらの準備が出来ていなかったことを、わたしは昨夜のメールでお詫びしていた。その依頼というのは、わたしとダブルがいっしょのフレームにおさまっている写真が欲しい、というものだった。
5年以上前のものだったら結構あるけれど、そんなものを出してみたところで、後になってから、若い頃の写真を使いやがって、と笑われてしまうのもどうかと思った。わたしは大往生のおばあちゃんではない。
うーん。それも妙案だな、と思ったけれど、せっかく待ってくださると言っていただいているのだから、少しネタを仕込んでみようかと決めた。
わたしは彼女にメールを送った。
「写真のほうは、なんとかします。それとお願いがあります。昨日送った文章ですが、一部、書き漏らしたことがあります。修正は、まだ可能なものでしょうか。」
すぐに彼女から返事があった。
実は、オチを書き忘れていた。本人としては、A・B・C・A´という構成を考えていたつもりが、A´の部分が、まるまる抜けていたのだ。
そのことを、今日になって見つけたときには、愕然とした。
もはや訂正が利かないと思っていたから、彼女からの、修正を加えることがありますが、という申し出は、逆にありがたいことだった。普段の進行性ネタ作りと同様に修正ができるのだ。
A´のスペースを作るために、A・B・Cそれぞれの言い回しを、シンプルなものに変えた。そして、若干文字数をオーバーしてしまったけれど、一応わたしとしては、満足できるものが、その3時間後に、仕上がっていた。いつもなら読み返すこともなく、えい、とアップしたり送信したりするところを、5回読み返した。内容に飽きてきたので、6回目の途中で読むのをやめて、ついに彼女に送信した。
さあて、次は写真だ。
その週末に、娘に出演を願った。外は、朝から生憎の日曜日だった。出かけるのも面倒だったので、物干し場でのロケ敢行だ。キャメラは妻が操作した。
そのサムネを見たとき、わたしは自身の顔色の悪さと覇気の無さに気付いて戦慄した。いつの間に、こんな顔になってしまっていたのか、おれはどうしてこんなに疲れた表情をしているんだろうか、と。
その理由には見当はつくけれど、いずれにせよフェミニンなわたしは、今日の写真をそのまま寄稿してしまうわけにはいかないと思った。
えーい。こうなったらインチキ・フォトレタッチに挑戦だ。
さてさて、題して「フェミニン5連発」という作品を、わたしは強引に作成した。そのクォリティが全国紙に掲載できるようなレヴェルではないことについて、自分でもよくわかっていたが、臆面も無く、彼女のところに送ってしまった。こいつがボツならば、はらだ3.1画伯の作品「アイリーバナー」が、自動的に使用されるということになるだけのことだ。
翌日。
あきらかに彼女はフェミニン5連発について困惑しているのだろう、と解釈できるコメントが添えられたメールが、わたしのところに届いた。ただ、もったいないからボツにはしませんよということらしい。そして主文には、文章のほうの最終稿ができあがりましたので確認してくださいとあった。
添付された文章を一読したわたしは、思わず息を飲んだ。
「たいへんたいへん」
わたしは、歌えるスナック道草に所属する箱バンの前座、ナミになってしまっていた。
わたしが書いたものと、プロフェッショナルな彼女が校正したものとを照合してみると、読点の打ちかたが3箇所、それに接続詞の使い方がアマいところがひとつだけ訂正されていることが判った。たったそれだけで、ぜんたいの雰囲気がずいぶん変わってしまうものだなと、文章を生業となさっているかたの腕前に、心から感激した。
そして、あえて表記した「単純共鳴式サイレンサ」という文言については、キャブトンと訂正されることもなく、筆者注釈つきという扱いにしました、という追伸を見て、わたしは鼻の穴を大きく広げた。嬉しかった。
さあて、困ったことになったぞ・・・・・。
わたしは、焦燥の念に駆られていた。そのときわたしが居たところは、広島県の因島市。あと橋を2つ渡ると、大林映画「彼女の島」に至ることができる場所だった。
何があったかということは、拙サイトコラム「彼女の島/映画の島/ロケーション」のほうで既出なのだが、簡単に書くと、追突事故を避けようとして転倒してしまったのだ。
横倒しになったW3A改(ヘン)を引き起こしながら、いちばん困惑したことは、その日の約束に遅れることでもなく、心配してワゴンRから降りてきた女の子についてでもなくて、Mr.Bike BG誌に寄せた例の文章のことだった。
なにが「ブレンボを奢って、強力なストッピングパワーを得た」だよ。これっぽっちのアクシデントが回避できないなんてのは、おれの腕が悪いだけだよ。
腕さえ良ければきちんと停止してるよな・・・・ああ かっちょわる〜。
その全国誌が発売された後に転倒したのだったら、まあそんなこともあるさ、と笑いとばすこともできるだろう。締め切り前の出来事だったなら、オチの段落も、あのかたちにはなっていなかっただろう。
いちばんまずいときに転んじゃったなあ、フェミニンなわたしは、そのことばかりを考えていた。
やがて、そのコメント原稿そのものと、インチキフォトレタッチが没になっていないらしいことを確認したのは、rastamanの兄貴から、拙BBSに「BG読んだで」と書き込みをいただいたときだった。東京と岡山とでは、店頭に並ぶタイミングが二日程度違うのだが、わたしは掲載されていたことに安心したというよりも、なんだか急に不安になってきた。
まさかW1クレージーズさんよりも、大きな扱いになっているってことはないんだろうな。もしそうだったらイヤだなあ。
どうやらそれは杞憂だった。
わたしと妻の、6回目の結婚記念日の今日、クロネコが届けてくれたばかりの本を、わたしは注意深く読んでいった。ああ、そういえば、昨年はハワイ大王さまが、RX7に乗ってウチに遊びによってくれたんだなあ、もう一年たったんだなあ、などと思いながら、読み進んで行った。
探し方は悪いかも知れないが、世界一のW1団体「W1クレージーズ」さんが寄せたものと見受けられる文章は、今回の誌面では見つけられなかった。
ここでようやく、わたしは自分が寄せた記事を読んでみることにした。どきどきした。
自筆の駄文が、こうした冊子の形式で印刷されているものというのは、中学の卒業アルバム以来のことだ。あのころの作文を、現在のわたしが読んだら、きっと痛いだろうと思う。だからわざわざ探し出して読もうとすることは無い。
わたしは、つい20日前に提出したばかりである自分の文章を、あらためて読んだ。書き記すときには、これまでに世の中に出ているW1を礼賛するコメントを、わたしが知る限りの範囲で洗い出して、それらプロの書かれた文章とは決してカブることの無い表現を選ぼうと、苦心したことを思い出していた。
筆力がないわたしにあって、例えば、カムシャフトの動きをバルブに伝える、かわいらしい魔法の杖、なんて表現は、到底思いつかない。せいぜい、プッシュロッドでブロロロロー♪という程度が、精一杯だ。もちろん突き詰めると、著作権侵害について抵触するものばかりだ。やはり大片岡は、すごいよなあと、アマチュアながらも文を書く立場になった今回のことで、あらためてそう思った。
また、大半の主語となる一人称は、わたしではなくて、僕にした。こうすると、大片岡的な雰囲気のスタイルに通じるものがあるが、これは文字数を睨んだうえでの選択だった。そしてW1についての言い回しのなかで、比較的競合が少ないと思われる、フリクション・ノイズをテーマに選んで、自分の言葉だけを敢えて選んで、書いた文章だった。
そうしたアマチュアならではの青臭い文章だけど、誌面構成のおかげもあって、けっして埋もれてないよな、と手前味噌ながら思った。
そして、ここで初めてW1クレージーズという文字を見つけた。そう、フェミニーンバナーのすぐ下の、公認というやつである。なんということか、拙サイトのトップページが、誌面に掲載されてあった。
公認は、わたしにとって神様のような存在にあたる泰山会長が、ほろ酔い上機嫌のときに、「わるいことをしないんだったら、いいよ」と与えてくださったものだったが、いや何と言っても、全国誌の誌面に、わたしの実名が、W1クレージーズという大看板といっしょに並んでいるというのは、なんだか気恥ずかしい。
ともかくもこれは、悪いことをしているわけではない、と自分に言い聞かせることにしようと思った。
わたしの書いた文章のキャプションには、「俺のオートバイ 彼女年増」ができたワケ、と名付けられているのを見つけた。だったら、ここまでにかいたxpなネタは、「「俺のオートバイ 彼女年増」ができたワケ」ができたワケというタイトルがふさわしいのかな、と思った。
昔聞いたヒトのネタ「港が見える公園が見える公園」を彷彿として、わたしはひとり、フフンと鼻で笑った。
この日は、お昼過ぎから買い物に出かけた。
わたしが、岡山県で一番旨いと勝手に認定していた珈琲焙煎屋さんが、つい先日何かの事情で店を閉めてしまった。そうなってしまうと、今後の珈琲豆の調達は、その次にお気に入りの店に出向くしか無くなった。
たしかその店に初めて立ち寄ったのは、14年前だったと思う。岡山県庁に程近い場所にあるその店の前には、いつもCB750CUSTOMが停まっていた。そして、別冊MC誌の最新号が、客用の本棚に置かれているのを目当てに、通ったものだ。
そういえば、妻と娘との3人で、この店に来るのは初めてのことだなと言いながら、昔いつもそうしていたように、書庫の別冊を探した。
そして手にした最新号には、別冊付録として中綴じ冊子が挟まっていた。これにはW1の特集が組まれていた。そしてそのなかで、W1クレージーズと泰山会長の名前を見つけたときには、ついさっき腰掛けたばかりの椅子から、ずり落ちそうになっていた。
同時多発・・・・
思わず、そうした不謹慎な言葉を、わたしは発していた。そんなことを言っちゃダメよ、と妻と娘の一斉攻撃を受けた。
10年余り勤続した職場を離れるまで、あと2週間となった暖かい午後の出来事だった。
うーん。3週間ちかく引っ張ったわりに、これで終わりというんだったら、オチが甘いよなあ。
ご不便をお掛けしております。申し訳ありません。
そして僕は、彼女のことを思い出していた。
ちょっと日焼けした肌にAGVの白いヘルメットがよく似合う筈の、Mr.bike BG誌エディタさんのことだ。
彼女がはじめて僕にメールをくれたとき、僕は本当に失礼な質問を逆依頼という形で、彼女に投げかけてしまった。本当は嬉しくて、その依頼文を見たすぐさまに、小躍りしていたくせに。あのときの僕は、煮詰まっているのに煮え切らないという、それぞれが背反する精神状態だったことには、間違いない。
僕自身には、文筆で身を立てる力があるなんて到底思わないけれど、例えば、自宅に自分専用の仕事場を設けて、ひとり淡々となにかを製作する、そしてできるならそれを糧にする、そんなふうに生きていく方向もあるのではないかと、あの日を境に考えるようになったことは、事実だ。
そして、当然ながら自己責任で、そうすることを決めた。この先どうなるかわからないけど、現状のままで悪戯に時間だけが過ぎていくのだけは、もうたくさんだよと、ついに重い腰をあげることにしたんだ。
ありがとう
僕は東の方角に向けて、そうつぶやいた。
たった今、僕はレタッチした画像とする前の画像、それから彼女とやり取りしたメール、そして箇条書きにしたプロットやボツにした部分なんかをぜんぶまとめて、一枚のCD-Rに焼いたところだ。こいつをMr.bike BG誌2002年4月号とセットにして、生涯の記念にすることにした。
CDのインデックスには、駄文FILE と、書いた。
今回の記事は、Mr.bike BG誌のご快諾のもと、ネタにしました。
そして4月中旬には、拙作の寄稿文章についても、ここに掲載する予定にしております。