その昔には降水量が少ない、河川がない、山間部であるなどの理由から、水利の便が悪かった地域では、水をたくさん必要としない穀物が、主に栽培されていたそうです。
今となっては、水稲の白いお米がわたしたちの主食となっていますが、かの昔の「うどん」とか「蕎麦」は、おそらくは税を納めたあとに残った穀類を使った粗末な主食だったのではないかと(勝手ながら)思います。
その朴訥な「飢えをしのぐ」ための方法が、いつしか洗練されたものとなったり、またあるいは合理化が進められるなどを経て、現在のような姿になっているのでしょう。
これは日本中のいたるところに見られる『とにかくなんでも「弘法大師」のご利益伝説』に由来する故事になっていたりすることなのですが、讃岐の地(現在の香川県)には、「弘法」さまが、『饂飩(ウドン)』と『溜池』を、唐から持ちかえった技術でもたらしたという伝説が残っています。 そうした灌漑事業によって、実際に農作物の生産高は向上したということです。
そして、その農作物の集積場(現在のJAみたいなものか)で、ウドンが作られるようになり、現在に伝えられるのです・・・・という能書きが、岡山市街にある「うどんや」の看板に書いてありました。(← 結局パチリかい〜)
弘法大師さまのおかげで、わたしはウドンを食うことができます。ありがとうございます。(わたしんちは、別に真言宗徒ではありませんが〜。)
さて、弘法さまにまつわるお話で、「飢饉をもたらすキツネの妖怪を、讃岐から追い払った(⇒そういうストーリィなんだから、しょうがないっす)」伝説があります。その討伐の際、「鉄の橋が架かるまで、帰ってくるな」と、その妖怪に命令したそうです。四国と本州を結ぶ『鉄の橋』がすでに3本も架かってしまった現在、キツネの妖怪は戻ってきてしまったのでしょうか、あきらかに、まずくなってしまったウドン屋が・・・バキ!いてててて
さて、本来は粗食だったかも・・・ ってところに戻しましょう。(あいかわらず構成ヘタ)
香川のうどん屋さんのなかで、脈々と現在も伝わる「昔は農作物集積場だったらしい場所」や製麺所などで食わせてくれるお店では、もっとも安価なところで一杯70円、高くても200円くらいで「かけうどん」が食えます。(大盛になるともう少し支払わないといけませんが)
そういった価格帯で提供してくれるうどん屋さんの商売構成システムは、たいていセルフサービスです。「○゙○ールコーヒー」の仕組みをもっとオープン&アバウトにしたようなものだと思ってください。ただしそれは、コストを下げるためのセルフサービスではなくて、もともとが集積所だったところの特別なはからいで、食事をさせてもらえる、ということが根底にあるシステムなのです。
こうした背景が醸すうどんは、すっかり洗練された『鍋焼きうどん』や、落語の上では粋な食べ物になってしまったりしている『蕎麦』などとは、一線を画していまして・・・
「いらっしゃいませ」と水(お茶)やおしぼりが出てきて、「ご注文は?」「はいかしこまりました」「お待たせいたしました」・・・
やがて大仰な器に入れられ、ややこしいトッピングを施して盛り付けられたうどんを見た瞬間に暴れそうになり、ひと筋食って暴れかけ、そして勘定をする段階で本当に暴れてしまった、南千住に在住のわたしの友人(37)の気持ちがよくわかります。
彼は言います。
「あの感覚を、経験したことのないヒトに伝えようとしても、まずムリなんだよなぁ」
わたしもそう思います。「さぬきうどん」は関東圏では、あんましウケないでしょ〜ね!
だいたい、カツヲ+昆布+椎茸ダシをもってOKとする文化圏で、イリコダシを展開することの危険性についてもさることながら、真実のさぬきうどんは、うどんの麺そのものが、かなり塩っぱいってことが信じられないコトだと感じるのではないかと思うのです。巷では、関東のうどんダシは、まっくろで辛いと言われますが、わたしの経験だと、麺自体にさほど塩分を感じませんでした。おそらくさぬきうどんのほうが、トータルでははるかに辛いということを、わたしは知っています。
またあるいは本当に讃岐の地で、職人として修行なさったかたが首都に出店したとしたら、価格の面で良心が痛んで、とても商売になんてならないような気さえします。
大阪は吹田に住む後輩「ライフルマン」にあっては、うどんってものは「やわらかくっておいしい」ものだし、PA屋社長「さか◇と」君によると、消化器官の弱った病人が食うのには、コシなんてないほうがよいという考えもあるぞ〜という旨を述べます。
確かに、それもわからないことでもないですが、そのあたりのことはすべて肯定したうえで、わたしはこれからも持論である「ソウルフードとしての讃岐うどん」をガンガンと展開していこうかと思います。
18才のとき香川県高松市の下宿から外出して、はじめて自分の生活費がはいったサイフから200円を支払ったあの日からはや18年。思えばずいぶん「本物の讃岐うどん」を食いつづけてきたよなあと感慨にふけるものですが、そんなある日、フト気付いたことがありました。
(同じ人間がすることなんだから、いつの日にかわたしにだってうどん職人と同じレベルのものが打てるかも知れない・・・)
それ以来のわたしは、学生のころによく通った店と、近年さまざまなメディアでウマイ店として紹介されている店を、ただ単に食べ歩くのではなくて、自作するための研究・考察をするようになってしまったのです。
「うまいうどんを自作するためのテーマ」
アクティビティを楽しむのは当然のことですが、自作「手打ち」プロセスも楽しいものです。一般に世の中では、これを貧乏性と呼ぶかもしれません。