ずいぶん昔からのことですが「カワサキがW1を再発するという噂」が突然持ちあがっては、いつしか立ち消えになるということをわたしたちは何度も何度も経験しました。
ただその話題がもちあがるそのたびに、ダブワンバカのわたしは、そりゃムリだぜぇあの音がノーマルでだせなきゃダブワンとは呼べないぜぇ〜、と当然のことのように考えていました。なにしろあの音量と音質を再現したところで、現行の基準では絶対に運輸省の認可をクリアできないはずですから。
これは事実として有名な話題ですが、計算されつくした狙い撃ちの結果としてW1S〜W1S-A初期マフラーがアノ有名な音を奏でたのです。やがて規制の影響で、W1S-A後期以降のダブワンにはミュート(消音-あたりまえか)された仕様のものに変更されたという逸話も残っています。
そんなある日に、またぞろその噂を耳にしました。
ちっ、またかよ
一笑に附していたわたしでしたが、ご近所に住む友人「しんえもん」が言いました。
「どこぞでのモーターショーでついに発表になっとったのぉ〜。」
彼のおかげで 別冊MC・クラブマンをはじめとする大判の雑誌を一切 買わない(モトメンテを除く)で済んでいるわたしですが、我が家の庭先での立ち話を止めて速攻で彼の家に押しかけました。
なんじゃこりゃ〜。(がっかり)
「サンダーバード」の色に 「ドカ450」風のメカを加えた「ボンネビル」のような写真が掲載されていたことに驚愕したのを、今でも明瞭に憶えています。
しばらく経ってこのオートバイの国内発売が決定したころに冷静になって考えてみると、以下のロジックを発見しました!!
わたしの思惑が的中しているかどうかの不安を抱きながら、試乗会に行くことにしました。1999年の3月上旬のことです。わたしはW1S-Aのタンデムシートに妻を乗せてARK店に乗り込みました。やがて手続きを済ませて走り始めた妻に、わたしはW1S-Aで伴走することにして、彼女とその新しいオートバイの挙動に注目しました。
OKです。ナイスです。予感はドンピシャリ(← ほぼ死語)でした。
妻は大変気に入っています。当然、妻が乗ります。(試乗車は、青銀ローハンドル・TT100装着車でした)
ほどほどの車格に、ほどほどの動力性能と、ほどほどの制動能力を備えたオートバイならば、きっと妻でも安全に乗ることができるでしょう。(←あくまでも乗りこなすことができるということではないです)
もはや、まったく悩むことなく 青銀アップを買っちゃうことにしました。
1967年のころのW1といえば日本車では最大排気量・最高性能を謳ったフラッグシップモデルだったそうで、外貨獲得のために開発された、という話を聞いたことがあります。1$=360円だったころの話ですが。
それと単純に比較しても仕方ないですが(← だったら書くな〜)、675ccの排気量というのは四半世紀を過ぎた現在にあって、もはやミドルネイキッドの範疇になっていますが、楽しく使える50psは性能もマーケティングも「理詰め」で作ってみましたということを垣間見たというのが、わたしの率直な第一印象でした。
ダブワン系が販売されていた1970年頃には、当時の理想ハイテクの「鉄腕アトム」は磁場の影響を受けにくい真空管3本で制御されてたわけだし、バビルの塔のコンピュータでさえ磁気テープと穿孔テープで動いていたわけです。こんなふうにマイクロチップで制御されたバーチカルツインがこの世紀末に発表されたことも、まあこれはこれでいいんじゃないでしょうかと素直に受け止めながら、試乗を終えることにしました。
この新しいオートバイを買おうと決めたのは、養子「W3-A」が縁組みされる僅か2ヶ月前のことだったりしたのでした・・・。