
クランク右のオイルシールがメーカー欠品だということが判明した。昨年あたりはまだ出ていたらしいと聞く。その欠品というのはどんな状況なのか、バックオーダーを受け付けてくれるものなのだろうか、ある程度要望が見込めるなら再生産されるものなのだろうか。それともまったく期待できないものなのだろうか。
いずれにせよ、今現在のところ新品純正部品はホンダからは出ない。そのことだけは確実だ。きっとインサイトを作るのに忙しいのだろう。
ナオキくんが探してきた、今回の修理に必要な部品のうちで、クランク右オイルシールとガスケット以外を通信販売で調達した「ケーエス商会」さんに、無理を承知の確信犯として、わたしはもう一度オーダーをかけてみた。
クランク右オイルシールを2個ください
・・・手配できません
バックオーダーにしておいてください
・・・バックオーダー可能な商品の場合は 在庫がゼロ表示になりますが通常表示のままでバックオーダーが可能ですが ご連絡いただきました部品番号の場合は 完全にメーカーの取り扱いが終了していますので 残念ながらオーダーができません(原文ママ)
げげげのげ。部品発注のシステム画面がどんな構成になっているのか少しだけ想像できるような気がするその回答を聞いて、ココロがざわついた。
世の中で噂される「ご相談パーツ」というものがどんなものなのか知らないけれど「メーカー廃番終了手配不可となっております」とこれほどキッパリと説明されてしまうと、ココロが折れそうになる。
目当てのものが無いものだと判ればその後の道は、徹底的に探すか、新しく作るか、諦めるか、のいずれかになる。
探すとすれば、デッドストックとかNOS(ニューオールドストック)とか呼ばれる、ショップや目の効く個人の在庫からわけてもらうことになる。ナオキくんは部品番号だけを入力してググったと言う。無いオイルシールの部品番号を、もはやわたしたちはそらんじることができる。学習による進化だ。
「91***-3**-0**」(あえて伏せ文字を使ったりなんかして)
E-BAYでNOS部品のクランクオイルシールが出ているのを見つけたらしい。海外通販というか海外オークションの性質があるものなのかわたしにはよくわからないがおよそ10ドル弱の金額が提示されてあった。商品を紹介する画像では、黒いゴム部品の中央にある穴に二スジの茶色のリップがきちんと写っている。おそらく純正品、おそらく新品だと思った。
ナオキくんはわたしより英語に明るい。するするとE-BAYのアカウントを取ってオイルシールを落札した。
一週間ほどして国際郵便で荷物は届いた。送料込みでおよそ2,000円弱くらいだったそうだ。案外安いと思った。その品物をふたりで検分した。新品には間違いなさそうだ。もう何個か欲しいところである。でも欲張ってはいけない。個人の過剰在庫はエコではない。必要なものを必要な量だけ持っていればよいのだ。こういうのをカンバン方式っていう。
さしあたってどうしても必要な、ナオキくん分のオイルシールを1個確保することに成功したところで、新しく作るなら、という話題を少々。
師匠先生のお宅に上がりこんで、コーヒーを頂いていた。
「オイルシールが出ないんですよ、もう」わたしは嘆いた。
「部品が無くなったから終りだ、と安堵感半分で打ち止めにするという傾向が世の中にはあるがそれはいかがなものだろうか。もうすこし考えてみる余地はあるのでは」
確かにエルシノアのクランク右オイルシールは特殊な部品で、サイズにしろ構造にしろ、JIS規格準拠の量産タイプのものとはぜんぜん違う。師匠先生は続けた。
「現代のJIS規格を利用する方法だったら、すでにキミは知っているし、もうやっているじゃないか」
師匠先生との問答に、わたしは答えあぐねていた。
量産の汎用品と比較したときの一番の差がリップが二つあることだ。おそらく片方でクランク室のガソリンとオイルの混合気を密閉するのだ。もう一方はミッションオイルをシールするのだ。一つのリップでは混合気とミッションオイルを隔てることができないということなのか。それとも二段構えにしておいて、どちらか片方がダメになっても他方が頑張ってくれている間はエンジンが動く、という考え方なのか。それからエルシノアの純正オイルシールはリップが茶色だということも気になるところでもある。
「内径がクランクシャフトのサイズに合うものを探してくることさえできれば、外周は旋盤削り出しのカラーを作って・・・」
ああ、10年くらい昔に師匠先生のご指導のもと、わたしのW3-Aの前輪に施したアレのことか。SRX400のフロントフォークにRX350のホイールを使うのに、アクセルシャフトの太さの都合でベアリングのやりくりのためにカラーを作ってもらったことがあったが、なるほどあの方法が適用できそうな気がしてきた。
いつもの機械商にでかけてJIS規格のオイルシールをオーダーすることにした。物性対応表とサイズ表とにらめっこすること30分。リップが一つしかないものだが耐ガソリン耐温度には申し分の無いものを見つけた。
「それではコレをヒトツ取り寄せておいてください」やがて届いたら、カラーを作ってもらってわたし分のパーツとしてストックしておこうと思う。
アメリカからオイルシールを逆輸入するのと並行して、ホンダからまだ出る各部品は調達ができていた。あとはガスケットを切り出したら準備は整う。
「型紙は用意してあるから自分でやってみるかい?」彼に訊ねると、いきなり尻込みした。手先に自信が無いとはずいぶんご謙遜だ。しかし最近、彼には物理的に時間が取れない事情があるのをわたしが知らないわけではないから、ガスケット製作はわたしがやることにした。
「でも、組み立ての際はぜひ立ち合わせてください」準備するべきものをきちんと揃えておけば、オーバーホールにはそれほど時間が必要ではなかろう、5〜6時間もあればじゅうぶん終わるだろうと、わたしたちは踏んでいる。
ナオキくんは近く結婚する。披露宴をやったり新婚旅行に行ったりすると言うから、とても忙しいだろう。旅行から戻ってきて親類縁者の挨拶回りをするのにもきっと時間がかかる。実際の組み立てはいつのことになるのかなとわたしは思った。
そのいつになるのかがわからない組み立て作業までにガスケットを準備しておいてやろうと考えていた。デイトナとかキタコとかストレートツールとかでガスケットシートは取り扱いがあることは知っている。厚さが0.5mmで縦25cm×横50cmのものが約1,500円で売っているらしいが、んー、ガスケットシートというものはこんなにも高価だったっけかなと思ったりもする。近所の機械問屋にも問い合わせしてみた。耐ガソリン耐高温のものだと、厚さ0.5mmの120cm×120cmで一万円を超えると言われた。法律規制の影響なのかも知れない。やれやれ、しかたないなあ。
検討を重ねた末に調達したガスケットシートを前にして、今度時間に余裕があるときに型紙を置いて切り出してみようと計画していた矢先、長女が新型インフルエンザに罹った。学級閉鎖が相次いでいる中学校で貰ってきたらしい。おやおやと思ったその翌日、今度はわたしが高熱に冒された。「あんたも新型じゃわ」アレサに言われた。(たしかアレサの話題はW3のどこかで書いた記憶があるので説明は割愛)長女とわたしはそれぞれ別の部屋に自主隔離された。篭城と言っても不具合はない。妻と次女への感染は、なんとしても避けたかった。どれほどの感染力があるのか知らないができることは全部やっておこう。なにしろその週の日曜日には、ナオキくんの結婚式と披露宴がある。わが家の四人はご招待していただいているのだ。
奇跡だったと言ってよいのかも知れない。結果的に妻と次女はインフルエンザに感染しなかった。隔離が功を奏したのだ。数日の間、長女の耳元ではずっと嵐が歌っていたのだろう、見てはいないけれど想像できる。ちなみに、わたしの耳に差し込んだヘッドフォンでは柳家喬太郎と立川談笑と快楽亭ブラック、それから川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)がずっと囁いていた。どれだけ退屈せずに安静にできるか、これが余計な感染を防ぐポイントだったのだと思う。
アレサのボス、つまり我が家のホームドクターのお許しが出たので日曜日にはウチの四人は正装して教会に行くことができた。万一誰かにインフルエンザを移してしまうことになったなら「ミサでパンデミック」になってしまう。洒落にもならない。
わたしの体調が元に戻り、ナオキくんが新婚旅行に行っている間、しめやかにガスケットの切り出しが行われた。
よ〜く砥ぎ出した彫刻刀の平刀と丸刀を用意した。それから最近では出番の無い旧式の掃除機を接続した。カートリッジごと捨てるタイプの掃除機だ。ガスケットを自作するときには、どうしても切り屑で作業台が散らかる。旧型機も使い様である。掃除機には空中元素固定装置3号と命名してやった。これだけ準備したなら、たとえアスベストのガスケットも安全に切り出せるかも知れない。
ぐいぐいと切っていく。丸刀でボルト穴を開けることから始める。カスは出るそばから空中元素固定装置が吸い取る。時折休憩を取る。その際には彫刻刀も砥石でリフレッシュする。
都合エンジン2基分のガスケットを切り出した。かなり疲れた。
ガスケットが用意できたところで、オーダーしていたオイルシールを取りに行くのを忘れていたのを思い出した。失礼失礼新型インフルエンザで寝込んでおりました、と受け取りに行ったとき金額を聞いて驚いた。オイルシールの材質が特殊なせいで、1個あたり\3,000を超えると言う。もはやこの段でキャンセルさせてくれとは今後のことを考えれば言いにくい。代金を支払って品物を見た。全体が茶色だった。純正新品のリップ部分と同じ色だった。
=JIS規格で半永久エルシノアへの道=は、なかなか厳しい。でもね、面白いんだよなあ。
ナオキくんは忙しそうだ。今のところ、休日におけるわたしのカラダの空き状況を問い合わせてこない。それならばと、わたしのほうではシルクロードの工作を進めたり、ウェブを彷徨ったりしていた。もはや諳んじることができるオイルシールの部品番号で、ついググってみたりすることもしばしばである。あるときにはイギリスとかカナダからオイルシールが出品されているのを見つけた。純正品もあれば社外品と但し書きがあるものもある。いろいろ考えるとかなり高額になるような気がするが欲しい。欲しくて喉から手が出てくるのではないかと思うほど身をよじったが、目の前にある全体が茶色のJISオイルシールから浮気するのはどうかとひとつ深呼吸して気持ちを沈めた。
検索ワードを部品番号から別のものに変更してみた。知らない人が見たら、その文字の配列は、ほぼ呪文に近いのではないかと思ったりもする。
日本語のサイトがヒットした。'74のMT250用とは書いていないが確実に使えそうな新品オイルシールのセットが一式約\4,000で売っている。上に記した呪文の内容はこれで想像できるだろう。
バラ売りには対応できないと言う。わたしは愛宕山の崖から飛び降りる気持ちで「ショッピングカートに入れる」アイコンをクリックしてしまった。わたしはオイルシールでいったい幾らの無駄遣いするつもりなんだろう。