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=ロケーション=

昨夜は、職場の後輩にあたる女の子たちが、三人して我が家に遊びに来てくれていた。それは、もうすぐその職場を去ることになる僕に対しての、ささやかな私設送別会のようなものだったかも知れない。ちなみに彼女たちは、その夜の宴会メニューについて、僕にきっちりと、指定していた。

「ぜひ、ウドンをお願いしまーす。」

他愛もない話をしながら、宴会は、3.1画伯が居たあの頃と何ら変わることなく進んだ。妻もご機嫌である。娘は絶好調を呈していた。事態を察知してか、3.1画伯からは、あたかも嫌がらせのように、一時間毎に、電話や電子メールが、我が家に届いていた。

12時を少し回った頃に、彼女たちを見送った。そのあとで、僕は妻に言った。

「昼過ぎには戻るようにするから、ツーリングに出て良いか?」

「無職のあいだは、そんなにウロウロできんやろから、まあ行ってきなはれ。どーせ、わたしらは、昼まで寝てるやろし。まあ気ィつけてね。」

行って良しと、許可を貰った。逝って良し、ではない。死ぬわけにはいかない。

朝になった。僕はW3を庭先に出した。二月の終わり頃あたりから数日の間、陽気の良い暖かい日が続いたので、春の弥生のこの良き日も、きっとそうなんだろうと予想していた。だからそのぶんだけ、このとき吹いていた風の温度が冷たかったことには、いくらかの驚きを、隠すことはできなかった。

僕は、国道2号線を、西に向かった。はじめのうちは、寒さについて我慢できていたし、それほど気にもならなかった。しかしながら、生理現象には勝てない。広島県境あたりで、コンビニエンス・ストアのお世話になった。

用を足したとたん、急に寒くなったから、僕は温かい缶コーヒーを買って、指先の暖を取った。すっかりその目的を果たして、ぬるい温度になった頃に、僕はタブを押して缶を開いた。二本目のハイライトに火をつけて、なんとなくW3改(ヘン)を眺めていた。どういうわけか、サイドスタンドが地面についているあたりが、液体で湿っていた。よく見てみるとすぐに、何が起こったのかが、僕には理解できた。左キャブのあたりから、透明な液体が、ぽとりぽとりと雫になっていたのだ。左側のフュエル・タップとカービュレタのバンジョーを結ぶパイプが、どうやら劣化のせいだろう、裂けている。

僕は以前、このパイプを新品にしたと思い込んでいたが、どうやらそれは勘違いだったようだ。たぶんそれは、「俺の号」のほうだったんだろう、僕は舌打ちをしながら、つぶやいた。
「手を抜いたら、しっぺがえしが来るんだよな。だけど乗るんだ。」

ここは応急で、パイプを仮設することにした。カービュレタがオーバーフローした際、溢れた燃料を逃がしてやるためのドレンチューブを切断して、代用しようと思った。僕は、またコンビニエンス・ストアのお世話になった。ティシューペイパーとカッターナイフを買った。ナイフはチキチキと刃が出てくる、一番ポピュラーなタイプのやつだ。フュエルラインの内径とドレンの内径は、少しばかりフュエルラインのほうが大きいので、僕は刃先を使って、慎重に座繰りを入れた。作業を終えて、ティシューペーパーでカービュレタを拭ったり、アスファルトの地面を掃除しながら、時計を見た。午前8時30分だった。ここで30分も時間のロスを食らったことを反省しながら、僕は西に向けて、再出発した。

今日のツーリングの目的は、「せとうちW1倶楽部」を主宰している「せとうちRSさん」たちと、映画の島で会う、というものだった。それに、せとうちRSさんは、近々のうちに神奈川県に転勤なさる、ということを聞いた。お会いすることもこれからは、なかなか難しくなるだろうと思ったので、今日は参加することを、急に決めた。11時くらいに尾道駅周辺で集まるということは、数日前に伺っていたけれど、今日は三月三日の雛祭り。一人娘のいるわが家にとっては、ビッグなイベントのひとつが午後から催される日だ。だから、12時少し前には、高速道路に乗って、家に戻るつもりの計画だった。


去年の4月には、妻と娘と3人で、愛媛県の砥部という町にある動物園に行ったことがある。そのときの帰り道には、しまなみ海道を使って、愛媛県今治市から広島県尾道市に渡った。

いくつもの島を、それぞれ高速道路で結んだものが、しまなみ海道なのだが、一部の区間は今でも、一般道路だ。この島々は、日本でも有数の柑橘類生産地として知られている。そして、農家直営なのだろうか、軒先の縁台には、赤色のメッシュで作られた袋に、いろいろな種類のシトラスを詰めた袋が、並べられてある。

生口島(いくちしま)にあった、比較的規模の大きな直営店に、わが家の三人は立ち寄った。僕はそのときに初めて食べた「デコポン」という名前の改良品種が、すっかり気に入ってしまった。そんなにいっぺんには食べられないからと静止する妻をよそに、僕はまとめて5キログラムほど買い込んだ。なんのことはない、そのデコポンなる柑橘は、わが家にあって、ほんの数日間で全て消費されてしまった。ウチの近所にあるスーパーでも、それは流通されていないことはないので、時折買い求めてくることもあるが、一個が180円前後という値付けは、僕を敬遠させる。やっぱり、1キログラムで400円、つまり5、6個くらいの値段じゃないと、手を出せない。


そんなこともあって、今日のツーリングのついでに、あのときの直営店に行こうと計画した。お土産は、左近の橘だ。雛祭りにはちょうど良い。

9時半過ぎには、僕は尾道駅の前にいた。待ち合わせの時刻までには、まだずいぶん時間があるだろうから、ケインさんも、せとうちRSさんも、Y2君も、タッチ君も、そこに居るはずがない。それに、僕はまだ、今日のツーリングを兼ねるオフ会に、出席するということを、みんなに伝えてはいなかったから、待ち合わせているというのも、妙な気分だった。僕は、その場所でハイライトを一本吸って、立ち去った。110円を握って、小さなフェリーに乗ることにした。

僕の後ろには、トヨタ・カローラが続いて乗船した。このサイズの車ならば、ちょうど三台分で車両甲板は満車になる規模の渡し舟。着岸した先にある料金場で、おばちゃんに料金を支払った。そして、僕はこの島の中央部にあるインターチェンジを目指した。この島には、何度か来たことがあるから、大体の土地勘がある。船着場から続いているちょっとした古い商店街の町並みを抜け、割合と広い道に出た。しばらく進んで左にまがると、「立花・岩子島方面」という道路標識が見える。そこからもう少し進むと、西瀬戸自動車道の「向島インターチェンジ」に出る。今ちょうど僕がいる向島と、それに隣接する因島とは、かつては、それを結ぶ渡船があった。残念なことに、もはやそれは、橋にその役割を譲ってしまっていて存在していない。ただ僕は、因島と生口島の間にあるフェリーは、今でも機能していることを、知っていた。

生口島の瀬戸田という集落を目指して、僕は高速道路にのった。それから、二つの大きな橋を渡った。もちろんそれは、島と島とを結ぶ橋だ。たぶん10kmも走行していないと思うのだが、僕はその通行料金を支払う際、その金額が950円もすることに、毒づいてしまった。ずいぶんと輸送コストが嵩んだ柑橘を調達することになるんだなあ、と。

目的の店には、それから程なくして到着した。僕は、さっそくデコポンをはじめとして、様々な種類が並ぶ柑橘を、かたっぱしから試食していった。そして、30リットルの容量があるドライバッグに、積めるだけ詰め込んだ。2000円ほど支払ってから、その荷物をリアフェンダーの上にタイ・ダウンした。

今日のW3は、かなり軽装だった。メグロのシングルシートをつけていたし、おまけに工具も一切、携行していない、なんてカジュアルなツーリングなんだろうなどと思った。そして僕は、ケインさんの携帯電話に連絡を入れてみた。ちょうど尾道に着いたばかりだ、とケインさんは言った。ほかの皆さんとは、まだ合流していない様子だった。じゃあ全員揃ったら、また電話くださいね、とお伝えして、僕は、電話を切った。そして、この大きな柑橘類取り扱い店を、後にすることにした。

生口島から因島に戻るのには、くだんの料金を払うのを嫌って、フェリーを使った。因島から向島までは、高速道路を兼ねる橋を通行するしか方法が無いようだ。この島に立ち寄るのは、僕にとって初めてのことだったから、すこしのんびりと、景色を楽しみながら走ろうと思った。船を下りて最初の角を左に曲がった。案外と太く、見通しの良い道が続いた。路肩も、非常に良く整備されてある。

とそのとき、僕から見て四台前の車が、対向車線をはさんだ右にある家庭電器量販店に、入ろうとしたのか、突如速度を落として右に方向を振った。後続の車両は、たまらず急ブレーキをかけながら、その車の左側をスリ抜けた。その次の車は、スリップしながらも、なんとか追突することなく停車していた。僕のW3の前にいた、スズキのワゴンRは、後輪を大きく右に振りながら、アタマは路肩に向けて進んでいた。僕はと言えば、なんとか回避しようと、前輪ブレーキを懸命に握っていた。が、行く手には、逃げ込むスペースは、もう無い。僕は、なんとかワゴンRにぶつからないようにしようとするのが、精一杯の努力だった。B級映画にもとる、アクションシーンだ。

そして、W3は、右方向に倒れた。僕自身はと言えば、歩数で数えて一歩分だけ、放り出されたかたちになった。少しよろけてしまって、右手の掌が、ワゴンRの左側面の後ろあたりに接触した。僕は、ほんの僅かだったが、ワゴンRに衝撃を与えてしまった。もしもあと50センチくらい、前方向にスペースが残っていたなら、W3を見捨てることもなかったし、倒すこともなかったかなと、後で思った。実際、その程度の速度までは、減速することが出来ていたのだ。

倒れたときの衝撃で、右のミラーが割れた。アクセルグリップが僅かに削れ、右のステップが、内側に大きくへしゃげてしまっていた。ただ、エンジンやタンク、カバーに灯火器類には、まったくダメージが無かったのは、幸いだった。メグロSG用を使っているウインカが、もし壊れていたら、ずいぶん僕は落ち込んでしまったことだろう。

僕の履いていた14オンスのデニムパンツは、右膝が破れていた。そして、じんわりと血が滲んでいた。どうやら擦過傷が、いくつか出来ているようだ。でも、それ以外には、僕の身体には、これといって異常を感じなかった。

えい、とW3を引き起こした。と同時に、ワゴンRから、二十歳くらいの女の子が出てきた。大丈夫ですかと平謝りを繰り返す彼女に、僕は冷静に告げた。

「まず、わたしの立場を明確にします。いいですか。僕は、加害者です。僕の右手が、あなたの車に追突しました。警察に来て貰って、現場検証していただくのが筋です。どうしますか。あなたは、被害者です。あなたが決めてください。わたしは従います。」

淡いシルバーの車体に僕の掌が与えた衝撃が、まったく見受けられなかったので安心したのかも知れないし、僕のオートバイの壊れ方が、存外に派手に見えたのかも知れない。彼女は、ただひたすらに、僕に謝りつづけていた。ミラー破片の散らばり具合が、きっと彼女をそうさせるのだろうと思いながら、僕は彼女に違う別の言葉で確認した。

「あなたが望むのならば、僕は名乗りません。あなたの名前も、僕は伺いません。ただ、僕が勝手に転んだだけのことです。それでいいですか。」

それでもまだ、彼女は、ごめんなさいという言葉を、繰り返していた。彼女に、僕とW3が、なんとか無事であることを認識してもらおうという意味もあって、僕は、とりあえずエンジンを動かしてみようと思った。転倒したときに周囲にこぼれ落ちたガソリンを、朝買ったばかりのティシューペーパーで拭き取った。それから、スターターペダルを踏み降ろしてみた。ここで一発で始動したのは、ラッキーなことだった。でも、キックした足をペダルから離しても、ペダルは上がってこなかった。ペダルはすこしだけ歪んでしまったのだろう、サイレンサに引っかかるようなかっこうで、止まっている。それから、どういうわけか、エンジンが始動すると同時に、腰上からオイルが漏れ始めた。

転倒を経験したW1F・W3Fは、そのダメージを、エンジンのヘッド部に伝えることがある、ということを、かつて聞いたことがある。まさかそれなのか、と僕は戦慄した。今日は、工具を全く持ってきていない。僕の脳裏には、工具を満載したサイドカーに乗って来ている筈のケインさんの顔が浮かんできた。

と、そのときである、僕の携帯電話から着信音が聞こえた。タッチ君からだった。

「合流しました。」

つまり、尾道の港には、三台の650RSとカタナが一台、揃ったということだ。それから、今後の段取りを電話で調整しようということで、Y2くんに電話を替わってもらった。そして、向島と岩子島を結ぶ赤い色の橋の袂で、合流することが、決まった。

僕は電話を切った。ポケットに仕舞おうとしたそのとき、ワゴンRと僕のカワサキの後ろに、一台の車が停まった。白と黒のツートーン、屋根には赤いランプが取り付けられてあるあの車だ。

「お尋ねしますが、それは事故ですか。」

彼女が、いいえ違います、と言ってくれたのを聞いて、僕は安心した。すでに彼女と僕の間とで、示談が終わっていることが、これで明確になった。僕は、警ら中とはいえ、声をかけてくださったおふたかたに、敬意を示して、僕はW3のエンジンを止めた。

「わたしが勝手に転んだのを、心配してくださってるんですわ」

そうした会話を交わしているときには、下手から上手へ、青いW1S-Aが通過するかなあと思っていたら、やはりそんなことが起きる筈はなかった。お巡りさんは、納得してパトカーに戻って行った。

さて、オイル漏れの対策をどうしようか、と僕は考えていた。ちょっと走ってみて、減り加減のチェックをしてみる。そして、それがあまりに酷いならば、助けを呼ぶことにしようと思った。ケインさんのサイドカーの中には、去年の春に、僕がプレゼントしたホンダウルトラGP10-40の缶が、まだ仕舞われていることを、僕は知っていた。

2、3キロくらいの距離を走ってみて、さあこれから因島と向島を連結する橋はこちらですよと書いてある標識の示す方向に、僕は曲がった。そして、路肩に停車して、オイルキャップを緩めた。じわじわと滲んでいくオイルの見かけに対して、減り具合は、それほど露骨ではないのがわかった。安心したそのとき、さっきまでいっしょにいたワゴンRが、W3の後ろに停まった。

「この先には、ガソリンスタンドも何も無いですよ。大丈夫ですか。」

僕のことを気遣って、彼女は後を付いて来てくれたらしい。彼女がそれを見て、何を理解することができるかについてはわからないけど、僕はオイルゲージをもう一度抜いて、残量を見せることにした。

「あと5キロくらい走ると、友達と合流するから、きっと大丈夫です。どうかご心配なさらずに、行ってください。」

彼女には、もう帰ってくださいと促して、今度は僕が、彼女を見送った。お互いに、名乗ることはなかった。もしも彼女が、とびっきりの美人だったとしたら、その状況はおおいに変っていたかもしれない。

さて行こうかと思ったとき、僕の目には、大変な事態が、飛び込んでいた。フロントブレーキの、キャリパサポートを固定するネジが緩んで、今にも脱落しそうになっていたのだ。今朝の8時過ぎ、コンビニエンスストアの前でチェックしたときには、ワイヤーロックが、確かにそこにあった。ワイヤが無くなっているのだ。いったいどうしたことだ。

僕は、手で一杯に締めることができるだけ、ネジを締めこんだ。とりあえずは、あと5キロ持ってくれたらそれで良いと思った。それにしても、大変なことになった。右のステップが、グニャリと曲がって上を向いているということは、リアブレーキアームのストッパも、これが兼ねているので、踏むペダル部分は、ものすごく上に位置している。なんて走りにくいんだろう。

やがて僕とカワサキは高速道路に乗った。たった3キロの区間を利用しただけだったが、その間にあるパーキングエリアには、きっちり留まった。打つ手は無いけれど、オイル残量をチェックした。キャリパサポートのネジも、指で締めこんだ。

そして僕は、渋々としながら、向島インターチェンジの料金所で、650円を支払った。これ以外の方法が無い以上、止むを得ないことは、判っている。だけど、なんだか口惜しい気持ちがした。

ちょうどT字路になっている最初の信号を、右に曲がった。そして、ゆっくりとしたスピードで、向島の西側に面したコーストラインを、僕は走った。そこいらでは、ガードレール沿いに車を止めて、何本もの竿を出している家族連れに、何組も出くわした。春先の、のどかな光景だ。

程なく、僕の目の前に、赤い橋が見えた。つまり、その対岸が岩子島だ。走るペースをあまり上げられなかったので、ずいぶんと待ってもらっていたはずだった。皆と合流したら、遅れたことを、まず謝ろうと思いつつ、橋に続く右にのぼるスロープを駆け上がった。

橋の袂には、誰も居なかった。僕の頭からは、「ごめんね。遅れちゃって。」という台詞が消えていった。既に4人は、別の場所のどこかに移動しているのだろうと、僕は思った。

坂か学校か寺か灯篭。坂を登りきれば、寺があるし、そこをつづらに曲がってすぐのところに、学校跡地がある。大穴狙いで、灯篭というとこかな、と考えて、まずは大本命の、坂を目指すことにした。

がしかし、曲がる所を見落としてしまっていた。そのせいで、僕とカワサキは、小さなトンネルを通過していた。しまった、このまま進むと、大穴の灯篭が先に来る、と悟った僕は、すぐにUターンして、もういちどトンネルをくぐった。そして、確かここだったとおぼしき辻を曲がった。実に細い路地だ。

オイルの残量が、限度を下回ってしまったのかも知れない、坂を登りながらそう思った。ロッカーケースの中から、ジリジリ虫が囀っているような音が聞こえ始めてきたのだ。うねうねと続く坂道。ジリジリと鳴るエンジン。気持ちはさっぱり冴えない。白いワンピースを着た色白の女が、ちょうど僕を待っているところだったとしても、きっと同じだっただろう。

あと2回曲がると、寺に到着するカーヴを曲がった瞬間、僕は安堵感に包まれた。黒いジャケットを着た色黒のおっさんが、そこにいた。もしかすると肝機能に問題があるのかも知れないよなと、たいへん失礼な心配をしながら、その場所まで進もうとしていると、カメラがこっちを向けられていた。

すっかり気持ちが萎えていた僕には、軽口を叩くだけの気力は、もう残っていなかった。とにかく、ケインさんから工具を借りたり、オイルを分けてもらったりして、まずは急場を凌いだ。

ちょうど、せとうちRSさんは、Y2君をカメラディレクターにして、ロケをやっている真っ最中だった。コピーを製本したらしいものと、「a movie a book」という書籍を手にしながら、構図を決定するのに余念が無い姿を見て、僕は、ひとしおの感慨を得た。好きなものには、たまらない世界なのである。


「撤収」

こうした合図があったかどうかは、定かではないが、移動することになった。そのまま坂を登りきった奥にある寺に行くのかなと思ったら、そうではなかった。先頭を行くY2君は、右に曲がった。もしも車高が低い車両だったら、まず確実に腹を擦ることは間違いないと思われる、右ターンを伴う急な下り勾配に変化した細い道が続く。

右ステップが捻じ曲がってさえいなければ、足を出すこともない場所だけど、この状態では踏ん張りが利かないから、現行のMFJレギュレーションでは、減点5を食らってしまう両足付き一旦停止をやりながら、僕はその場所を通過した。

50メートルほど、この坂を下ったところに、農業改良センターがある。旧岩子島小学校が、所在していたところである。現在では、消防団の車庫も兼ねているらしく、団のかたが制服を着て、なにか用事を片付けていいるところだった。ここで、鉄パイプをお借り受けした。それから、今朝コンビニで調達したばかりのカッターナイフを、右のステップゴムの裏側に突き立てて、グッとその手を引いた。ぱっくりとゴムは割れ、ステップそのものが、顔を出した。皆さんに車体を押さえてもらって、パイプをステップに差し込み、グググと力を加える。

程なく、ステップは、元の形に戻っていった。ケインさんからビニールテープを借りて、割ったステップゴムに巻きつけた。これでOK。操縦性は、もとに戻った。先程のようなタイトターンに出くわしたとしても、楽勝で通り抜けることができるだろう。

アクターとディレクタが打ち合わせをしている様子が見受けられたが、誰もこの場所のなかでグルグルと走ろうとしていなかったので、スタントは僕の出番だ。あのくらいのスピードでなら、リアブレーキターンをするのは、わりあい簡単なことだ。まずは旧校庭の中央あたりで一回、軽くブレーキターンをやってみた。別段どうということもなく、難なくこなした。続けて僕とカワサキは、校庭の右奥にある石碑あたりに移動した。そこで停車するときにも、車体を左に傾けて、軽くリアブレーキを踏んだ。

しまった。校庭中央部分と地面の質が違う。僕はカウンタを当てながら、MIT2に出てきたトライアンフのように、砂地ではブロックパターンのタイヤを履かせてからでないと、本来のパフォーマンスは得られないということを、ぼんやり悟った。やがてグリップを回復した車体が、今度は右に倒れようとした。30分前に怪我をしたばかりの僕の右足では、W3の車体を支えきることが出来なかった。

そして、ぼくは、また転んだ。ゆえに僕の技量は、白石美代子さんよりも、はるかに劣ることがこれで証明された。仕方ない、なにせ彼女は天才に近いんだ。僕には、かないっこない相手なんだ、と僕はまず銀縁フレームのメガネを右手で直して、次に鏡の無い右ミラーの縁に溜まった海砂を払い落としているとき、そう思った。

本当によく転んだ日だった。この島の、この校庭を訪ねたW3は、数知れないだろう。でも、この校庭で転んだW3乗りは、もしかして僕だけかもしれないなあと思いながら、もう一度鉄パイプをお借りして、ぐにゃりと曲がった右のステップを、再び修正した。岩子島消防団のかたに、二度も助けられたW3に乗っているのは、確実に僕独りだけなんだろうなあと、思った。

本日のアクターであるせとうちRSさんが、デイレクタのY2君に言った。

「あー。これは、W3の本来の使いかたではないから、あまり参考にしないように。」

たしかに、まったく参考にならない。

ケインさんが、僕のW3改ヘンの不良箇所を発見した。ロッカーケースには、バルブとロッカーアームの間隙を調整するための窓が二つあるが、そのうちの一方、つまり吸気側の窓のほうに蓋をしてある4本のスタッドのひとつから、ナットが無くなっていたのだ。オイルが漏れている原因が解明されたことで、僕は安堵した。タンクを付けたままで対策しようとしたけれど、却って面倒に思った。結局はタンクを取り外してから、せとうちRSさんに貰ったナットを締めこんで、応急対策をした。

いつの間に、このナットを欠失してしまったのかということは、もはや判らない。ただひとつ言えるのは、ここのボルトを以前に取り替えたとき、僕はステンレスのロングナットを選んだのだった。スタッドをカジってしまう、つまりステンレスのほうが硬度が高いので、鉄のボルトのネジ山を破壊することを恐れて、僕は、齧り防止剤を塗ってから、割合軽めのトルクで締め付けた。このことが敗因となってしまった一因かも知れない。

そして時間はとっくに正午を過ぎていた。この一連の処置のせいで、他の皆さんには、ずいぶん足止めを食らわせてしまった。ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。僕は妻に対して、あとで居直ろうと決意した。ここで、じゃあお先に失礼なんて言うことなんて、僕には出来ない。

やがて、消防団の方たちは、それぞれの車に乗って解散なさっていた。それと同調するかのように、ロケハン隊も、移動した。次のロケ地は、石灯籠だ。島の南西部分に厳島神社の鳥居があって、その先にある海には、石灯籠が据えられている。僕とカワサキも、細い石畳を通って、その鳥居のすぐ傍に行こうとした。と、そのとき、僕が通っているこのペイヴメントは、すぐ右に見える拝殿に続いていることに、気付いた。そして立て看板があって、「いかなる車両も乗り入れ禁止」と書かれてあった。今日の僕のテンションでは、その掲示に抗うことはできなかったので、その場でUターンして、本来駐車場で使うのだろうと思われた広場に、カワサキを停めた。今日のこの状態で、更に神罰の鉄槌を食らったりしたら、たまったものではないから。

それから五台を連ねて、尾道に向かうフェリーに乗った。いっしょに尾道ラーメンを待つ行列の最後尾に並んで、その間、いろいろとお話をした。こうなると、待ち時間さえも惜しいような気がしてくるもので、いろいろと話に花が咲いたぶんだけ、待つ時間は、短く感じた。

ラーメンを食い終わった。ロケ隊は、こちら側が広島県だけど向こう側は三国峠に出るという、有名なトンネルに移動すると言うが、ここでケインさんと僕は、岡山に戻ることにした。

走りながら、僕は妻になんと居直ろうかと考えていた。それから5サイト共同オフ会の模様を、どのようなかたちでレポートするかということを考えていた。どこをどう切り取っても、じゅうぶんネタになるだろう。

国道2号線を、緩い渋滞に巻き込まれつつ、僕たちは東に進んだ。30分くらい走った頃の信号待ちで、ケインさんが、オイルの量をチェックしてみたらどうか、と言った。ちょうどそのとき、僕は催してきた生理現象と闘っていたところだったので、じつにありがたい申し入れだった。そして、しばらく走ると前方にガソリン・スタンドがあった。W3-A・ウイズ・サイドカーと、W3-A改(ヘンしかもオイルまみれ)は、そこにすべりこんだ。

黒いセルロイド縁のメガネをかけた店員さんが、僕の側に小走りでやってきた。MASAくんをちょっと丸顔にした感じの若者だった。彼は、フュエルタンクとオイルサンプタンクのエンブレムを見るなり、満タンですかと尋ねてくるまえに、こう言った。

「これはW3ですか。僕は初めて実物を見ました。」

人懐っこそうな笑顔を満面に称えていたけれど、僕は慌てていた。

「レギュラーを満タンにしておくれ。そして、トイレはどこにありますか。」

彼が示したほうに、僕は走った。まったく現象には、勝てないよなと、すっかり安堵しながらW3のところに戻ったとき、まだ僕のW3のフュエルタンクには、ガソリンが注がれていなかった。店員さんは、ケインさんが無鉛ハイオクを入れているのを見て、僕にもう一度確認したかったらしい。というよりも、もしかして僕と会話したかったのが、そうした行動をとった理由なのかも知れない。

僕は、ガソリンが満たされるのを待つ間、オイルタンクのレベルゲージをチェックしようとしていた。ケインさんが、僕のところに歩いてやってきた。と、同時に、MASAくんを丸顔にしたような彼は、僕に言った。

「これに竹内力が乗って出た映画がありましたよねえ。(ママ)」

尾道ラーメンの大盛りを食ったばかりで、おなかいっぱいだった僕は、がく、と腰が砕けた。思わずオイルゲージを床に落としそうになっていた。そのとき、ちら、とケインさんのほうを見たら、クックックと苦笑いをしている。

これは良い。あたらしいネタができた。オチはこれにしようと思ったそのとき、彼は続けた。

「でも島は、白石じゃないとイケませんよね。(ママ)」

ほかにもいろいろと、比較論を述べつづけてくれていたが、割愛する。彼は進行性W病のゲストかも知れないし、この異形のW3がオリジナルだと思い込んでいるからかも知れないけれど、とにかく、僕の抱く「彼のオートバイ、彼女の島」論とあまりにも酷似していた。

同じ論陣を張る人間が、二人いると思うと、なんだか不愉快な気持ちになった。あまりにもくどいのだ。僕は、7リットル分の代金を支払って、わざと不機嫌そうな表情を作って、そのガソリンスタンドを後にした。

オイルの減り具合は、正常だろう。もう漏れ出していないようだ。家に戻って、じゅうぶんに冷えたところで、エンジンを洗浄してやろう、そんなことを考えていると、ケインさんと別れる場所に着いてしまった。

同伴してくださったことに感謝して、頭を下げ、手を振った。その場所から最初に出くわしたコンビニエンス・ストアに、僕とカワサキは、入った。どうも今日は、生理現象に苛まれる日だ。ここから自宅までは、せいぜい15分の距離だというのに、今日は、それさえ我慢できなかった。

タダで、お手洗いをお借りするのも失礼だから、タバコを買った。そして、これの封を切りながら、妻に電話することにした。今日の昼間、転倒したことで、いろいろとトラブルを起こしてしまったことは、ラーメン屋にいたときに伝えてあったので、用件は手短かで済んだ。もうすぐ帰宅する、それだけだった。

本来は、僕が家に戻った時点で、いっしょに出掛けるつもりにしていた。近所にある遊園地のタダ券を、貰っていたので、そこに連れて行って、そのあとで、いっしょにケーキ屋さんに行くという計画を、妻と立てていたのだ。4時半には、自宅に戻ることができる。せめてケーキ屋さんには、いっしょに行こうというつもりだった。

W3を格納庫に滑りこませた。さっそく僕は、右膝の手当てをしながら、ケーキ屋に行くから着替えろと、娘に言った。どうやら今日の段取りについて、妻は娘には伝えていなかったことが幸いしていたようで、彼女が大喜びしている姿をみたとき、僕はなんだか救われたような気持ちになった。

妻が僕に言った。

「W3で停まれなかったということは、W1S-Aでは間違いなく、大事故になってたよねえ。」

そして、こう続けた。

「W1S-Aが、もしも壊れてたら、アンタも今日みたいに平静じゃあなかったかも知れないねえ。」

さすがは、マッドダブワンオナニストの妻だけはある。僕の気持ちを、よく理解してくれている。これこそが、僕にとって癒しであり、救いだなと思った。

そして僕は、せとうちRSさんが、今日の昼間に言っていたことを思い出していた。

「そうそう。長男と次男とでは、不思議と扱いが変わってしまって、ついつい次男にはゾンザイになってしまうのよねー。」

ケインさんもせとうちRSさんも、ふたりの男の子の、お父さんである

たしかにそれはそうかも知れない。僕は、俺の号つまりW1S-Aを、ダブワンと呼ぶことがあっても、カワサキとは呼ばない。彼の号つまりW3を、カワサキと呼ぶことを敢えてやったとしても、ダブワンとは呼ばない。あたりまえだけど、マイ・ファースト・ダブリュワンは、W1S-Aだし、きっとマイ・ラスト・ダブリュワンも、W1S-Aなのだろうと思っているから、長男次男の話は、良く理解できる。

僕は、今日の転倒で右膝を怪我していた。そのため、車のペダルを操作しようとすると、激痛が走った。妻(ジムニー歴9年)にドライバーを任せることにして、僕はナビシートに座った。ステアリングウィールを握る妻は、ルート430を通って北を目指した。「この時間帯だったら、20分もれば着くわよ。」と、妻はグレイハウンド4×4を走らせはじめた。

あれ。このシーンと、岩子島の坂が、僕の頭のなかでフラッシュバックしている。デジャ・ヴュかも知れないなあと考えていたら、いきなりケーキ屋に着いた。どうやら僕は、そのまま居眠りをしていたらしい。

時刻が夕方だったから、ショーケースの中は、ずいぶん閑散としていた。その選択肢があまりにも狭いことについて、娘にすまないなあと、心の中で、詫びた。

自宅の冷蔵庫の中には、昨夜の宴会で使い切れなかった食材が、たくさん残っていたのを知っている。僕と妻は、料理の腕を奮うことにした。今夜は、娘のために、宴会だ。それに、橘の実の改良品種が3種類、大量にあるから、これで許しておくれ。

灯りをつけましょ ボブ・マーリィ(こればっかし・・・)

(中略)

春の弥生の この良き日

今日は長女の雛祭り♪

四人の同志たちと、この旅を支えてくれた妻に、感謝する。

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