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SP1.10 (リリース: 2001年10月28日)

時には、ダークネイビィのスーツを着て、W3−A改(ヘン)に乗ることもあります。それは、なんのことはない通勤に使ってみたりしているだけのことなのですが。

ドンドボチョンシュルシュルシュボバンドンドボチョン・・・・以下繰り返し

やっぱし 信号待ちは イイですねぇ。

ある日の信号待ちで、例のPTSDの原因となった彼と出くわしました。ですがスーツ姿のわたしを見て、怒鳴ってくることはありませんでした。手優香わたしが誰なのか、よ〜やく気付いたようです。そんなもんで、ジロリと舐めるように彼の挙動を睨みつけているうち、信号が青にかわりました。

彼とわたしとの人間関係が、あのシグナルのように一周して元どおりになるかどうかは、まあ彼の今後の行動に期待してみようか と優しい気持ちになって、ギアをローにシフトしてクラッチを繋げました。

シルクロードでは、5分もあれば到着してしまう距離の職場に勤めておりますが、あんまりキブンがよろしいので、ついつい会社とは全然違う方向の遠回りを楽しんでみました。

結局その日は、20分くらいを所要して出勤したことになります。

その日の夜のことでした。

「おーいアイリー君(仮名)!! 明日大阪に出張するンやったら、これだけは片付けといておくれ〜」

ってな指示を、上司の「コーギーさん」から食らっちまいました。

予算関連についてブチブチと残業したわけですが、それを終えたあとの帰り道。時刻は8時を少し回ったところでした。

まあハラも減ったことやし まっすぐウチに帰ろ〜と決めて、駐車場で暖気を開始しました。

そのとき、弊社では働いているヒトが何人もいました。大迷惑です。

暖まるのを待つ間、こっそりハイライトを一本吸って(駐車場は禁煙なのです)吸殻を携帯灰皿にほおりこみました。さあさあお家に帰りましょ〜。

ブリュズババン〜 グロロロロ〜

ああエエ感じです。快調快調。

さて翌朝わたしは大阪駅にいました。環状線外回り普通列車に飛び乗りました。

弁天町で地下鉄に乗り換え、インテックス大阪へ出かけるという出張の予定でした。

が しか〜し。ボクはUSJに着いちゃっていました〜。

「ドボジデドボジデ」

左手はフレミング左手の法則のカタチ、右手はフレミング右手の法則のカタチ。 そのまま人差し指同士を胸の前あたりでくっ付けて、且つ涙目。 そして両目からの涙は、アメリカンクラッカー状態・・・・

ココロの中は、キャット空中大回転ニャンパラリン〜 荒涼としておりました。

その普通電車は、環状線外回りのホームから出る、USJ行き普通列車だったようです。

そりゃあアイリーさん(仮名)、そっちの電車にいきなり乗るほうが、却って難しいっすよ〜

仕事がハネたあとの午後6時半。西中島南方にある「FM鳥屋」の大将から その新設されたばかりで本数が少ない路線に遭遇したことについてツッコまれて大笑いされつつ、カウンタでカタカナビール(ドライ)の大瓶を呑んでおりました。

2本目をオーダーしようかな・・・・と思った瞬間、ラムちゃんズのKATAさんがご登場。

クイクイっとカタカナビールが泡沫となって消える様を笑いとばしながら、プチ宴会は豪華に進んで行きます。

アイリーはん 最近W3の調子はどないでっか〜

KATAさんの問いかけに対して、「そりゃもう絶好調です。あれも直したコレも直した 悪いところはちょっとはあるけど、ほとんどない。ないないづくしなのです〜(一部に誇張あり)」 などと言いつつ、あっという間に3時間が経過してしまいました。電車の時間が迫ってきました。

わたしは大阪から自宅に戻る際には、岡山駅止まりの新幹線しか乗らないことにしています。うっかり寝過ごしてしまう恐怖を、わたしは経験したことがあります。(このあたりの詳細はクドイので割愛)

この日も、あの〜お客様 列車が車庫に戻りますので 目を覚ましてください と言う駅員さんに叩き起こされて とぼとぼと帰途についたのでありました。

翌日は休日でしたが、ガキの頃からの友人でPA屋の社長である「S△K△M○T○君」と会う予定がありました。正正二日酔い気味ではあったのですが、彼との約束の時間までは、まだちょっと余裕があるなあっ手優子とで、師匠先生のお宅に乱入してくるわと妻に告げ、W3の暖気を開始しました。

玄関に置いてあるヘルメットを被って、アゴひもを締めつつW3の方を振りかえりました。

あれ?右側の単純共鳴型マフラーから、白い煙が出てるぞ・・・・

なーんでか?? 

アタマのなかでフラメンコが鳴り響きました。昨夜KATAさんに「絶好調ですこれが最高です」と豪語したばかりなので、その恥ずかしさもあってわたしの左手はフレミングの左手の法則以下省略ニャンパラリン。

ケムリの原因を考察すべく、わたしは視線をサイレンサの先からエンジンへと移動させました。

なーんでか?!

それはねっ!!

右側のエアクリーナが無かったのでした・・・・・

ジャンジャカジャララン オ〜レ!などと言っている場合ではありません。

胸中はオーマイガッ〜以外の何物でもありませんでした。

かつて落して失ってしまったW1S−Aのバッテリケース・サンプタンクのエンブレムのことが、わたしの脳裏に思い浮かびました。

それぞれ別のときに、振動で落してしまったのですが、きっと今でもペチャンコにへちゃげたまま、どこかの路傍に落ちていることでしょう。そしてそのそれぞれの傍らには、作業車から落ちてきた片方の軍手なんかも そっと寄り添っていることでしょう(遠い目)・・・・ おそらくは、わたしの通勤路のどこかで、右エアクリーナーもきっと車に踏みつけられギタギタになってしまっていることでしょう。きっと小学生のぼっちゃんが拾って海にでも投げ込んでいることでしょう・・・・溢れる涙をそっとハンケチで拭いながら、¥ahooオークションにでもエントリしてみるか・・・とか拙サイトでどなたかにお願いしてみようか・・・・・

このように大宮沢賢治のパロディにもならないフレーズを逡巡させること20秒。

わたしは、のっそりと歩いて物干し場に行き、コンプレッサの電源をオンにしました。それからエルシノ庵のドアを開けて、営農収穫用コンテナに仕舞っておいた「誰のオートバイ号」の錆々右エアクリを取り出して来ました。

プラスドライバを使ってケースを開き、エレメントをエアブローしました。幸いコレの内部は腐食していなかったので、ガソリンでホコリとヨゴレを拭い取ってからケースを閉じてW3に組み込みました。

白いケムリは治まりました。

エアクリ発掘の旅に出撃です。

案の定、PTSDの彼に出くわしました。その時のわたしはスーツ姿ではなかったのですが、きっとわたしの形相がものすごかったせいなのか、リアクションはありませんでしたね。ズドブリュリュンと対向車線の路肩を睨みつけながら、一昨日の帰り道を逆順に走ってみました。

職場へと一往復してみましたが、手がかりはありません。

ああ やはりどこかのぼっちゃんが・・・・ などと考えつつ、港につながる川に架かった橋を越えました。これはもう諦めて、その橋の袂にあるガソリンスタンドで給油して帰ることにしました。

満タンにしてぼんやりトリップカウンタを眺めました。

だいたい1リットルで26キロくらい走っていることになるようです。そのときの釣銭を持って走ってきた若い店員さんに尋ねてみました。

あの〜(右手をフレミングの右手の法則のようなカタチにしてカービュレターあたりを指し示しつつ)

おとといの晩から昨日の朝にかけて、こんなのがそこいらに落ちていませんでしたか??

店員さんのすこし浅黒い表情に電球が灯りました。さすがフレミングです。ハタチくらいの店員さんに後光が射していました。働き物のキコリさんが湖に斧をうっかり誤って沈めてしまった故事に出てくる神様に見えました。(註:おとぎばなしです)

少々お待ち下さいとピットの奥に、そのわたしが捜し求めているものを取りに行こうとしている彼の後ろに、わたしは小躍りしながらついていきました。

店員さんがもしも金のエアクリを出してきても、銀のエアクリを出してきても、たとえそれが銅製であっても、きっぱりと「それは わたしのものではありません」と言おうとココロに決めたところで、彼が振りかえりました。

彼の手にあったモノ、まさしくそれはわたしが一昨日落したWのエアクリーナだったのでした。そして運のよいことに、キズも無く変形もしていません。

「これはいったい、何に使うものなんですか??」

エアクリに決まってるやろ〜と、普段なら言ってしまうところだったのでしょうが、彼は恩人でもあり、一瞬ではありましたが神かも知れないと一度は思った方です。そこは慇懃にお礼を述べつつ、「30年前のオートバイでは、こんな形式もあったんですよ〜」と丁寧に答えたところ、「へぇ〜 落ちたりすることもあるもんなんですね」という言葉とセットでエアクリがわたしに手渡されました。

整備が悪いと よく落ちてしまうものなんですよ とジブンにつっこんでいるのか彼に説明するためなのか どっちでもいいようなことを言いつつ、フリースジャケットの腰ポケットにエアクリを押し込みまして、W3のエンジンを始動しました。

帰り道の道中、PTSDの彼にもし会ったら、今なら許したるでーという気持ちで走っていました。

彼にとっては不運なことですが、彼の姿はいつもの場所にはありませんでしたとさ。とっぴんぱらりのぷう。

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