ビールが好きだ。大好きだ。
「イチゴ大好き。結婚したいくらい好き」
わたくし若かりしころの同僚で、そんなことを言ったOLさんがいた。彼女はきっとコリン星が出身なのだろう。バブル崩壊直後の世の中の企業には、さまざまな人材が豊富だった。そんなことさえ懐かしく思う。
ちなみに現代なら「イチゴ、超ヤバくね?」という言い回しになるのだろう。その問いかけの返事はイエスでもノーでも「ヤバいヤバい」と受ける。どうやら日本語のバケラッタ現象が進んでいるみたいが、ここではそんなことなんてどうだってよい。
さてわたしは、かつてあのOLさんが慰安旅行の宴会での発言したときのその心象風景が、近頃になってよくわかるようになった。宣言してしまおう。「ビールとの婚姻くらい譲歩しても構わないぞ」そのくらい、わたしはビールが好きだ。
わたしもコリン星出身なのかも知れない。
昔(といってもほんの20年ほど前のことだ。時間の感じかたなんて、ひとそれぞれだ)大学生の頃のわたしが住んでいた学生アパートの玄関の内側には、どういうわけか自動販売機があった。24時間体制でSUNTORY製品のビールと何種類かの清涼飲料水が売られていたのだ。
大手コンビニエンス・ストアが香川県に進出するより少し前のことだから、実に重宝したのは言うまでもない。
アパートの部屋で、ペンギンのキャラクターがプリントされた缶ビールで晩酌していたワ・タ・シ。ああ、あの頃のいくつかのアマい記憶が蘇る。
いったい何がどのくらい甘いのかというと、ビールを自動販売機で購入する行為こそ、その甘さの頂点だ。Don't kiss me,baby.
今のわたしなら、ぜったいにそんなことはしない。ビールを自動販売機で買うなんてことはありえない。自販機だと製造年月日がわからないじゃないか。
考えてみると、酒を販売する業態は、ずいぶん変化した。近頃はスーパーマーケットやディスカウントショップでもビールを買うことができる。
何十年か昔、一度その存在を消したことがあるという発泡酒も、税の抜け道を通って復活した。(かつての発泡酒については、伯父から聞いたことがある)
それからビールではないけどビールみたいな飲み物が、酒税法の盲点を狙って発明された。その他の雑酒だのリキュールだの、そういった新手の見慣れない文言が缶にさりげなくプリントされた飲み物のことだ。
ビール風飲み物のうち、とりわけ発泡酒をわたしは特別に「漢字ビール」と呼んで区分することにしている。そのことは、以前どこかのコラムに書いたような記憶がある。
その漢字ビールで、一度酷い目にあったことがあった。
たしかスーパーホップスという商品名の国産漢字ビールだった。立ち寄り先で一本買って、プルタブを起して口を付けた。
なんじゃこりゃ?
マズかったのである。その銘柄の漢字ビールを飲むのが初めてではなく、以前飲んだ味の記憶とは程遠かったので、マズいと感じた理由を探してみた。
あっけなくその答えは見つかった。
シンプルな現象だった。その缶底にプリントされた文字は、製造日から半年ほど経過していることを示していたのだ。ちょっと古くなると極端に不味くなるのが漢字ビールなのだということを、わたしは知った。それから、メーカーがきっと独自に設定した、賞味期限だの消費期限というものがどれほどアバウトなのかを痛感した。
あれ以来、ディスカウントショップでもたとえコンビニエンス・ストアでも、製造年月日の確認を怠ることはない。だから自動販売機で買い物するなんていうアマい行動などありえないのだ。
製造年月日は、缶の底面に「**年○月上旬」とか「**年△月中旬」と印字されている。
旬間で表しているということは、十日間のうち最初の日と最後の日とではずいぶん違いがある。最初の日の初期生産されたロットと最終日の最後に生産されたロットでは、9日間と8時間の差がある。もしや24時間製造を止めない工場で製造されたのなら、じつに10日ぶんのタイム・ラグを内包している。(もしかしたら簡単に見破れないところに、第4日目午前10時24分なんて印字しているかも知れない)
いつもわたしは、缶底の文字と現在の日付を比較する。製造から3旬間、つまり30日+αが経過している漢字ビールなど価値は無い。どれほど値引きされたものだとしても、決して買い物カゴに入れることはない。
価格差から時に買うことを躊躇する国産ビールなら、それはなおさらのことである。新しければ新しいほど旨い。そのことはわたしだけの舌や喉の判断ではなく、各メーカーが謳う「工場直送」という付加価値が証明している。
こうしてわが家では漢字ビールもビールも、必要なぶんを必要な時に必要なだけ買い求めることになった。350mlのものが24本入っているケースを、できるだけ新しいものを選別して、週に何度も求める。好みの銘柄が店頭に並んでいても、製造日付が古ければ、別の違う店にわざわざ出かけなおしてでも新しいものを選ぶ。単にそれだけのことだがわたしにとってきわめて重要なことである。
昔、家庭で消費するビールは、酒屋さんに配達してもらうものだった。販売価格は、なにかの申し合わせで全国統一されていて、配達の手間賃とか冷やし賃などが店によって多少の差があったような記憶がある。 酒屋さんが持って来ていたということは、いわゆる先入れ先出しで、製造が古いものから順に配達された筈だ。ビールが新しいかどうかは、そのお店の回転率に依存してしまうことになるのだろう。
そうだ。昔のビールはもっと苦かった。
わたしが高校生のころの記憶だ。 父が栓抜きを手に取った。缶切りだのなんだのがごちゃごちゃついているやつじゃなくて、単に王冠を取り外すためだけのシンプルな栓抜き。そいつを右手に握るや王冠をこんこんこんと叩く。
当時のわたしには晩酌の習慣はなかった。受験生の息抜きと称して、父のご相伴に預かった程度だ。
(ちょっと古いラガードラフトビールってものは、古いせいで余分に苦かったのかな?)
父を偲びながら、そんなことを思った。
古いビールだって?
ハイネケンにバドワイザ、クアーズにレーベンブロイ。バドワイザーにバス。昭和60年ごろの若かりし頃に流行っていたというか、ハタチ前後の頃に好んで、というより粋がって飲んでいた輸入ビールたち。当時はそんなことを意に介したこともなかったけれど、今考えるとあれらは製造されてからわたしの喉を通るまでにいったいどのくらい時を経たビールだったのだろう。
中川真知子が福島真吾のために、ひとつのブランドを3本ずつ8種類、24本を買っておいて冷蔵庫の中央の棚に整然とならんでおさめた缶ビール。
片岡義男「缶ビールのロマンス」は、昭和59年が初版だ。あの頃を考えると、国産の缶ビールでは、ぜんぶ集めても8種類とはなりそうにない。ライトだのZだのが出現するのは、もっと後のことだから。それに缶エビスがあったかどうかも記憶に怪しい。思うにきっと輸入ビールが混じっているのに違いない。それなら辻褄が合う。しかもぜったい古いビールだ。(現代ならば漢字ビールだけで、その8種類なんてあっさりと突き抜けるけれど)
物語は、CB450K0でツーリングに出た福島真吾が、その旅の終わりに中川真知子が待つ高原の別荘に向かう。片岡作品の王道のど真ん中だろう。
約束の日になっても、東京から直線で130kmの高原にいる真知子とはほど遠い、岡山から電車で一時間の場所に真吾は居た。その翌日も真吾はオートバイを宿に置いて、バスとフェリーを乗り継いで島に渡り、海水浴と温泉を楽しみ、そこでもビールを何本も飲んだ・・・。
まさに王道。
好きな人にはたまらない、嫌いな人にはもっとたまらない。
島??
その島ってのはどこにある島なのだろう。
どういうわけだか、真吾が逗留した広島東部の地名と島の名前が記述されていない。それ以外の地名について、たとえばどこの県道を通って国道に抜け、どのインターから高速道路に乗ったか、とても克明に記されているのに対して、このフィルタの具合はいかがなもんだろうか。そのギャップがあまりに大きいので、伏せたい理由はあるけれども実在する島を示しているのだろう。
よし、推理してみようじゃないか。(暇だからな)
岡山から西に電車で一時間か。この場合の岡山ってのは、岡山県のことではなくJR岡山駅のことを指すのだろう、と岡山県人のわたしは一瞬で看破した。
おそらく尾道・三原・竹原のあたりだろうと見当を付ける。
そこからフェリーで10数分で渡ることができる島。美しい三日月のかたちをした白い砂の海岸と、湯質が良くて温度の高い温泉がある島。
それはいったいどこだろう。
地図を眺めるとそのあたりは島だらけ、大小さまざまな島があって、どこの島なのかなかなか絞りこむことができない。
標高が300mくらいの山があって、そこに展望リフトがある・・・。これは大きな特徴だ。今日び展望リフトなんて、なかなか残っていないぞ。
わかった。
大久野島だ。
第二次世界大戦の戦時中、軍事機密上の理由で地図上から消された島がいくつもあったというのをNHKのドキュメンタリー番組で見たことがある。大久野島もそのうちのひとつの島らしい。
片岡の「缶ビールのロマンス」その物語の前半部分が描かれた場所。しかしながら旅行ガイドブックを読むと「毒ガス資料館」の文字が目立っている。
あの島の固有名詞をあえて表記していないのは、広島郊外に疎開し、戦争を憂えた経験がある片岡氏ならではの配慮なのかも知れない。きっとそうだ。(横溝正史氏も、現在の倉敷市真備町に疎開した際に、数々の原案を練ったという)
福島真吾は、広島県竹原市の酒屋で、店のおばさんに二本の缶ビールを冷蔵庫から出してもらって、硬貨で代金を支払った。
彼は、銘柄には拘らないらしい。わたしの推論ではなくて、物語中でわざわざ「拘らない」と、ことわってある。もしかして、そのことがあたかもカッコいい行動原理のように表現したかったのかも知れない。(これは推論)
さらにその翌日、彼は同じ酒屋で、別の銘柄の缶ビールを二本買った・・・。
店のおばさんのおまかせで、つごう4本もビールを買うなんて、なんと勇気のあることだろう。物語を追うわたしの興味は、じつはその一点に注がれていた。 わたしにはとても真似ができない行動だ。冗談じゃないよ。製造日にもブランドにも拘らないだなんて。
現代と比較して状況を考えると、たぶんただ苦いだけのビール。
わたしは福島真吾の身に振りかかった不幸を案じた。
< 続く >