
16歳
たしか、ふたつ年上の先輩から、ただで貰った。ナンバープレートを外して、当時住んでいた家の裏山で土の上をはしる練習をしたものだった。後輪が少々すべってもアクセル操作でなんとかなるというのを勉強した入門マシン。その後、大転倒→バイク谷底 即スクラップとなった
17歳
一歳年上の先輩が500円で売ってくれた。決して調子がいいマシンではなかったので、進学の際に粗大ゴミに出してしまった。今のプレミアムをかんがえるとどうして捨ててしまったのか悔やまれる一台。
18歳
エディ・ルジャーンに触発されて、RSCの175キットを組み込んだのを、近所のおっさんに15万で売ってもらった。やはり、この車でエアターンするのは私のテクでは無理だった。無理がたたってフレームが変形してしまったので捨ててしまったが、このバイクこそがわたしの基礎をつくったのだろう。解体屋でみかけることもあるが値段も高くて、再び手にいれることのできない悔しさに胸がしめつけられる思い出のバイク。
20歳
バイトに明け暮れて、飯もくわず酒ものまずに新車で購入40万。大学構内トライアルや競技会でずいぶん楽しんだバイク。当時はやり始めのバックとかエアターンとか、楽にこなせたものだった。今やそのタンクが手元にあるのみ。
20〜21歳
大学の先輩から8000円で買った。わたしはこれで林道ツーリングに目覚めた。また、かなりの長距離ツーリングにも行った。大ジャンプにリアサスが壊れたので捨てた。
21〜22歳
10円で郵政省から購入。通学用の下駄はカブだった。15年くらい流行を先取りしてしまっていた。(当時はアホ扱い)大学を卒業するときに友人にプレゼント。
23歳
新車で買った40万。下スカスカ上ドッカンにあきれた一台だった。後輩に15万で買ってもらった。
24歳〜現在
拙サイトコラム「俺のオートバイ」をご覧ください
24〜25歳
友人から5万で買って、また別の友人に5万で売った。コントロールは楽だった。
26歳〜現在
通りがかったよその家の納屋の奥に見えたので、交渉して壱万円で買った。60歳台の人によく声をかけられる。現在再生待ち。
29歳〜現在
拙サイトコラム「ON ANY SENDAI」をご覧ください
29歳〜現在
拙サイトコラム「短距離ライダーの憂鬱」をご覧ください
34歳〜現在
拙サイトコラム「彼のオートバイ」をご覧ください
34歳〜現在
拙サイトコラム「幸は白いババシャツ」をご覧ください
わたしは岡山県の倉敷市で生まれ、育ちました。繊維産業の町です。
わたしは小学生の頃からバイクが好きで、当時のスーパーカーブームには見向きもしないでバイク雑誌を読みふけるガキでした。まわりの連れは「サーキットの狼」ファンでしたが、わたしは「虎のレーサー/熱風の虎」の少数派でした。そのせいでケンカになったりすることも、よくあったものです。じつにどうだってよいことですが。
10歳の頃のある日、近所の大手デニム製品メーカー某社の駐車場に、黒青のW1S-Aが停まっていました。わたしは持ち主があらわれるのを待っていました。(どんな音がするんだろう?)小学生は何にでも興味津々です。やがて戻ってきたその人は、どどんと始動して、ぶりゅずどどんと走り去りました。すっかり「インプリンティング」されてしまいました。あれが、進行性ダブル病の初期症状だったということになります。
ちょうどそのころ、地域の子ども会でソフトボールを練習しているとき、誰かのお父さんが「ラビット70」に乗って見物に来ていたので、無理を言って運転させてもらいました。それまで、どうやったらバイクが動くのかということは、雑誌などで知っていましたから、ついに自分で運転できたヨロコビにひたったものです。
当時、わたしの父は自宅で近所の子供をあつめて「ソロバン塾」を副業としてやっていました。そのソロバン塾に来ていた高校生のお兄さんが、銀色に青の切り替えのタンクの125のバイクに乗って、ある日うちにやってきました。小学生の男の子にとって、高校生はずいぶんカッコイイ存在でした。そのバイクそのものもカッコよかったのを憶えています。
わたしは中学生になりました。学校の技術科実習室にはW1Sのエンジンが二基置いてあって、それを教材にして内燃機を勉強しました。そのとき、テストは100点でした。
漠然とダブルに乗りたい所有したいと思っていた少年時代でした。その矢先、限定解除制度が施行され、大型に小僧が乗るのは大変な時代に突入したのです。
高校生になって三ナイ運動の逆風にも負けず原付免許を取得したころには、ミニトレ(GT50)に乗るのが忙しくて楽しくて、すっかりダブルのことは忘れていました。GSだFXだCBXだRZだと友人が、中型に乗ってワインディングを走っているころは、イーハトーブ(TL125)にすっかりはまってしまっていました。
大学に行かせてもらっているころには、TY250Sでトライアルを本気でやっていました。まだまだダブルのことは忘れています。また、通学の下駄として郵便カブ、レースのネタとしてメイト50なんかも友人と共同で持っていました。
さて、Uターンで地元に戻ったところ、GSだFXだCBXだRZの友人たちが、大型自動二輪の免許を持っていたり、取得に挑戦中だったりしていた様子なので私も挑戦してみました。まだスラロームの7秒ルールはなかった頃でした。三度目の受験で合格しました。で、何に乗る?ってときにようやくダブルのことを思い出しました。ほんとは速いのを振り回す自信が無かったことは当然内緒のことです。
我が倉敷市には、今となってはZ系SS系のリプロ/レストアで超有名な某ショップがありまして、そこがまだ喫茶店を改装した店舗で営業していた頃にわたしは相談を持ち掛けました。そしてその二週間後、今のW1S-Aと出会ったわけなのです。
W650が世に出たことで、どこのバイク雑誌でも突如メグロからW3に至るOHVツインについて特集しました。おかげで、コンビニでたむろする中学生でさえもW1S-Aという、あるいはダブワンという文言を知るところになり、W1S-Aで出かけたときにわたしは、よく中高生に話しかけられるようになりました。そのときのわたしは、10歳のころの自分に接しているような気持ちになります。