
2008年、秋。
ナオキくんからの強い要望でタイヤはキャラメル・パターンを選ぶことにした。ところが21インチのキャラメルがなかなか見つからない。YAMAHA TYZ250の標準タイヤぐらいしか国産の新品タイヤは存在しないらしい。街中走行にはちょっと柔らか過ぎるかも知れないけど、彼の運動神経を信じて丁寧に乗ってもらうことで妥協してもらうことにする。
そのナオキくんにタイヤを調達しておいてくれ、と伝えていたらオークションだかインターネットの通信販売だかで手に入れたと言ってウチに持ってきた。わたしが初心者だったころには近所のバイク屋とか街中の用品店にオーダーして店の言い値で買っていたものだから隔世の感を覚える。しかも安いし。いやはや便利な時代になったもんだ。
ナオキくんはわたしの指導のもと、タイヤ交換をスタートした。今日の彼には、タイヤ脱着とホイールの内側清掃を前後分セットでやってもらう予定だ。頑張れ。
タイヤレバーの使い方を教え、ビードストッパの意味を説明し、真鍮ブラシをバイスした電動ドリルとエアコンプレッサを準備した。これでうまくいかないわけがなかろう。そう思っていた。
ナオキくんは後輪のタイヤをホイールにセットしてエアを張った。これが3度目のトライだった。
ぷしゅう
タイヤレバー操作がチューブを傷つけていた。じつに最初によくありがちなことで、こればっかりは手先の感覚というか踏んだ場数で成功が決まる部分だったりするから、わたしは彼を咎める気持ちは毛頭ない。そもそもこのタイヤを組んだ時点で「所有者わたし・使用者ナオキ」という関係が発生しているわけで彼のホイルなんだから何度でも失敗していつか上手に出来るようになってくれたらよい、と思う次第だ。
チューブはこれまでのトライで、何箇所も亀裂が入りその箇所にコールドパッチが当てられていた。新しい傷は生々しい。
「そろそろ諦めて、チューブは新品にするかい」わたしの申し出を彼は素直に受け入れその日の作業は終わった。4.00-18のチューブはW1と同じサイズだけど、わたしだって新品をいつも在庫しているわけじゃないから。
じゃあいっそ前輪のチューブも新品に。それからチェーンも新調しようということでわたしはナオキくんに要件をメモして渡した。
数日が経過した。わたしの出先で携帯電話が鳴った。妻からだった。「ナオキくんがウチに立ち寄って、段ボールを置いて帰った」と言う。中身の想像はすぐに付いた。その頃はどうにも彼の都合の良い時間とわたしの時間の折り合いがうまくない時期だったから、わたしの留守中でもかまわないから工具を出して勝手に作業してくれてもいいよ、とは言っていた。ナオキくんも多少腰が引けていたようで、監修はぜひお願いしたいと連絡してきたので新品タイヤと掃除したホイルはこれまたしばらく放置されてしまうことになった。
2008年の年末が近付いてきた。 いくらなんでも時間を空けすぎた、と阿吽の呼吸でわたしとナオキくんは立ち上がった。パパッとタイヤを組んで、シールチェーンを取り付けた。(このときチェーンをカシめる専用工具は師匠先生に貸していただいた)
さあ乗ってみよう。
エンジンを始動する。次第に周囲はまっしろになる。
「本当にコレに乗るのか」わたしはナオキくんに確認した。
「ケムリの少ないオイルを探してきてネット通販で買ってきます」彼は力強く答えた。
ナンバープレートが無い状態で近所を試走することは出来ない。以前は出来ていたが今はもうできない。小学6年生の娘を持つ父親として、近所で顔が知れてしまっている。
「アイリちゃんのお父さんが珍走していた」と言われたなら長女だって堪ったものではあるまい。そのくらいの分別がようやくわたしにも備わった。
スケジュールを確認したら、官公庁の御用納めの日にはわたしのカラダが空いていることが分かったので、ナオキくんに住民票と三文判を用意しろ俺が登録してきてやる、と伝えた。彼が年末年始にはいろいろ遊びまわることは知っていたので、テストと称して師匠先生主催の恒例新春暴走に参加してやろうという算段があったのは内緒にしておこう。
ナンバープレートが用意できた。 これで大手を振って調整ができる。今日はナオキくんはいない。
ナンバープレートにはワックスを分厚く塗りつけてからエンジンを始動する。 しばらく暖気してからクラッチを握り、ギアをローにシフトしてクラッチミート。
よたよたとエルシノアは前進を始めた。吹けは悪い。 それでもしばらく動かしていたら、まあ走れないことはない程度の動きをする。かと思えば突然ボボボと止まってみたりする。不調である。
師匠先生と電話で会話して協議したところ、プラグギャップかガソリンコック、 このあたりに原因があるのではないかということで、ひとつずつ作業を始める。 なるほどプラグギャップを少し詰めるだけで、吹けは劇的に変わった。 でもしばらく走るとボボボと言って動きが鈍くなることがある。つまりガソリンがキャブレターにうまく流れていない状態に陥っているわけだ。
分厚い耐油ゴム手袋をはめた。タンクを車体から取り外して中身を別の容器に空ける。 それからコックを分解してみた。
燃料タンク内部のゴミがびっしりと詰まっている。 こいつはよろしくありませんぜ、いっそタンクの洗浄をきっちり見直す必要もありますぜ。走れないことは決してありませんけどね。エルシノアがそう言っているのがわかった。 明日12月30日には我が家では恒例行事で餅つきをする。わたしの主な仕事はカマドの管理と杵取りだ。つまり薪を割ったり灸べたりするのと、クールポコの臼を押さえているやつの役割をこなす必要がある。わたしの両手が調理器具そのものになるわけなので、ガソリンの臭いやら爪に黒い汚れやらを付けるわけにはいかない。 この時点でエルシノアの整備は歳をマタぐことが確定した。
餅つきにはナオキくんも遊びに来た。 塩をして黒豆を搗きこんだ餅でコシアンをくるんだのでビールを飲むのが好きだ、と彼は言う。彼との付き合いも長いな、と思った。ざっと20年来か。
このときタンク内部の状態が辛いことを彼に伝えた。 ファクトリーミルウォーキーのタンクラストリムーバを使おうかと思っていて、その廃液を再利用できる場合もあるらしいからW1S-Aに二次使用することを視野に入れているのだと圧力をかけた。そしてわたしたちはその費用をふたりで按分することにした。
太陽暦での正月休みが終わった最初のホリデイ。 わたしはコールマンのツーバーナーを組み立てた。5年くらい前にハワイ大王のKammyさんから頂戴したものだ。レギュラーガソリンを焚くこともできるやつなので、年末にエルシノアから抜いた燃料をそのまま移してやった。
とにかく大量にお湯を沸かした。 花咲爺の説明書には「中性洗剤でよく洗え」と書いてある。 「お湯で希釈した液で処理しろ」と書いてある。
説明書どおりにやってみた。
へえ。いいじゃん。
わたしが結婚する前後の頃に付き合いがあった知人が「ハナサカジジイは使えん」と言っていたからこれまで敬遠していたし、実際W3にはKREEMを使った。これほどまでに良い結果が得られるとは思っていなかった。性能が向上したのかそれとも説明書が充実したのかこの10年余のことは分からないけど、このエルシノアについては合格だ。そう確信する。
ここまで処理できたらもう不安はない筈。意気揚々とタンクを組んで燃料を通した。 エンジンをかけて近所を走ってみる。 うん。まあまあだな。 2009年の初乗りである。
と思った矢先の信号待ちで事件は起こった。 キャブからガソリンがダダ漏れだ。弱った。
エンジンを停止させギアをニュートラルにシフトした。約1kmの道のりだった。押して歩いた。道中考えていた「このキャブ、駄目なのかも」
わたしの家の納屋は「エルシノ庵」と自称しているだけのことはあって、MT250のパーツはその品質はともかくとして数だけはいったいどうするつもりなのかってくらいある。Kさんからの預かり分を除けても純正キャブがあと3個あった。全部のフロートチャンバーを確認して一番状態が良さそうな気がするやつを取り出した。
エルシノアのキャブ交換はめんどくさい。特に寒い時期にはゴム部品が硬くて固くて難儀だ。鉄板を真鍮ロウで固めてできているエアクリーナボックスとキャブを結ぶゴム部品も固いし、キャブとマニを結ぶゴムも固いもんだから、強引にやって部品を壊したら大変だし自分も怪我しそうで嫌だ。ここで仕切り直しすることに決めて作業は先送りになった。
次のホリデイ。満を持して作業を始める。今日でなんとか決着に持って行きたいものだ。
ゴム部品をキャブに固定させているバンドを緩める。それからインテークマニホールドに割り込んでいる分離給油のユニオンを抜いてからマニホールドを取った。この方法がこの時期のキャブ交換には一番安全なのではないかと思う。MT250サービスマニュアルなんか持っていないからなんとも言えないけど。
マニとエンジンはガスケットシートでシールされている。その場で型を取って新しくシートを切り出した。不調のキャブを別のものに変えて組み直す。よかった怪我しなくて済んだし部品も壊れなかった。ガスケット一枚を犠牲にするだけならこの方法を選んで正解だったんじゃないかな、なんてふうに想いを巡らせなければいけないくらいここの構造には無理がある。
キーとヘルメットを取りに屋内に戻った。はやる気持ちを抑えるのに熱いお茶を飲んでから出撃だ。
ワオ
なんだか雰囲気がぜんぜん違う。バランス良くエンジンが回っている感じ。右の太腿に伝わるパルスが気持ち良い。太いトルクでルンパンパンと後輪が地面を蹴る。それに白煙の量がそれほど気にならない。燃調が適正な状態に近いのか。
先日ガソリンをコボした交差点を通り過ぎた。最長不倒を越えたことになる。よっしゃあ。
気を良くしてヘッドライトをオン。そのまま突っ走る。どの回転域でも爆発は付いて来てくれている。電装の改造が原因の悪影響は、おそらく発生していない。
方向指示器を右に出し、幹線道路の坂道を一気に駆け上る。トンネルに入って周囲に他の車両が無いことを確認したうえでハイビームに切り替える。
わお。明るい。
緩やかなアップダウンを繰り返す道路を走った。テストとしては上出来だ。
進路を変えて丘を登る。坂の中腹あたりでエンジンを止める。止まったのと止めるというのはずいぶん違う。問題点の解消について決着を迎えたのだ。
「師匠先生。こんちは、っていうか改めまして あけましておめでとうございます」
「いやあ、そろそろ寄ってくれないもんかと思っていたところだったのよ。シマンテックの契約更新が近付いていてね・・・・」わたしの身柄は拘束された。
ドキュメントを読みながらどこで作業が挫折しているのか拝見しているわたしに師匠先生はマグカップに注いだコーヒーを渡しながら言った。
「数え年齢で今年70になっているわりにはよく頑張ってるほうだと自分では思うんだけどねえ」
干支で二回り若いわたしは苦笑いしながら「今月の26日が旧暦の正月です。だからまだ70じゃないです。ところでシマンテックですが惜しいところまで辿り着いてます。問題点はココでした」
セットアップ作業が開始され自動的な処理が続き、その間雑談に花が咲く。変な師弟関係というか相互依存というか、いやいやわたしが一方的にお世話になってることがほとんどなもんですから、いつも感謝しとります。調子の悪かったキャブの原因検証にも今度お付き合い願います。
そのときの雑談で大切なことだなと思ったことがある。仕様書だ。
今回エルシノアの電装を改造した。 何がどのようになったのか細かい箇所をナオキくんが理解できるはずはない。出かけた先でトラブルになったとき、せめてその街のバイク屋さんが読んで理解できるドキュメントくらいはきちんと作ってシートの裏にでも貼り付けておかないとマズイことになりそうな気がする。プロトタイピング手法ってのは結構なことだけど、やりっぱなしってのはねえ。
2009年1月25日、日曜日だ。わたしはMacを起動してイラストレータを立ち上げた。オリジナルの配線図は持っていないが、改造した箇所についてノーマルの姿と変更後の姿を記入していった。
よっしゃ。一丁あがり。これで一通りの懸案事項が片付いてやりたかったことが実行できたよ。さあ、あとは納車だ。はよ取りに来んかいっ。ワシが勝手に乗り回すぞ。
連絡がないってことを考えると今日は雪山にいるんだろうか。確かにオートバイには向かない寒い日だよなあ。
ああそうか今日は旧暦の大晦日だ。道理で寒い筈だねえ。