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=10ポンドの意識革命= 〜第四次革命

Dec 12, 2006

以前どこか別のところに書いたように記憶しているが、わたしは岡山県の児島という地域で生まれ、現在も住んでいる。さて、この児島という所、いまやGNPにおいては斜陽に分類される繊維工業が主要の産業として、おおまかには成り立っている。

強烈な立身出世街道を驀進中の、若き勝ち組み創業者が何人かいて、身代を潰しかけの三代目たちがいて、あとそのほかは取り巻きのご機嫌伺いと、それからおおぜいの縫製作業員で構成されている町だと思っていただいてほぼ間違いない。ほぼ、と言ったのは、たとえば誰かの寝首をかいてでも、成り上がってやろうとぎらぎらしている奴が案外存在しているのだ。で、わたしはそいつらを尊敬していたりする。わたしはたぶん生涯、彼たちの足元にも及ぶこともできないだろう。あのガッツを見習いたいけれども、実行できるだけのチカラを、わたしは持ち合わせていないから。

さて繊維産業とひとことで言ってもいろいろある。糸を撚ったり布を織ったり切ったり縫ったり。ここ児島では、畳縁を織る工場や、学生服や作業服を縫う工場がいくつも存在している。というか、生き残っているところは残っている。とりわけ近年のここ数十年では、作業服に派生したデニム服を縫製する工場が、増えたり減ったり淘汰されたり統合されたりしながら、現代の洋風生活で減った畳縁産業やら新生児出生数減少で生産数の減った学生服産業に対して、構成比を相対的に伸ばしてきている(筈だ)。

かつては10年にわたって、学生服アパレル何代目かの金魚の糞だったこともあるわたしだから、多少はこの産業に詳しい。もちろんグレーゾーンについても詳しいが、あまり書くわけにもいかない。あの業界は簡単に言えば、センセイを相手にする商売、だった。ちなみに2000年の頃に、公立学校教師を自称する陽気な人々から、WEBで多少の失礼とダメージを被ってしまっていたわたしだったが、そのときは、当時所属していた企業人として万一、という打算が働いたから、意に反して寛容な振る舞いをした。あの件は、拙サイトを運営するうえでの三大トラウマのひとつだ。今だったら返り討ちにでも逆炎上にでもしてくれよう。

教員免許更新(&剥奪)制度について是か非か問われるなら、もちろんわたしは賛成する立場をとる。例えば生徒にガリ版プリントで自習ばかりさせている間に釣りで使う仕掛けを作り続けたり、病気療養休暇中に遊びに出かけたりするような人物は、公の教鞭を取るにふさわしくない。どういうつもりで食い扶持を稼いでいるのか、その釈明を聞いてみたいものだ。

さて、いつの頃からそういったイベントが始まったのかについては詳しくないが、この町では年に一度から二度、繊維産業振興のお祭りがあって、繊維製品の激安即売会が催されている。これがじつに面白いイベントで、製造ミスのあった製品にセカンドクラスとかB品、C品などのランクを付けて、それに見合った値段たとえば100円とかで放出する、というテント村がたちならぶお祭りである。 製造メーカーの立場としては、セカンドクラスの在庫を、累々と倉庫に持っていても金利が嵩むばかりだし、湿気でカビが生えて、しまいに捨てたりするくらいならば叩き売ったほうが良いだろうし、ユーザー側としても少々の傷があろうが普段着る服などお金をかけないことに越したことはない。だからわたしが成長期のまっ盛りだったころに、わたしの両親も、きっと重宝したことだろうと思う。

着る服を自分で選んでも良い、という年齢になってもビッ○゛○゛ョン製の14オンスデニムで頑丈に縫ったトラウザーは、100円で買うもの、とわたしは思っていた。定価7,800円と印刷された紙のタグを、真っ赤なマジックインキで消してあるキズものを、そのイベントで選んで手に入れることが常だった。

そんなもんだから、高校生になって町をうろつくようになったとき、リーバイ・ストラウス社の505なるパンツの値段を見てひっくり返った。

「100本ぶんだ」

1ドルが240円だった頃で、巷に出回っているリーバイス®がメイド・イン・USAだった頃の話である。

さて、その叩き売りイベントは、現在もいちおう続いている。いちおう、と述べたことには理由がある。いくぶんかは姿が変わって、地場の児島産ではない製品をどこいらから、例えば海外から調達して即売するテントがずいぶん増えてしまっているのだ。それから、さすがに100円叩き売りの商品なども、ほとんど姿を見かけなくなってしまっているからだ。それでも、モノによってはディスカウントに応じてくれるところもあったりするから、すっかり興醒め、というわけでもないのが救いだろう。 それから現在では、縫い上がったばかりの製品を、わざわざグラインダーで削ったりペンキを垂らしたり、ひと手間かけてキズものにしたものが完成品で、しかもそれが流行しているというワケの判らない現象があるから、いわゆるセカンドクラスが出にくいのも確かだろう。うまい流行を作り出したもんだ。

わたしは10ポンドの意識革命以来、自身にウエストがゴムのズボンを履いては人前に出ないことを課した。腹で履いていた36インチのデニム・パンツが、次第に35、34と小さなものになり、革命が浸透したことを実感したものだ。ついには腹で履くなら32インチ。腰で履くタイプなら33インチにわたしの脚と尻を詰め込むことができるようになった。そしてそのあたりで、革命は停滞期を迎えた。

ダウンサイジングがすこしキツく感じるようになったこと、体重と体力のバランスが妥協できる頃合いになったこと、それから大学生の頃に着ていて捨てなかったものを身につけることができるようになったこと、そんな感じで満足したわたしは、目標を失ってしまっていた、というわけなのですよ。

今年の秋、その繊維のイベント(あえて今の固有名詞は書かない プロ野球チームのヤクルト・アトムズって書いて ピンと来ない人が多いのと同様 イベント名の変遷がハゲしいから)で、わたしはどうしても欲しいものを見つけた。見つけてしまった。

中学生だったころ100円で買って、わりあいよく履いていた真っ赤な後染めのデニムパンツ。その懐かしいアイテムを現代でも置いてあるテントを見つけた。それは、わたしが中学生の頃に存在していたかどうかはわからない、今でもさほど興味もないブランド「B*AMS」のパッチタグが右腰に縫い付けられてあった。国産のデニムパンツなら、どんな高級ブランド製品でもたいがいは児島が産地なのだ。その真っ赤なデニムパンツの値段は2,000円。ふざけてるなあ。ま、値段は交渉すりゃ500円くらいが妥当だろ、と積み上げられた山の中から33インチを探しはじめた。

ぐはっ。

無い。31インチまでしか取り扱っていません、とのことだ。 しまった。デブっちょはデザイナーズ・ブランドではアウトオブ眼中だってことをすっかり忘れていた。どうする。どうする。買ってから痩せるか、痩せてから買うか。

キューリのように冷静なわたしは、葛藤を1秒で止め、痩せて再びこの赤ズボンに出会ったら、そのときに手に入れることにした。こうした心がけが良かったのか、違う別のテントで33インチ相当の真っ赤なコーディュロイ・パンツ、縫製仕様はリーバイス505ずばりというのを見つけた。ネゴシエーションしまくって500円で手に入れた。この冬はこいつで凌ぐことにしよう。

忌野清志郎のダーリンがミシンを踏んで作るのが、「僕の赤いコール天のズボン」なのだ。うむ、いいじゃないか。

「繊維のイベント」は、土曜日と日曜日の二日続きで催されるスタイルが定着している。そこそこ賑わったイベントも、閉会の一時間前くらいになると、投げ売りとか捨て売りを始めるテント店が何件か現れて、これがじつにおもしろい。

バーゲン用のワゴンの上にある、買わない客の手でぐちゃぐちゃにされてしまった売れ残り商品を、もう一度アイロンがけしたり袋に詰めたりするコストを考えたら、投げ売りしたほうが良いと考える経営者も存在している、ということだ。いや、じつは最初からゴミだったりなんかしちゃったりして。業者にとっては、最初から捨てるつもりで持ってきているモノ、にお客がカネを払ってくれる、夢のような二日間なのかも知れない。

イベントの途中で、雨なんか降ったら、なおおもしろい。客足は減り、商品はずぶ濡れになる。叩き売りが始まる時間が、すこし早くなる。

初めは3枚で1,000円だったものが、3枚500円になり、しまいには5枚で100円になる子供服のテントをはじめ、ディスカウント交渉に応じる接客時間さえ惜しいと、なんぼでも値下げが効きはじめる。誰にとっても商品価値が高いもの、っていうアイテムは少ないかも知れないが、どんどん安くなる。

袋詰め放題300円、のテントに妻が突入した。女性向けのブランドカジュアルを縫う工場のテントだった。わたしは、下の娘の子守りをして妻を待った。

よくもそれだけ詰め込んだもんやな、と突っ込みをいれると

「一枚だけオトコモノがあった。着れなかったら即ウエス。」

自分のモノも含めて、細かいサイズについては、あっち向いてホイ、これでいくしかないのは覚悟の上だ。「最悪、ウエス」これが合言葉である。

自宅に戻り、袋を開く。全部で4本のデニムパンツ。単純計算すればひとつあたり75円。正札には、どれも一万円を超えた値段が印字されてある。

「誰がこんなもんをそんなに払ってまで着るかい」

妻の3本のパンツ(合計225円)を見て、企画した人の腕を疑う。縦糸が白、横糸が赤で織ったデニム生地で、白のパイピングをあしらったベルボトム、とか。

わたし向けの75円は一見ノーマルな、オフホワイトのデニムパンツだった。さっそく履いてみる。うわ。ローライズだ。あれ、思ったよりラクだぞ。腰骨と尻のあいだに、ズボンが引っかかっている感じだ。なるほど、これはデブ向きだな。巷に流行るその理由について、わたしは認識を新たにした。

それではしゃがんでみよう。ケツ見せテストだ。 わが家では、ケツ見わたしはえローライズは禁止、と、かねてから妻子に申し渡している。今回の認定員は妻。

「ノー プロブレム」

白いズボンは、ウエスにされてしまうその日を延命された。 ラベルにはブランド商標があったので、さっそくWEBで検索してみたところ、ずいぶん大仰なことがかっこ良く書かれていた。でもわたしには75円の価値だ。だから庭の農作業で着るくらいにはもってこいだろう。今年買ったのは、575円で2本。許せるところだろう。

うちの娘たちも大きくなって、長女なんてもう10歳。となると彼女が小学一年生だったときにいろいろとお世話になった近所の六年生のお姉さんたちは、中学三年生。わたしが休日に庭先に出ているときに、彼女たちからコンチワなんて声をかけられようものなら、こっちがドキドキしてしまう。が、そこで「やあ こんちわ」なんてぐあいで狼狽を悟られることなく、にこにこと返すためには、パジャマやらジャージ姿はふさわしくない。

わたしは上背がだいたい180センチメートル。で体重が80キログラム。ただし顔がデカくて脚が短いから、遠めにはチビに見える、らしい。それで近くにきてウワッとなるのだ、と親しい友人たちは言う。長女をはじめとする彼女たちの前では、TPO(Tottemo POP-na Ossan)をわきまえて、きちんとした服装と心がけを貫きたいものだ。白い75円は、そうした気持ちにちょうど良くフィットする。

今から一年くらい前、出張先で呑んだくれたことがある。その二日酔いの朝、ぼ〜っとしながら歩道を歩いていた。集団登校の小学生の列とすれ違ったが、そのときのみんながわたしに、おはようございます、と大きな声で挨拶してくれた。ただ全員の目は笑っていなかったし、こっちを見ていなかった。あとで気づいた。このエリアでは不審者を見かけたら、大きな声をかけよう、きっとそんな運動をやっていたのに違いない。くそ。失礼な。こんな人畜無害なわたしでさえも疑われるこの昨今だからこそ、普段からさっぱりと身奇麗にしておきたいものだと思う。

なんとか70キログラムに持っていけないだろうか。そうしたらデザイナーズブランド上等!ってことで、31インチなどラクに履ける。ただ現在は後厄の年齢だから、以前ほどの基礎代謝量は無い。筋肉は落ちる重心は下がるいっぽうのこの頃だけど、なんとかならないものだろうか、そんなことを考え始めるこの頃である。わたしが18歳ぐらいの頃の体重を目標にするのは無謀だろうか。

スターリンだったかレーニンだったか思い出せないが、こんなのがあったと思う。

革命は一回きりの戦闘でなく  一時代であり  戦闘の長い系列である

ま わたしが何キロ痩せようが 万一もしも娘に嫌われてしまったら、当分のあいだ関係修復は、難しいものらしいですけどね。

具体的なプラン無しのまま・・・・・続く

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