立川談志師匠いわく、「落語は業の肯定」
人間とは、いかに業の深い生き物であるか。立川流家元の談志落語は、登場人物の業を、これでもかこれでもかと暴き出して描いていく。人間がどれだけだらしないか。えげつないか。わたしはそうしたメッセージが込められている立川流落語に、心酔しているひとりなのである。
ふと(業ってなんだろう)と思った。考えても漫然としてイメージができない。そこで本棚から国語辞典を取り出した。
要旨を抜粋してみよう。
ごう【業】<名>(1)[仏教](a)のちの世で報いを受ける、善悪のおこない。(b)前の世のおこないによって、この世で受ける報い。(2)人の力ではどうすることもできない欲望。「人間の-」
ふむ。そうか。
わたくしアイリーも、まるで談志落語の与太郎や大工熊五郎よろしく、呑んじゃいけないのに呑んじゃう、寝ちゃあいけないときに寝てしまう、拾っちゃいけないものを家に持って帰ったりしてしまう、その挙句妻にまた怒られてしまう。それから得意技は問題の先送り、というまったく始末の悪い因業な人間だ。
じゃあそんな弱い部分をいったんぜんぶ自分で肯定しておいて、その業を乗り越えるのにもがき苦しむその姿を、離れたところから傍観してしまおうっていう了見でこのコラムを書いてみることにしよう。
嗚呼。そんな感じで口上を記述しなけりゃ駄文も書けない、自分の業(カルマ)の情なさかな。
笑っちゃう カルマの止め方も知らない
40年も生きてきたのにね(四捨五入済)