
「最近、出勤するときには普通に始動するけど、昼休みに買い物に出ようとしたらエンジンが掛からなくなることが多くって」キックするのに疲れました、とナオキくん(31)は笑っている。
「2009年秋のシルバーウイークのどこかで一度時間を取って見てみてもらえませんか」
わたしたちは敬老の日を選んだ。彼はエルシノアで、ロンロンロンとウチにやって来た。「回転を落とすと止まりそうになるんで、気を使いました」やはり相当に不調らしい。
師匠たちから習った三大原則に沿って、チェックを始めることにする。 良い燃料調整 良い火花 良い圧縮。とても重要な原則だ。
キャブに関しては、ナオキくんにエルシノアを渡してから既に3度分解清掃をしていた。フュエルタンク内部に残っていた滓が、フロート室に滞留していたこともあったし、油面が悪くてオーバーフローしたこともあった。何が起きていても不思議ではないので、まずキャブを分解して一通り掃除してみた。それから二次空気を吸っていないかインマニの外周りにクラックが無いかチェックしたり、あわせ面を定盤の上で磨いたりした後、組み付けた。
エンジンは始動した。キャブ内部に劇的なトラブルがあったわけでもないし、その側面から見れば、わたしはまだ何もしていないわけで、エンジンがひとまず動くのは当然のことではある。ヘルメットを被り、近所をひと回りしてみた。
ふむなるほど、スロットル操作に対してエンジンの追従は鈍い。 ということは、どういうことだ??
エンジン左のカバーを外し、ポイントの掃除とギャップ調整を試みた。 フライホイールに刻印されたFマークの位置が正しいならば、これ以上申し分はないだろうというポイントギャップを設定することができたと思う。
エンジンは始動しなかった。何度スターターを蹴り飛ばしても始動しなかった。プラグをシリンダヘッドから抜いて、火花が飛んでいるかどうか確認した。目視では十分な状態だと思った。
プラグを戻して再びトライ。やはりエンジンは掛からない。
もう一度、プラグの状態を見ようとしたときにわたしは気付いた。 「ふつうなら、プラグはベットリと湿っていないとおかしいよな」キャブには異常が無いということをつい今しがた確認したばかりだからね。
燃料を吸っていない。つまり負圧が発生していない。 コンプレッションか。一次圧縮がヌケているのか。
ミッションオイルのレベルゲージを抜いてみた。レベルを確認しようと顔に近づける。ああ、ここからガソリンの臭いがする。やはりそうか、異常事態だ。
「ナオキくん、こりゃあ大変だ。今日一日で復旧させるのはムリだ」 散乱した工具を片付けてから、クルマでナオキくんを家まで送った。
今朝、彼らは自走でわが家までやってきた。そのことは奇跡に近いのではなかろうか。わたしのトコロから出たエルシノアは、わたしのトコロにやってきて、わたしの手でトドメを差された、ということになってしまった。ピストンバルブエンジンが、ミッションケースバルブになってしまっては、もはや動くはずもない。
次の日。エンジンを積み替えることにした。状態は様々だが、エルシノ庵の棚には在庫のエンジンが並ぶ。そのうちの一台はわたしのものではないから、それは積み替え候補からは除外されることになる。そうなるとすぐ使えそうなものは一基しかない。もうひとつあるにはあるが、腰上に難があったし、水没かそれに近い過酷な条件に晒されたとわかるエンジンだ。
候補のエンジンを棚から下ろした。キックが降りること、一次圧縮を感じることなどをチェックしてから、不調エルシノアの傍らまで運んだ。ナオキくんに電話をして積み替えの手伝いをお願いした。彼の到着を待つ間、キャブやら左カバーやらチェーンなどを取り外した。
どっこいしょ、でエンジンのスワップは終わった。でもまだ課題が残っている。充電用コイルがノーマルの6V配線のままだから、12Vに変更済みのパネルと入れ替える必要がある。そのために不調エンジンからフライホイールを抜こうとした。その際、手持ちのギアプーラーでは、うまくフライホイールを抜くことが出来ない感触があった。なにか破壊しそうな心持ちがしたので、エンジンをジムニーの荷室に載せて、師匠先生のところへ持っていった。
大型のギアプーラーで、あっさりとフライホイールは取り外された。黒い点の油染みでコイルとかはずいぶん汚れている。その原因はすぐにわかった。こちら側のオイルシールも抜けているのだ。注意深く観察したら、断裂している箇所があるのが見える。クランク左側のオイルシールは、外側からシールするタイプだ。貝合せ式のクランクケースを割らなくても補修できないこともない。
ポイントの接点を磨いて脱脂した電装を、スワップしたエンジンにセットした。ポイントギャップをきちんと調整した後で燃料の準備を始めた。このエンジンのオイルポンプの動作確認が出来ていない。不具合があったら焼き付いてしまう。インマニにバンジョーでセットされる2ストオイル圧送ラインを取り外して、代わりのメクラ蓋を施した。ひとまず混合ガソリンでエンジンを動作させておいて、オイルポンプの稼動状態を評価しようというわけだ。
いつものテスト用燃料タンクに40:1でアバウトに混合した燃料を注ぎ入れる。ミッションオイルの量と臭いを確認してから、メインスイッチとチョークをオンに。
数回目のキックでエンジンは動き始める。オイルの圧送ラインは半透明の乳白色だ。ポンプが正常に動くなら、やがてラインの色はオイルの色に変わり、開放されたバンジョーから出てくるはずだ。それの確認をしたい。
チョークを解除して、アイドリングを取った。オイルが出てこないことに不安を覚えた。それよりもっと不安になったのが排気煙の色だ。いくらなんでも白すぎるし多すぎる。いくら安物オイルとはいえ40:1でこの色は激しすぎるな、と煙を嗅いだ。臭いに違和感がある。不安を覚えた。
エンジンオイルは未だ吐出されていないけど、ジブンの感覚に従って一度エンジンを止めることにした。ミッションオイルの状態を確認したかったのだ。やはりそうだった、ガソリン臭を感じたし、量が減っていると思った。
ってことは、もしかして もしかしたら もしかするぞー(ヤッターマン風)
オイルポンプの動作チェックどころではなくなってしまったのだ。このエンジンも不調エンジンと同じような症状をすでに見せている。
ナオキくんと打ち合わせをした。 一次圧縮を復活させる修理をする、つまりクランクのオイルシールを新品に交換することになる、ついては完全に分解することになるのだと説明した。
さらに詳しく説明した。
水鉄砲とか注射器を想像してくれ。 空っぽの注射器に液体を吸い込ませようとするとき、 注射器の外側にヒビとか穴があったり、 注射器のシリンダとピストンに間に隙間があったら、 液体はうまく吸い込めないでしょ。
ここまではわかるかね??
エルシノアMT250エンジンは、ピストン自体が弁を兼ねているわけなのだよ。というわけで、クランクケースの密閉を再構築したいのだよ。そこで・・・
最低これだけは必要になるので、予算をつけておいてくれと頼んだ。 ベアリングやオイルシールも、全部交換するのに越したことはないけど、それはキミの気持ちの折り合い次第だ、と伝えた。
オイルシールやガスケットを手配するのに「MT250です車体番号はコレコレです、新品の部品をください」と言えば出てくることは出てくるけど、今後のことを考えると、パーツリストは手に入れるべきだと思う。現代にあっては1970年代の絶版パーツリストの複製を手に入れることは、それほど困難ではないことを、誰でも知っている。
「パーツリストも手配しておくれ」
一式が調達される前に、わたしにはやっておきたいことがあった。
練習をやっておきたい。献体はある。それは「腰上難有&水没(かも)エンジン」のことだ。分解と組み立てについて、だいたいの想像はつくけれど、練習するのに越したことはない。うまくすればタダのゴミだったものが、オーバーホール済みの腰下になるかも知れないし、もしクランク周辺が使い物にならなかったとしても、クラッチのスペアパーツを取ったり、NGのクランクをベアリング圧入用の治具として利用できるかも知れない。
ギアオイルは酷い状態だった。乳化した滓もあった。ドレンから抜けるだけを抜いて、エンジン右側のケースを取り外した。そのとき「ガチョン」とバネが弾ける音が聞こえた。どうやらキックリターンスプリングが所定の位置から外れたみたいだ。
クラッチ周辺はクリーム状のミッションオイル(だったもの)のせいで実に汚い。でも、錆びが出ているようなところもないから、どんどん洗浄してみることにする。クラッチを分解してハウジングのナットをインパクトで取る。クランクビッグエンドのナットも取る。
クランクを貝合せにしてあるネジを、インパクトドライバで緩めていく。ああ、手が痛い。