ハウスダスト・マイウエイ

Sep 14,2006

ぼんやりとテレビのニュース番組を眺めていた。

ふと気に留まったソースは、ごみ屋敷とその近隣住民との諍いだった。わたしはごみ屋敷の家主の気持ちがまったくわからないわけではない、そんな気がして眩暈を感じた。

最初はきっと本人たちも言っているとおり、資材とか財産だったりなんかしたはずで、次第にその価値が現実と乖離したのに過ぎないのではなかろうか。その背景としては暮し向きが代わったり時間が無くなったり女房が逃げたりして。

うん。わかる気がする。わたしもモノをなかなか捨てられない。業は深いものである。

ごみ屋敷といっても建物とその周辺がそうであるのに過ぎなくて、土地には結構な価値があったりするかもしれないし、その固定資産を手放すことなく維持できるほどのお金(拡大できるという意味ではなくて)なんかは、どこからか準備できていたりとか。つまり親がお金持ちってやつだ。

うん。それもわかる気がする。業は深い。監禁王子たちだって、ほぼ同じ理屈だろう。スペースが存在しているから監禁しているんだと思う。

「えっ!そんなこと常識だよ。お前知らなかったの?」って看破されそうな気がしながら本題に入ろう・・・・・。(アイリー、お前もボンボンじゃんか、と後ろゆびを指す人だっているかも知れないし)

わたしの家の納屋、通称「エルシノ庵」は梯子で登る二階がついている倉庫で、いろいろな部品をゴチャっと放り込んである。しかしこのまま未整理のままで放置しておくと、わたしにとってもいずれゴミになってしまうかも知れない。そんな危機に直面していたことは間違いない。整理整頓が下手くそな人間がモノをためこむと良いことにはならぬ。業が深いことだ。

エルシノ庵は本来納屋ゆえ、しばらく使わない生活調度品、たとえばベビーベッドとか餅つき道具とかを収納するのが必然で、そうなると集めた部品やら工具やらがエルシノ庵から少しづつ押し出されることになる。物干し場所兼W1メンテナンスピットに溢れ始め、やがて家の外周いわゆる犬走りにまで部品は並ぶように、いや散乱するようになっていた。 つまりわたしたち一家は、周囲がゴミの結界に住んでいたってことになる。

今を去ること何年か前、自宅に居てなぜだか心穏やかに過ごすことができず、落ち着かない気分が続いたある日、わたしは一念発起した。

「整理整頓するしかあるまい〜」

当時も現在も、四捨五入して40歳。残る人生でオートバイと戯れることができる時間があとなんぼあるやら想像もつかないなかで、うちにある車体の種類をこれ以上増やすことがないとして、それでも必要となる部品だけを残すことにして、あとは全部処分しよう!といった、わたしにとってまるで万里の長城を突き崩すような壮大な計画になることが、容易に想像された。

屋根付き朽ちクチ「ゴミの山」にその姿を変化しつつあるわが家を嘆きつつ、結界を解くことにする。まずは分別から始めねばなるまい。それには広いスペースに展開して、よく考えねばならぬ、ということで、ウチから2マイル西の場所にある、四人が共同で借りているガレージをまず整理することにした。

ガレージは、建築用足場を使って二階建て風味にすることにした。いわゆる単管パイプと取付け金具なるものをたくさん買ってきて、切断したりボルトオンしたり。それが仕上がると、やたらとスペースを取る冬タイヤ8本とか書類付き無しが入り混じるフレーム6本を格納するため、何度もハイエースTB2を走らせた。

タイヤとフレームから開放されたわが家の犬走りのスペースにてゴミの分別処分。ウチから2マイル北には、市のゴミ処理施設があって、土曜日の午前中は持ち込みを受け付けてくれるので、毎週末にはそこを訪れることが習慣になってきた。 On any Sundayに、わたしは翌週に出すぶんのゴミを整理して集めている格好だ。

しかし、使う使わないを判定しながらゴミを仕分けるというのは、けっこう苦痛を伴う作業だと身に染みてわかった。買うた止めた音頭を踊りながら、一度はゴミ箱に入れたオブジェクトを再び復活させてみたけれどもその二週間後には結局捨てることにしたり、捨ててしまったものがいや実は必要なものだったと後悔したりと、そんな繰り返しの無限ループ地獄。新たな結界に身を置かざるを得ない状況に甘んじていた。

さてさて、2003年の10月から始めたエルシノ庵大改修が、その三ヶ月あとの2004年1月には、わが家のいたる場所に散乱したあった工具やら部品やらが全て集結し、どこに何があるかアバウトながら把握できるレベルにまで回復してきた。

いつかは終わるさ開放されるさ脱出できるさ、そう思いながらあたかも砂を噛むような時間を過ごす日々を送った甲斐があったというものだ。

当初きちんと計画を立てて買ったはずの建築用足場が、若干余ったりしたので、ついでにそれを利用して、シーカヤック専用のラックを作った。これで庭の隅に置きっぱなしだった二隻のカヤックは、自宅東側の壁に据えられることになった。

立川談志師匠の偉大なる噺から引用する

わたしゃ火事が好きでねぇ

おやあんた酷いこと言いますね あんたの家が燃えたらどうするんだい

ばかやろう 自分ちが燃えるのは火事じゃなくって災難っていうんでぇ

災難に遭った。

「台風に伴う高潮に警戒してください」ってニュース番組で言うやつだ。普段なら対岸の火事程度にしか思わない情報が、わがガレージに降りかかってきた。高潮で貸ガレージが浸水してしまった。(俺のオートバイ Bohemian Rhapsody vol.1をご参照ください)

わたしの自宅は岡山県の沿岸部にある。あの夜のわが家は、迫る海水になんとか耐えていた。あとでわかったことだが、犬走りにまで海が来ていた。台風シーズンが到来するその前に、散乱していたわたしの宝物(妻にはゴミ)たちを片付けておいてよかったとつくづく思った。それにシーカヤック。以前のままの保管方法だと、どこかに旅立ってしまっていたかも知れない。野良カヌーとして。

ガレージで浸水してしまったW1S-Aとシルクロードのために、かなり整理できていた工具が再び散開して一時的にエラいことになったが、この時は業の深さを嘆くことなく、いったん作った道順を辿って、整理整頓に成功した。

洪水があるたびナイル川流域には肥沃な土地がもたらされるとは聞くが、ウチの庭の場合は海水が覆ってしまったから、大変なことになった。地面に植えてあった野菜やら花やらは萎れ果て、困ったもんだと思っていたら、雑草だけがすぐに生え乱れてきて、わたしと妻はアタマを抱えた。

俺のオートバイW1S-Aを海水浴させた台風16号から数日後に来た台風18号。今度はこいつが、わたしのご先祖さまたちに災難をもたらした。亡くなってしまっている人たちに災いを降りかけるとは、なんと業の深いことなんだろう。

父とその先代たちは、わが家を見下ろすことができる丘に眠っている。あの日は、台風の雨で、そこの地盤が崩落したのだ。

正確には、父達はなんとか持ち堪えていた。お隣りは見事と言っては失礼ながら、流れていた。土砂の中に大小様々な御影石と、くすんだ色の壷が散乱していたことを憶えている。父達は、足元が少しづつ掬われていた。もしも、あと一日余分に台風が滞留していたなら、崩れ落ちていたかも知れなかった。

「除草剤を使っていないのはウチくらいのもんじゃけど、草が無くなると地面が保たないからなあ」

生前の父はそんなことを、草刈りのたびにいつも笑って言っていたものだが、あの雑草があるかないかで、ここまで違うとは思わなかった。父とジェフ・ポーカロの遺した教訓を守って、雑草は絶やさずに刈ることにしていて良かった。

草刈りといっても、わたしの幼少期とは違ってたいしたことではない。鎌じゃなくてツーサイクルの草刈機がうちにはある。たかだか20平方メートルなら半時間も頑張ればキレイになる。

あの年は、それからも何度か長雨が繰り返された。

わたしはオートバイのことはいったん忘れ、災難から辛うじて逃れたわが家と、災難に遭った庭について考えていた。

ウチは特にカーポートは作っていない。車は雨ざらしだ。TB2とグレイハウンドとオカンのカローラの3台を並べた残りのスペースで、花の種を播いたり野菜の苗を植え付けたりしてあるスペースが、のべ20坪くらいある。

オカンや妻がその菜園で園芸を楽しんでいる。わたしはそれを指して、意地でもガーデニングとは言わないことにしている。

「この機会に土壌改良しようか・・・。」

わたしが呟いたこの発言が、新たなカルマの呼び水となることに、あの日のわたしはまだ、気付いてはいなかった。

時は忍び足で心を横切るよ
何か話しかけてくれないか

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