=求道=

Oct 03,2001

僕がナビシートに座り、娘はバックシートに据えられてあるジュニアシートに座った。

妻が、ステアリング・ウイールを握った。

僕たちを乗せたグレイハウンド号は、2マイル先にあるドラッグストアを目指していた。

日曜の昼すぎのことだった。

窓の外は、雨。

せっかくのUVカット仕様のウインドウ・ガラスも、こんな日にはただ薄暗いだけで 何の役にも立たない。

突然、娘が言った。

「おとーさん 急ブレーキって どこにあるの〜?」

4歳半にもなると、色々なことを知りたがる。時として、むちゃくちゃな質問になることもあるわけだが、できるだけイヤな顔をしないで、そして可能な限り彼女にわかりやすい言葉で、その答えを返してやろうと、妻と僕は心がけている。

「・・・・・・・」

数日前の「おとーさん 信じるって どういうこと〜?」という難題を、昨夜はらだ3.1画伯によって、ようやく解き明かしてもらったばかりだったわたしは、おもむろに話題を変えた。

「このままクルマに乗って、お昼ごはんを食べに行こうか」

ウドンは、つい数日前に、娘と僕とのふたりだけで、粉2キロ分を打ったばかりだった。

その夜には3.1画伯とエロ助を家に呼んで、例の青唐辛子ウドンその他もろもろで、全部を消費したのだが、あの時の余韻を そこいらのウドン屋でイージィに消し去るのは、嫌だった。

だから、このときのお昼ご飯の行き先には少し、困ってしまった。

「そういえば・・・・」

僕は、あることを思い出していた。

妻が高校生だった頃の友人が去年、蕎麦屋さんを始めたらしいこと。

所在地は、Z1やらH2やらを売っているアノ店の、わりあい近所であること。

何気に読んだタウン情報誌で「石臼挽き手打ち蕎麦」の店と紹介されていたこと。

「よーし おさ○ちゃんの店に行ってみようかー」

僕の提案は、瞬時に可決された。

そりゃあそうだ。妻だって最近は滅多に、昔の友人に会う機会が無いわけなのだから。

ちょっとだけ寂れた歓楽街を横切って、僕たちは彼の店に到着した。

妻はその大きな店構えを見て、ひっくりかえっていた。

どうやら勝手に、大衆食堂的そば屋を想像していたらしい。失礼なヤツだ。

店の裏手に回ると、乗用車が8台くらい駐車できる専用スペースがあった。

ジムニーをそこに停め、僕たちは傘を差して、歩いた。

店に入って、妻は旧知の友人との再会を喜んだ。

僕はといえば、店の調度やらオーディオ、置いてある雑誌などに、目をやっていた。

真空管アンプが、バッハを鳴らしている。

ブックスタンドに「サライ」があるのは ありがちとして、「一個人」誌があるのを見つけて僕は、にやりと笑った。この雑誌には、大片岡義男氏のエッセイが、毎号連載されている。

それから、Vibes誌があるのにも、ちょっと肩の骨が抜けた。

パーテイションの上には、ちょこんとダイナグライドの模型が置いてあった。

やがて三人それぞれがオーダーしてから10数分くらい、待った。

どうやら 三たての蕎麦を食わせてくれる店らしいことが、品書きの表紙裏に書いてある。

1985年以来、僕にとっての三たてとは、ジャイアンツやらドラゴンズやらスワローズやらカープやらベイスターズに、毎度毎度ボコボコにヤラれることをイメージさせるものだが、それは あと数年後の2006年には、21年振りの優勢に立って、今度は食らわす立場に逆転するのではということを期待させる文言となっている。が、こんな小ボケはこのくらいにしておこう。

言うまでも無く

・挽きたて ・打ちたて ・茹がきたて  が 三たてだ。

通された蕎麦は、なるほど良い香りがした。

蕎麦屋では煙草を吸うなという、アクビさんの言付を守った甲斐があった。

ツユも、なかなかのものだった。

僕は、自分のぶんをすっかりたいらげてから ふと心配になって、娘が食べている蕎麦を見た。

なにしろうちの娘ときたら、ウドンにあっては もしそれがまずいものだったら食わないのだ。ひとすじススるなり、こう言うのだ。

「おかあさん 残りは全部、おかあさんにあげるね 次のお店でおいしいのを食べられなくなるから」

それは、かの香川県でも平気で実行される。

娘が斬ったガイドブック掲載の超有名店は数知れない。そしてその理由は、僕にも明白に解っていたりする。

「味見してるんか」「このダシ昨日の作り置きやろ」「茹でがアマい」「インスタントダシかよ」・・・・

金言「親の言う通りには子供は育たないが、親の通りには育つ」というのを、いつも思い出させてくれるヤツだ。

親の通りに育ちつつある娘は、半分近くの蕎麦をすでに 食べていた。

僕は すこし安心した。

去年のことだが、僕が打った大失敗作の蕎麦を 娘に食わせようとしたことがある。予想通り、彼女は二回目の箸を伸ばそうとしなかった。あろうことに、その後日、ウマいやつを食わせてやろうと兵庫県の但馬地方・出石まで出かけたときも、あんなにおいしい蕎麦だったのにも関わらず彼女は ふたくちくらい食べて「もう要らない」と言った。

僕は、娘にとってのトラウマの原因になったことを悔いていた。

子供の味覚の好き嫌いなんて、アレルギーを除いては、親の供しかたに原因があるといつも思っているから、それはなおさらのことだった。

ともかく、娘は自分が満足するだけの量を、今日は食っている。

そして僕はそれを、ことさら嬉しく思った。

それから、せいぜいウチから10マイルの場所に無料駐車場付きでいて、石臼挽きの蕎麦をこんなに安い値段で食わせてくれる店がある ということに僕は心から満足した。

だいたいお蕎麦屋なんて、敷居がたかい 値段がたかい 店主の態度がでかい の三かいだと決めてかかっていたものだったのだが、ここはなんと居心地がいいのだろう。

しかも妻の友人でもある。

岡山県南部は、蕎麦屋不毛地帯である という僕の認識は当然、変わることになった。

お金を支払う段になって僕は、若き店主 兼職人と すこしばかり立ち話しをした。

彼は言った

「挽きたての粉を小売りしますよ・・・・それと、蕎麦打ち教室も 予約制でやっているんスよ」

おお なんということだろうか。

これは、僕にとってチャンスなのかも知れない。

僕が打った蕎麦は、はっきり言って、マズい部類に属する。

そうなる原因は、ある仮説という形で、うすうす気付いていた。

その仮説とは「愛が無い」ことである。

食材店で売っているところの、いつ挽いたのか分からないけど値段はやたらと高い粉で

失敗するもんか と気合いを込めつつ、僕独りで水回しをして捏ねて伸して切って茹でて

その挙句マズいのに、自作だからしょうがない。せっかくだから食べようね。

この繰り返しだったりするのだ。

粉を捏ねていたら、娘は当然自分も参加できるとばかりに寄ってくるが、僕は粉が高いから失敗されてはかなわないので、それを拒む。

玉を伸していたら、娘も伸ばしたがるけど、チギれては嫌だから、やはり やらせない。

僕だけが、目を三角にして、蕎麦を打つ。

これじゃあマズいのが出来るのは あたりまえだよなあ

いっぽう、近頃のアイリー流讃岐饂飩では、娘=進ウドのアイちゃん=の役割範囲が広がっている。

さすがに、4歳児に水と塩を計量調合させるのは、まだ無理だけど、「粉を篩いに掛ける」のは、遊び半分でも手伝ってくれる。

「水回し」でも、粉を掻き混ぜるのは僕がやるけれど、「お玉で少しずつ塩水を掬って 入れる係」に任命してあげれば、なかなか上手にやってくれる。

水回しが終わった段階からは、彼女の独断場だ。

マトめる。袋に入れて踏む。折って踏み返す。

ここで僕が介助するのは、タイムキーパーと ヘソ出しがやり易い大きさに切ってやるくらいだろう。

2時間ほど昼寝させておいて、伸ばす台と棒と打ち粉を準備してから、彼女を叩き起こす。

すると、程よい厚みに伸ばしてくれるし、刻むために畳んでくれたりもする。

さすがに、まだ包丁を持たせるわけにはいかないので、切るのは僕か妻の役割になる。

さすがに、まだコンロを管理できるとは思えないので、茹でるのは僕の仕事だ。

工数面での採算は度外視するのが前提なのだが、アイリー流讃岐饂飩は、はっきり言って、極上の部類に属する。

あの店よりコシがあって、かの店より滑らかで、噛み締めがあって、そして畳み切るぶん 長いウドンなのだ。 

そして娘にあっては、「あたしがモミモミしてフミフミしてグルグルした、おウドンのほうがおいしいのに、どうして おとーさんは おいしくないソバを作ってしまうの〜」 なんて思っているかもしれない。

ここはひとつ、蕎麦打ち教室に入門するべきなんだよな と僕は思った。

自分でお金を支払うぶん、当然気合いがはいるし、その成果も大きいだろう。

ふと、13年前に卒業した僕の最終学歴「水島自動車教習所」の先生の顔が浮かんだ。そして僕は劣等生だったことを思い出した。あそこを卒業しているのに、当時の自動二輪免許の限定解除に2回も失敗するのは、へたくそ と言われてもしかたがないことだった。

おさ○ちゃんの蕎麦教室が、僕の次なる最終学歴になりそうだ。

もしも許されるならば、妻も娘も同時に受講させてもらえると ありがたいことかもしれない。

店を出ると、雨はあがっていた。

どういうわけか今度は、職場の後輩ライフルマンの顔がアタマに浮かんだ。

彼は、強度の蕎麦アレルギーを持っているそうで、うかつには立ち食いウドン屋さえ利用できないらしい。麺を温める湯が うどんそば共用だった場合、たいへんな事態に陥るのだと言う。

僕は最近、ちゃんとした蕎麦屋で食ったあとには、少しだけ舌に痺れを感じるようになった。妻にそれを伝えても、彼女の舌はなんともないと言う。

「もしや・・・・・」

齢40を前にして、ようやく蕎麦の味が判りはじめたばかりなのに、そして道がついに開きはじめたばかりだというのに 

危うしアイリ〜

求道の途は 厳しいかも知れない

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