わたしが、小学4年生の頃のことでした。お向かいの家にお住まいだった高校生のお兄さんは「AT1」に乗っていました。
ある日、学校からの帰り道〜あともう少しで家に着こうかというとき、「ガォ〜ン」とわたしの前をオートバイが横切ったのでした。そのオートバイは、タンクが青と銀に塗り分けられていて、たいていのオートバイにあっては、メーカーエンブレムがある場所に、黒縁の枠どりされた黄色の文字が描かれていました。その青銀オートバイの持ち主は、「AT1」オーナーの友人らしく、わたしの家のお向かいの庭先に停められたので、今度は、よ〜く見せてもらいました。
「E・・・L・・OA ふ〜ん ヘンな名前のメーカーやなあ。エルノシアかぁ・・・かっちょいいなあ エルノシア!」
まあ 塾通いなんてしなかったガキの、英文字判別能力なんて、この程度のものでしょう。「エルシノア」というのが、正しい読み方であって、しかもそれがそのオートバイの名前であるということを認識するまでには、たしかもう1年くらい必要だったような気がします。
ちなみに、その青銀は「ホンダ エルシノアMT125」だったのでした。
実は、わたしの家の納屋には、半分ばらばらになった「ホンダ エルシノアMT250」が出番を待ってくれています。5年くらい前に修理を開始しようとしたけれどもの、わたし自身の技術・環境・人脈がそのころはまったく足りていなかったのでした。
そのエルシノアは、わたしより10歳年上の友人(以後Kさんと略記)の持ち物です。Kさんは、これを新車で買って青春時代をずっといっしょに過ごしたそうです。
何年か前のことですが、日帰り400kmツーリングにご一緒したことがありました。たしかそのときは「しんえもん:ヘリテイジソフテイル」「Kさん:エルシノア」「Hさん:Z250FS」「わたし:W1S-A」といった、ホンマにわけがわからん構成の集団で、兵庫の日本海側に行ったのでした。
その帰路で、家まであと少しってときに、エルシノアのクラッチが壊れてしまい、皆で対策に右往左往したことも、今となってはずいぶん懐かしい思い出になっております。
そして、エルシノアは走行距離8万7千kmで、わたしのところに貸与という形でやってきました。クラッチを修理してから、約1年くらい経過したころでした。
満身創痍でした。タンクはへこみ、マフラーは破れ、サイドカバーは脱落。シートの台座は腐っていて、そして最悪なことに右Fサスのインナーチューブが腐食していました。
なんとか修理をこころみようとしましたが、インナーチューブの腐れだけは、その当時どうしようもありませんでした。
再生修理をしてピカピカになったエルシノアを、Kさんのところに戻そうという計画は、そのときに凍結されてしまったのでした。
それからしばらく後に、わたしは結婚しました。娘が産まれ、仕事が忙しくなってからも心の片隅には「いつかエルシノアを・・・」といった良心の呵責がず〜っと重くのしかかっていました。