どうして、あなたは自分とこのバイクを、わざわざEJと呼ぶのですか という内容のものすごい剣幕のメールをいただくことがある。
それでは解説しよう。 ( ← ヤッターマン風 )
娘がまだ妻の胎内にいたころのことである。
どんな名前にしようかと わたしは真剣に悩んだものだった。
その候補には、ゴンザレス・ギルバート・キャサリンなどがあった。
産まれるまで性別についてはあえて教えてもらわないことにしていたが、胎教には名前を呼びかけるといい などということを、どこかからか聞いてきたので、とりあえず仮名をゴンザレスとした。
そのころの影響もあってか娘は 生後半年くらいまでは「ゴンちゃん〜」と呼ぶと反応があったものだ。
やがてわたしたちは 娘を授かった。
さすがに「ゴン」だとマズイことにはうすうす気づいていたので、わたしはとにかく考えた考えた考えた。
そして、パトワ語(patois)で ごきげんだぜぇ のことをIrieと表現するのを思い出した。
イリエではない。アイリーなのである。
語感については満足なのだが、カタカナ表記はどうかということで、あとは 仏恥義理・夜露死苦などの例に沿って漢字をあてはめた。
おかげさまで、カリブの島々の上にあるスッコーンとぬけたような「どピーカンの青空」のごとく、天然系の娘にすくすくと成長している。
自分とこのバイクをわざわざEJと呼ぶのは、娘をゴンと呼べなくなってしまった理由と少し似ているかも知れない。
娘が産まれた平成8年の頃はまだまだ平和な時期だった。
そのころのわが家では、ダブルといえば昭和46年式W1S-Aのことだった。
やがて養子の650RSがやってきてややこしくなってしまったので、エスエーあるいはスリーと呼び分けることにした。
さらに妻のオートバイが納車されてしまったので、さらにややこしくなった。
旧ダブル・新ダブルと区分することには、わたしは絶対に妥協できなかったし、だぶるろっぴゃくごじゅうと発声するのも、寿限無みたいに舌を噛みそうなので、わたしはとにかく考えた考えた考えた。
そして車検証を3台分並べて比較したときに「形式 : EJ650A」 と表記されているのを発見したときには、安堵したものだ。
これで、
「ちょっとお父ちゃん!洗濯もの干すのに邪魔だからダブルをどけてよ〜」
「どのダブルなんや〜」
といったプチ夫婦喧嘩を回避できる。
ともかくエスエー・スリー・イージェーと明確かつ短い発声で識別できるのは、わが家にとってドラスティックな発見であった。
これ以降、わが家ではEJという呼称が定着した。そのついでにサイト上でも明確に書き分けるようにした。長い話だったが、ただそれだけのことである。
ここからは余談である。
何年か前には、カワサキEX−4という400cc2気筒車が、おそらくヨーロッパ仕様のボアダウン版として国内発売されていた。おそらく最近の川崎重工では、パラレルツイン車の製品コードは頭文字に「E」がつけられるのだろう。
ちなみに昔(30年くらい前)の車両コードでは、「K」=500cc 「W」=650cc 「H」=750ccを表意するものだったそうだ。勝手に推察すると「Z」ってのは900ccのことだったかも知れない。たぶんきっとそうだ。ただ国内販売用Z1を「Z2」としたあたりでメーカーとしてのコード体系変更があったのだろう。ちなみに1976年にZ2D(Z750F)が発表されたとき、Z750Tという名車も世に出た。その車両コードをわたしが知らないのでこのへんがよけいにややこしいが、当時の雑誌でプレリリースされた記事には「スクープ!650RSに続くカワサキのビッグツインW4がついにベールを脱いだ」というのがあったことをわたしは知っている。
750RS(Z2)/Z750F人気の陰に隠れてしまった感もあるが、このZ750Tというのは、おもしろいコンセプトの名車だった。タダで譲ってもらえるなら、なんとか妻を説得してもいいと今でも思うくらい、手に入れたいオートバイだったりする。
日本国内では販売が打ち切られてしまったあとでもアメリカでは継続して何年も販売されたという、偉大なるツアラーだった。グラマラスな車体にDOHC2気筒という構成は、もしかすると異端だったのかも知れないが、13歳だったわたしの好きなオートバイだった。
このオートバイについては、ジローさんが詳しい。
まあしかしそこまでやるんだったらゼファーもZ750Fに車名変更しないといけないという理由でボツにしたんだろうか。
さらに余談ではあるが、Z650Fという名車もあった。
( 拙サイトコンテンツの95%は余談だが )
その愛称がザッパー。英語での意味は憶えていないが、岡山南部の方言では「ザッパー=アバウトな性格」という意味を持つ。そのせいでなんだか笑ってしまった記憶がある。
それならばフランク・ザッパはどうなるんだというツッコミは禁止しておこう。そしてザッパーのエンジンは今でもゼファー750の基礎設計として生きていることは周知の事実だ。
やっぱし余談で、もしかするとダブワンの世界よりもはるかに狭い正規輸入トライアンフの世界で実際にあったエピソードをひとつ。
あるところで、全バラ後に組み立てを開始したばかりのボンネビルがあったそうだ。
ばらばらのオートバイをある二人組の男が、すぐに買い取りたいと申し入れたところ、完成車両しか売らないから2ヶ月待てということになり、その期日に未登録のままで何処かに買われていったそうだ。やがてその男たちは雑誌やメーカーパンフレットに開発武勇伝を掲載し・・・
それならどうしてT650という愛称にしてくれなかったの〜。もしそうだったならわたしの琴線には引っかからなかったかも知れないのに〜。T***という車名は、やっぱりスズキをイメージさせるためにボツにしたのだろうか。
ま、どんな登録商標にしようがメーカー内政策の自由なんだから、わたしらがとやかくいってもしょうがないんで、エピソードをもうひとつ
第一次世界大戦の頃、フランス軍が植民地を得るべく侵攻してきたのを受けたエチオピアは、国王ハイレセラシエI世が陣頭指揮にあたり、果敢にもフランス軍を退けたという史実がある。
そのニュースにいたく感銘をうけた和菓子屋「大正堂」当主がその武勇を語り伝えるため、店自慢の黒糖饅頭に 「エチオピア饅頭」と命名したそうだ。
ということは、EJの相性に「W」という記号を与えたのは、メグロが企画して川崎航空機が結実させたところのダブワン系の栄誉を称えているのかという解釈もできるが、それは考えすぎだろう。
「エチオピア饅頭」とは
このまんじゅうは、食べて軽くてうまいし、そして安いし軽いので、剣山スーパー林道全走破ツーリングのお土産によく重宝したものだ。 この店は 日本のキングストン高知県高知市(←おいおい)から東に30分弱の 野市〈のいち〉という場所にある。
ちなみに 画像は、借り物DT125L/C+ジェリ缶積載というフル装備での剣山林道スペシャルステージを終えてリエゾン区間に入ったところのもので、わたしは赤ジャケットを着ている。
まんじゅうの能書きを読みながら、憧れのジャマイカへの想いを馳せつつ「Greetings!In the name of highest creatuer Jah Rastafari〜」とばかり、渋めのお茶でキメていた(ここでは食するの意)学生時代の写真である。