=鉄の橋=

師匠と手打ちうどんの道

うちの妻が小学生だったころのことですが、彼女が言うには、学校の学年主任の先生が主催された「母と子の手打ちうどん教室」なるものに参加したことがあるそうです。

その先生は、教職を去られた今でも、時折 地域の公民館で「うどん教室」を開講なさっていらしゃるそうです。

この先生、実はわたしの高校時代からの友人のおやじさんだったりするのですが、その友人がわたしに言うには、先生は香川県がご出身で、岡山県の倉敷市に居を移されてからも、ずっとこの地で、ウマイうどんを探求なさっていた ということでした。

そして何軒も渡り歩いた末に、ようやく妥協できる店を見つけたそうです。

が しかし、それも長くは続きませんでした。

そのウドン屋さんは、ある日 突然廃業なさったそうです。

(ちなみにその店は、ウチから歩いて1分のところにありました)

再び、先生のうどん探求の道がはじまりました。

当時の倉敷市にある既存の店では、もはや先生の欲求を満たすことは もうなかったそうです。

先生の自分で作る「手打ちさぬきうどん」は、ここから始まった と、息子であるわたしの友人(南千住在住・37)は言います。

「ずいぶん まずいおやじ作のウドンをしばらく食わされたもんだぜぇ」

おそらくは生徒さんに教えるために、ずいぶん準備・練習をなさったことだと思います。そして場数をいくつも踏んだことで、先生の求めるうどんが完成形に近づいたある日のことです。そのわたしの友人が帰省してきたのですが、そのときわたしは彼の家に招かれました。

「アイリー君(仮名)!!君は今、さぬきうどん大学に通っておるんじゃな。さ、さ、わたしのを食べてみて感想を聞かせてくれぃ」

21歳の当時、マイ・フェイバリット・ウドンは「琴平の○武」さんでしたが、師匠のうどんの出来は素晴らしいものでした。キシキシと噛み締めのある、かつ滑らかな「正統なさぬきうどん」でした。ただそのころのわたしは、さぬきうどん大学に籍をおいていましたから、ムリに自作しなくてもウマイのをいつだって食うことができました。そのときの感想そのものが平凡なものだったのには仕方ありません。

うどんツアー

わたしは岡山の実家に戻って就職してからも、しばらくの間はバンドの練習ということで、スネアドラムをW1S-Aに結わえつけ、フェリーに乗っては、香川県高松市によく通いました。ですから、わりあい頻繁にうまいうどんを食う機会がありました。

もちろん、瀬戸大橋は そのころ既に開通しておりましたが、往復割引券を使っても、乗用車で¥9,000 バイク・軽四で¥6,400という開通当時の料金は、サイフに大きなダメージを与えました。

よって、極力利用するのは避けていました。

キツネの妖怪は、はたして関銭を持っているのでしょうか・・・・

わたしのサイフの状態とは裏腹に、香川県は県外客の誘導に成功しつつありました。その原動力のヒトツには「うどんツアー」ブームが挙げられるでしょう。現象としては、ガイドブックを片手にして、タクシーを借り切ったりレンタカーを使ったりして、うどん屋さんを何軒もめぐる・・・というものです。

バンドの練習あるいは出演の機会がすこしずつ減ってきた当時、わたしはクラウン・ワゴンのポンコツを、シーカヤックのキャリアカーとして使っていました。7人乗りでしたが、そのうち2人はトランクに後ろ向きに座らないとならないタイプの車で、車酔いのことを考慮すると、やはり5人までが安全に乗車できる限度でした。仮にうどん屋5軒を回ったとして、どんなに無謀な食べ方をしてお金を遣ったところでヒトリ当たりの舌代は\2000程度でしたし、交通費もアタマ割りにしてしまうとたかが知れているのは、確かなことでした。

わたしが29歳のころ、白い軽四輪に乗る女の子と知り合いました。後にその彼女が、わたしの妻になったわけですが、そのころに思いました。

「これで、安くウドンが食える〜」

☆ようやくマクラが終わりました〜。やれやれ

おやくそくの橋

前述したわたしの友人「南千住在住37才」は、もともとの素養もあったところに厳しい修行も経て、本当に立派な「プロのカメラマン」として、現在大活躍しています。わたしが28才のころ、何気に観る機会があった「WAHAHA本舗」さんの舞台資料の中に彼の名前を見つけたときには、彼の成功をココロから喜んだものです。

そのころ、彼はマ**゛ンハ*ス社「ブ○ー☆ス」誌でも、活躍していました。

ある企画で「編集者の人と一緒に香川県の小豆島に行きます。ついでにカヤックを海に浮かべます。来なさい。」

という、なんだかよくわからない電話が、彼からかかってきました。

既にどこかに書いたかもしれませんが、わたしにカヌーを教えたのはこのカメラマンだったりします。彼が所有するカヌーはリバースチール・トランパー、つまり川崎製鉄のアルミフレーム折り畳み式カヌーでしたが、ここではそんなことはどうだってよいです。

彼に会うのもずいぶん久しぶりだったので、わたしは出向くことにしました。

わたしが彼の取材に同行したこのとき、編集者「O本」さんと知り合うことになりました。O本さんは、わたしとの別れ際に言いました。

「なんでもイイから おもしろいアイデアを持っていたら教えてね」

そのときわたしの口をついた言葉が

「さぬきうどん 24時間24杯」

たぶんこの瞬間に、「鉄の橋が架かるまで帰ってくるな〜と弘法大師に退治されたキツネの妖怪」がわたしに憑依したのかもしれません。

電波少年の気持ち

まだまだ今ほどには、忙しくなかったこともあって、ある日会社を休んでその24軒の案内役をやりました。実際には運転手です。各店ごとにぜんぜん異なる発注&支払いシステムについて、ガイダンスをやっただけでしたけど。そのときのライターさんは「S藤」さん。カメラマンはもちろんわたしの友人です。

たしかそのときは、ライターさんとカメラマンさんは、東京からひとまず岡山のカメラマンさんの実家に大本営を設置しました。

取材前日に、わたしの仕事がハネてから、打ち合わせ(宴会とも言うが)ということで、大本営に、妻(結婚する半年前でした)と一緒に出掛けました。

『うどん師匠(くどいですが、カメラマンのオヤジさん)』は、わたしが婚約者(当時)を連れて来たことを、たいへんよろこんでくれました。

師匠は、わたしの妻に対して、はじめのうちはおそるおそる敬語でしゃべっていましたが、やがてかつての自分の教え子であることがバレちゃったとたん、口調が「いかにも小学校の先生」にリセットしていましたとさ。

さて翌日の本番では、ライター「S藤」さんは前日の深酒が祟ってか、中盤からはハングアップ気味でした。その姿を尻目に、カメラマンとわたしのふたりは嬉々として、うどん屋をハシゴしました。

まだあの頃は今よりずっと若かったですし、それほど身体を張っているという感覚はありませんでした。そして雑誌が発売されたとたんに、各地に住む多くの友人たちから反響がありました。

「おい アイリー(仮名)! おまえ何をやってんねん〜」

それから6年が経ちました。

編集者「O本」さんは、ご手腕を発揮なさっていらっしゃるようです。しばらく前に、雑誌「リ◇ック△」の編集長に就かれたということでした。その雑誌には、「コーネリアスの惑星見学」というコラムがあります。

というわけで、ネギを畑から自分で取ってきて刻んで食わせるあの店で、コーネリアスさんが刻んでくれたネギ入りの釜玉を食ったんです。

ちなみに画像は、ひやあつゲソ天のあの店です。

このときコーネリアスさんたち御一行様は、鉄の鳥に乗って、東京にお戻りになりました。そしてわたしは「進行性W病−BBS」のアイコンそのままの顔を全国にさらしてしまいました。サイト上では、頑なに顔を隠してまいりましたが、読まれた方には もはやバレバレです。

この件も、多くの反響がありました。

「うどんMLに どうして コーネリアスの話題がでてるの??? おかしいなあ・・・」 『コーネリアスML』と『さぬきうどんML』の両方に入会されている方のパソコンに影響があったみたいです。

またあるいは、一回も本物の「さぬきうどん」を食したことがないのにもかかわらず、拙サイトのレシピだけで、果敢にも自作手打ちうどんにバンザイアタック&見事玉砕した茨城在住の若き金属職人さん宅にまでも影響は及んだそうです。(← 伏線です〜)

またまたあるいは、エロ助(会社の後輩・ライフルマンと同期)には「どうして サインを貰ってきてくれなかったんですかー」と、地団駄を踏まれてしまう始末。

「悪いねぇ お若いの。」

9月15日ごろのことでした。

何気にパソコンを立ち上げてメールチェックをしようとしたところ・・・・

「アイリー(仮名)。いやだったら断ってもいいんだぞ。でも、またまた依頼なんだ。」

今や「本物の讃岐うどん」を撮らせたら、世界でも数本の指に入るカメラマンとなってしまった友人からのメールでした。「ライターの『S藤』さんから、おれとおまえは、ご指名なんだよ〜 とほほほほ」そこでわたしは依頼の内容を確認してみることにしました。

やはり、依頼のあったその企画とは・・・・・・

あまりの内容のオソロシサに、わたしは思わず今回のクライアント「S藤さん」に問い合わせました。「わたしだけでは心許ないので、若いもんを連れていってもいいでしょうか?」

というわけで、傀儡怪獣「ミクラス」「ウインダム」を引き連れて現場に参上しました。(つまり「はらだ3.1画伯」と「エロ助」)

この模様は、10月末ごろ発売の雑誌「Title」(文芸春秋社刊)にて発表される予定です。

雑誌発売後に、記事に差し支えない範囲でレポを追記してみようと思っています。

うどんオフ

電波少年風な取材から自宅に戻って、パンシロントローチと膨満感に効くザッツをドーピングしつつ、千葉の「くらげさん」に、ちょっとドアーズに関する質問のメールをしました。その際に、その日にあった出来事をちょっとだけ報告したところ、大変うらやましがられました。

ちょうどそのころ、偉大なる金属職人「ストーンくん」も、忙しい仕事がやっと落ち着いたっていうことで、彼のサイトには「独り言日記」コーナーを新規スタートしていました。拝見すると、いきなり「うどん食いてぇ〜」という咆哮が、書かれてありました。

「じゃあウチに来ますか? 本物の讃岐うどんの花園にお連れしましょう。5人までなら、現在はなんとかウチにお泊めできますから、適当に安全な計画でどうぞお越しください」とメッセージを送ったところ、どうやら「あたかもアポロ計画」が綿密にあっさりと画策されたようでした。

千葉県で合流するくらげさんとストーンくんは、車で一気に名古屋まで走ることにしたようです。

そこで、Yuzuru君を拉致し、あろうことか彼に運転をまかせちゃう という非常に安易かつ周到な計画が「あっという間にまとまりました」と連絡が来ました。

ゴールデンウイークに我が家に訪れて、まるでフロイト理論を実践するかのように、茶色のベルトをウチに忘れて帰ってしまったコロくんからも、アポロ計画がばれちゃっているのでしょうか、こんな感じでメールが来ました。「ゼロ君といっしょに行ってもいいっすか」

え〜い。3人でも5人でも、もはやほとんど一緒です。

というわけで、前泊した学生チームと(前泊っていっても、午前4時まで呑んでましたけど)わたしと妻娘は、ウチのTB2(くどいですけどハイエースヴァン)に同乗して、瀬戸中央道(山陽自動車道から、四国方面に行く高速道路)の「水島IC」と「児島IC」の中間にある「鴻池サービスエリア下り線」に向かいました。

午前8時ちょっと過ぎに、わたしたちはアポロ計画チームと合流しました。

無事な到着と再会を喜びつつ、わたしと学生さんチームは、ストーン君の車に、乗りこみました。

そして、うちのTB2号は妻の運転によって、児島ICで下車・回収される手筈になっています。

1軒あたりの所要時間を、すべて5分以下にくい止めて、ひたすら移動を繰り返すためには、どうしても子連れでは、ムリなのです。

「アイ・ハブ・コントロール」

妻と娘に見送られながら、わたしはアポロ(ハイエース・ワゴン改/3000ディーゼルターボ)のステアリングウイールを握りました。そしてアポロ号(ターボ猿人)は、鉄の橋を通って、あっさりと四国入りしました。

どこの店に行ったのかについては、ほかのみなさんのサイトで御覧頂きたいと思いますが、ともかくも、前の週に雑誌取材をお手伝いしたときの印象をもとにしてチョイスした「胃袋の許す範囲のなかで楽しめる店」を順番に回ってみました。

くらげさんとYuzuruくんは、わたしがお連れしたすべての店で、がんがん食っていました。

午後になって、鉄のフェリー(あたりまえか)に載って、全員をウチにお連れしまして宴会を開始しましたが、不覚にも睡魔に負けてしまいました。わりと早くから寝てしまいまして、あんまりお相手できなくって申し訳なかったです。

さて、翌日。わたしが目を覚ますとストーン君が 「クウガはどこのチャンネルで見れるんですかー」 と言いつつ起きていました。わたし同様、小学生の心を持ち続けていますね。

仮面ライダーを見た後に予定通り『進行性』風さぬきうどん自作講座の開講となりました。 実は、拙サイト「ウドンを打つ」コラムでは、ある作業をまだアップしていないのですが、そこいらへんも含めて、まるで「うどん師匠(カメラマンの父上)」になったような気持ちで、オフライン手打ちうどん講習会を催してみました。

しっかしストーン君ってムッチャ器用です。ちょちょいとアドバイスしただけなのに、もはやウドン切りは、わたしよりウマイ。性格とかもあるのでしょうが、精度を要求される職業柄によるものかもしれません。くやしいくらい上手です。

うーむ。教えなきゃ良かったか〜。

というわけで、わたしはこの10日間でうどんを50玉くらい食いました。

そのうち、さぬきうどん系は90%くらいの比率でしたでしょうか。どんべえ・ごんぶと・稲庭うどんなどは、讃岐うどんとしてはもちろんカウントいたしません。食ってるわけですけどね。

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