次の仕事を始めるまでのしばらくの間は、じっくりと、そしてのんびりと自分のやりたいことだけをやって過ごすことにしていました。ですからストレスに追われることなんて、当面の間は考えられないと思います。
つまりは酒の力を借りなくても、やたらメシを食わなくとも、楽チンに生きることができる期間を自ら作り出した、と言い替えることもできるでしょう。そして、よもやこの時を逃すことがあってはならぬ、とわたしのなかでレボリューションを興すことにしました。
もちろんこの時点では、サイトのネタにしてしまおうなんていう計画は、持っていませんでしたが・・・
以前になんぞのTVで、「お父さんのチャレンジ」が趣旨になっている企画の番組を見たことがあります。
たしか3組のファミリィが出演していて、それぞれのお父さんがまったく違うい方法のダイエットに立ち向かっていました。その中のやりかたのひとつですが、こんなんで効果があるんやったらラッキーかな、という比較的安直なものが、わたしのココロの琴線をつよく揺さぶりました。
さて我が家では、わたしのヒモ生活がついにスタートしていました。そしてわたしは日々の食事当番について、妻と役割を交替する約束にしていました。その初日にあたって、当然わたしが買出しに出かけるわけです。
スーパーで「特売」ポップが貼り出されてあった春キャベツの山を見たとき、わたしはお父さんたちがチャレンジしていたダイエット番組のことを思い出していました。
「よっしゃ、いっちょうやってみてやれ〜!」
適当に一個を選んで、カゴに放り込んでしまいました。
さて実際にまな板にのせて、千切りを作ってみることにしました。
ざくとひとまず半分にしてから、その切断面を下に向け、右から順にトントントン・・・・・
ちょうど半分を刻み終わったところで皿に盛ってみました。そしてその量を見て愕然としました。こんなにドえらい量になってしまうんかい〜!
今日のところは晩飯の前に、1個の半分をまず食ってみることにしてみましたが、1日に1個食うのは、かなり厳しそうです。
それから、適当な包丁さばきで刻んだせいで口当たりにムラがあるのが不快でした。ウドンみたいに茹でるわけじゃないから適当でも大丈夫ぜんぶわたしが食うから大丈夫ってな安易な作業が裏目にでました。それに、味付けが一切許されないっていうことが、こんなにもキツイのか〜ということも同時に痛感しました。
塩でシンナリさせたものやら油をからめてコッテリさせた状態ではないもんで、もしゃもしゃ。
こんなもの、よく咀嚼しなさいと言われるまでもなく、よ〜く噛んでからでないと、むせかえって呑みくだすこともできません。もしゃもしゃ。
無職のおまえさんにゃあ、こんなもんしか食わせるものなんてないよッ!って自分で罵り、自分で涙を飲むという、なんともおそるべき夕餉となりました。
次の日も、キャベツを食うことにしましたが、今日こそはせめて刻み加減をある程度揃えて、もうちょっと食いやすくできないものか・・・・ということなどを検討してみることにしました。なにせヒマですから。
ん〜。たしかウチにはSSTが存在していたぞ・・・ そんなことを思い出しながら、わたしは台所の棚の奥深くに眠るスペシャルな道具を発掘しようとしていました。
台所用カンナと表現するのがまさに相応しいこのSSTを使ってみることにしましょう。
材料が刃物の幅より広い場合、道具の構造上たいへん削りにくいですから、あらかじめキャベツはザクザクと八等分したうえで実験に臨みました。確かに、いちどきに大量を刻むことはできませんけど、まるでファミ・レスの付け合せに出てくるのと同じ「極ウス・極細」のキャベツが、シャキシャキと出てきます。
これはイイぞ〜。
数日間、このツールを使ってサクサクと刻んだキャベツを、ザックザクと食いつづけました。ただ、量については、あまりに薄切りのため、皿に盛るとものすごく増幅しているように見えたんですよね。よもや1個食うことをノルマと課したところで、そいつがストレスになってはいけない、と勝手に判断せざるを得ないレベルでした。そこで1日に半個分だけを摂取することにしてみましたが、これだけの量でも、ものすごい満腹感があります。食事量は、自然に減っていくことになりました。
ざくっ
ある日、いつものようにSSTの上を滑るように動くわたしの右手に、災難がおとずれました。
片岡義男先生の小説、「彼のオートバイ、彼女の島」の作中で、「おまえは女じゃなくて、カンナだ!」といった台詞があったように思います。わざわざ読み返して調査するのは面倒ですから、あいまいな記憶からひっぱりだしてくるだけにとどめておきますが、たぶんセリカのオーナーの女性に面と向かって橋本さんが戯れ言を言うクダリでした。たしか「おまえは、男の身を削るから、カンナだ」というような、プチ・ギャグでした。
キャベツを押さえる右手の握り方が悪かったせいで、薬指のツメが刃によって、削りとられようとしておりました。
せいぜい、モケイのランナー程度を残して、そのツメはまだつながっていましたが、これは痛い。去年の夏、ウニの棘が爪の間に刺さってしばらく抜けなかったときよりも、はるかに痛いよ〜。とほほほほ。
激痛のわりには、刃物が鋭利すぎたのか、それともすぐにバンドエイド(商品名)で巻きつけて押さえたのが良かったのか、出血がほとんど無かったことは幸いでした。
そしてその夜は、ふたくち分の刻みキャベツと、半分からそのぶんを引いた量の、ざく切りにしたものを食らうことになってしまいました。
その食事どきに、わたしはある違和感を感じました。それは指先の痛みからくるものではなくて、口の中の感覚に関するものです。
じつはこのザク切り状態キャベツは、あんまり回数を噛まなくても、楽に飲み込むことができてしまうのでした。パリパリパリゴックンってな具合です。つまり1個の半分の量をワシワシと食ってみたところで満腹感がいつものように訪れてはくれないわけなのです。そしてこのとき、激痛に耐えながら「千切り」にすることの意味を初めて知ることになりました。
そして、翌日からは包丁でタンタンタンと刻む、従来のやりかたに逆戻りしていました。不揃いで不快な食感を我慢して、よ〜く噛むことにしました。あのカンナはもう、怖くてよー使いません。
こうしてSSTは、母と妻に続く3人目の被害者の手によって、再び台所用品の棚の奥深くへと格納されることになりましたとさ。
それからさらに一週間が経過しました。
人間とは不思議なもので、もう身体のほうが慣れてきちゃったみたいです。どうやら味付けなしの荒い千切りになっているキャベツが「不味いものではない」とアタマのほうでは認識してしまったみたいでした。これはちょうど時節柄、春キャベツが旬の時期に重なっていることも、わたしにとってはラッキーだったと言えなくもありません。
そして、その効果についてですが、数値にはっきりと出てきました。
酒の量は、それほど変わってませんし、コレと言ってスポーツをしたわけでもありません。しいて言えば、家の掃除をやっているくらいなんですけど、それほどたいした重労働っていうわけでもないと思います。ひたすらに味付け無し刻みキャベツをメインディッシュにして普通にメシを食っただけですが、約2週間であっさりと約5kgの体重が減っていました。
ただ、わたしの場合、手放しで喜ぶわけにはいかない要素があります。もしもこの妙に偏った食事の摂りかたのせいで、バセドー病が再び悪化しているのだとしたらマズイよなあ・・・・という不安は、常にアタマの中に引っかかっていました。
月に一度、KAWASAKI医大附属の病院に通っているわけなのですが、次回の血液検査に現れる数値的動向を見て、今後の方向性を決めようと思っていましたが、その月のマンスリー・バセドーチェックでは
「ん〜 アイリー君。なにか特別変わったことを実施したのかい??? コレステロールやら肝機能系の数値についてなんやけど、普通の人並みになってるやんか!」
というわけで4月度の検査リザルトとそのチェックなんですが、食事だけで2週間に5kgってのはスゴイね、ってな感じでドクターにはずいぶん誉めていただきました。あわせてバセドー系の数値傾向も依然安定していることが確認できたので、どうやら減量はキャベツがもたらしてくれたことが確定することになりました。
「まあ わたしの場合、分母がデカイわけですから・・・」
わたしの軽口に、ドクターはニヤニヤと笑っていました。
別にわたしが何キロ痩せようが誰も気づかないし関係もない皮肉な環境ですが、5kgといえば、だいたい10ポンド強に相当します。
病院からの帰り道、TB2号のステアリングウィールを握りながら、この法則に気付いたわたしのアタマには瞬時にハゲロン電球が灯りまして、また例によってくだらない駄洒落が浮かび上がってきました。
こうなってしまいますと、WEBのネタにして発表しないことには、もはや気が済まないのがわたしの性格であるのはご存じの通りです。
せっかくの「無職くん」な身の上を利用して、家のお片づけなんぞをやっていることについては既にネタにしておりますが、この掃除のコンセプトは「散乱する書籍や着なくなった服を整理すること」だったりしていました。わりあい軽労働なんですが、朝から夕刻までのあいだずっと、それを数日間にわたって繰り返していたわけですから、後に振り返ってみますと、かなりの運動量だったのかもしれません。
わたしは押入れやらタンスやら収納ケースからバサバサと衣類を放り出しては、どんどんと分類を進めていきました。
おおまかには、だいたいこのように切り分けることができたようです。
では、各種処理を開始してみましょう。
壊れている服と気に入らなくなっている服のうち、オートバイやら靴を磨くことでまだその役割が残っていそうなものは、ジャキジャキに切り裂いてやって、だいたい20cm角に整えてタバねました。ポリエステル混などの化学繊維のものは、あっさりとゴミに出しました。
さあて今度は、「サイズが小さくなった服」の処置です。
その原因が洗濯縮みのせいなんかではなく、単に経年変化でわたしの重心が下がったり巨大化したことで着られなくなってしまった「痛い系」衣類の処置です。
自慢じゃありませんけど、ここ2年間のあいだ、わたしは服と名の付くものは一切新規に購入していませんでした。下着・靴下については以前に職場でのお付き合いで買った通販モノがストックされてましたし、たまたま前職がアパレル系メーカーでしたので、企画途上製品の「着用試験」という名目で、スーツとかシャツは、事実上無料支給される格好になっていました。
お金を支払わなくてもよいかわりに、デザインや色、素材を選ぶ自由については余地がありませんでした。選択する楽しみが無いということで、あらゆる意味で無頓着でした。スーツのサイズがどんどんとデカくなっていってたところで、何ヶ月かごとに新品のスーツに袖を通すことができるわけですから、ぜんぜん気にしなくなっていました。
いっぽう休みの日に着ていたものといえば
こんな具合で、ハラのまわりを締め付けるものがまったく無い衣類を着ていましたが、それは無意識な行動だったような気がします。
ごくたまにですが、デニムパンツを履くこともありましたけど、ウエスト40インチのカヴァーオールを除いて、履くことのできるパンツは数が限られていました。それに膝が破れていないものは、35インチストレートの一本が残るのみでした。
しかし、その唯一破れてなくて履くことができるパンツも、先日W3に乗っていてスッ転んだときに、右の膝に大きなカギ裂きを作ってしまいました。
これでわたしにはもう、普通に外出するときに着る服は残っていません。とは言っても、新しく買い足すのに十分なお金があるわけでもありません。
となりますと、やっぱし昔着ていた服を再利用するほかには、どうやら手段はないようです。
忘れかけていた「サイズの観念」を悔い改めることにしたいと思います。そうしないと、本当に着るものには困りそうです。
こんなことに「カミングアウト」という文言を使うことが適切かどうかわかりませんが、とにかくわたしは公言してしまうことにします。
身体の盆栽化やらマッシーントレーニングについてはあんまり興味は無いんですが、なんぼかは意識したほうが良いのでしょうから、それに関する文献を図書館で読み漁ってきました。もちろんほとんど実践には移していません。しんどいですから。
ただ、自分のなかでは目標が明確になってきましたので、食生活はずいぶんと変化してきました。
なにしろわたしが主夫をやっているもんで、妻には負担は掛かりません。自分のための特別メニューを料理することは別に苦痛ではありません。これは楽しいです〜。
さてその効果があって、わたしの胃はずいぶん小さくなってきたようです。なんと最近ではうどんの摂取限界量が一食あたり、せいぜい三玉になってしまいました。もうそれ以上はよ〜喰えません。
アイリーよ!堕落したな!というお叱りを頂戴することかと思いますが、どうかお許しください。ともかく食費は軽減できるわ、身体は軽いわで、ずいぶんエエ感じなんですわ。
4月1日と6月6日の数値を発表しておきますと
Lee社製Raidersの33インチだったら、楽に履けるところまで戻してきました。これでサイズが合わなくなって着なくなった服が、ついに再利用できるときがきたようです。この時点ではまだ二本ですが、穴のあいてないパンツがわたしのところに戻ってきました。
ものはついでです。わたしはアロハなオーバーシャツ以外を着るとき、絶対に裾を外に出さないように着ようとココロに決めました。
ん〜。この意識革命は、当分楽しめるような気がしております。
最大の問題は、主夫のわたしが台所に立って、何かを刻んでいたらですね、
「おとうさ〜ん。今日からはタマネギダイエット〜??」
「今日は、きゅうりダイエットかぁ〜!」
トントントンと包丁とまな板の音が台所に響くたびに背後から近寄ってくる娘から、脱力系のツッコミが入ることぐらいでしょうか・・・
続く