『外見は悲惨だけど、中身は思っている程は朽ちていないよなあ・・・』
俺のオートバイ〜W1S-A修理緊急ドナーとして、暫く借りていた左キャブフロート室を、もとに戻しながら思った。
それは、つい先月のことだった。
最後にメインスイッチがオフにされた日から いったいどのくらいの時間が経っているのだろうか。
ただ、その日から少なくとも8年は経過していることは、うすうす知っていたりする。
ふと思いつきで、指先を唾液で湿らせて車体を何箇所か撫でてみた。ここのガレージには電源も水道もない。少々汚ないがやむを得ない。
内燃機の外観は 少々粉が白く吹きだしていた。ある程度の範囲ならば、自分の作業次第でどうにでもなることは経験上わかる。留意すべきは、フレームあるいはホイール・泥除けなどの損傷程度を把握することだ。
前後のタイヤ・ホイールの手当てについては、実際にナンバーを再取得する直前でも構わないと思う。プライオリティは当然後回しとなるだろう。
ホコリにまみれているせいでだとは思うが、本来油脂で湿っているように見えるところには それはなく、乾いているべきところには 逆にオイル染みができている。W3-Aも1年ちょっと前にはこんな状態だった。もはや今となっては、どんな状態であったかということなど、あまり思い出せない。
「W3-A〜彼のオートバイ号」がある日突然もたらされるまで、SM-3もW1ファイルも、ざっと斜め読みをしていたのに過ぎなかったので、慌てて一応精読した。本で得ただけの知識がどれだけ役にたつのかはわからなかったが、とにかくできるだけ理解しようと努めた。
しかし、ひとむかし前のPC取り扱い説明書にも相通ずる構成のSM-3と、W1Sまでのモデルについてはやたらと内容が濃いW1ファイルを読んだという程度では、どうにもならなかっただろう、と当時を振り返って思う。
事実、W1クレージーズさんたちがリプロされている部品について、その役割さえ知らないものもたくさんあったということは、言うまでもない。
ただその時は、なかなか経験できないタイプの、嬉しいパニックに陥っていたように記憶している。
拙サイトがまだ立ち上げて間もない「Wに乗ろう」というタイトルだったころのことである。
「Wに乗ろう」立ち上げのきっかけとなった事件は別のところで書いたが、じつは理由はもうひとつだけあった。
「俺にでも、できるかも知れない・・・WEBサイト」
ということにそのころ気づいてしまった。
予想外に行為そのものは簡単だった。
あとは、W1S-A:1971年式 排気量624cc 馬力は53psで・・・
などと、内容の充実を図っていけば完成だと思っていた。
がしかし、そういったことは出版物「W1ファイル」に書いてあるし、いわゆるオートバイ雑誌にあっても、忘れた頃に企画される懐古コラムの中には性能表が添えられていることも多いものだ。そんな中で「Wに乗ろう」は、その後の方向性について迷っていた。
やがて、WEB上で「風俗刑事」さんと知り合った。その豊富なキャリアに裏付けられた深淵な知識を惜しみなくわけていただくことになった。
そして、やはりweb上で「な・がんぼ」君とも出会い、強くインスパイアを受けた。彼はハタチのころから 自分でバラしては整備を仕上げていると言う。嫉妬にも似た羨望を感じたことを思い出す。
「ジ・ブ・ン・デ・ヤ・ル」
この甘美な文言を知らないわけではなかった。でも実行できなかった。それは雲を掴むようなことのような気がしていたしそれは事実でもあった。
「ジ・ブ・ン・デ・オ・ヤ・リ・ナ・サ・イ」
「オッキクナッタラデキルヨウニナルヨ」
あれ?! これはちょうど娘に対して、彼女の自我が芽生え始めたあのころに、親としての立場で言っていた言葉そのものではないか。
子供への躾は、じつは愚親自身を反省せしめ、かつ止揚するきっかけとなったと言えるだろう。
「俺にでも、できるかも知れない・・・ダブルワン・・・」
心機一転、まもなくサイト名を『進行性W病』と改めることにした。そして W3-Aの手探りレストアを日記形式でメインコンテンツに据えた。
WorldWideWebの荒波に乗り出すにあたって、エエカッコしても仕方がないので、ありのままを曝け出すことにした。
やがて 多くの方から 熱いアドバイスや激励を頂くようになった。そのヨロコビを前進エネルギーの糧にした。
心の葛藤とメッセージは ハナウタのかたちでコンテンツのタイトルにした。自分のなかで、盛り上がってきた。
そして おおさかお笑いエンスージアストインテリゲンチャの皆様をお迎えするようになったのは それからしばらくあとのことになるのはご存知のとおりである。
トップモデルは、観衆に見られることで鍛えられるという。
webサイトもまた然りだろうと思う。その影響で、管理者は去年よりも少しだけ強くなった。
共同で使わせて貰っている貸しガレージには、EJを置いている。EJの隣には『師匠N津さん』のFJ、そしてその傍らに『誰のオートバイ』と3台並んでいる。
シルクに乗って、EJを取りにいくのがいつものパターンだ。シャッターをあけるその度、『誰のオートバイ』が目にはいる。そして、こうした環境になって一年が経過したことになるが、その光景に対峙するときの心情が少しずつだが変化してきているのは確かである。
『おまえさんも、動きたいよなあ・・・』
そんなふうに眺めては思う、感傷的な時期もあった。その感情をなだめることができるほどの暇はなかった。
もっとも知識も腕もお金も無かったわけではあるのだが。
今 W3-Aの修理が一段落しようとしている。しかし 一度踏み入れた修行の道には終わりはないような気がする。とにかく次のステップに進もう。
近いうちに、『俺のオートバイ=W1S-A』をガレージに置いて、『誰のオートバイ』をウチの物干し場に連れて行こうと思っている。ひとまず洗車してやって、これからのことを考えるのも また面白い。
「ヒトリコロスモフタリコロスモイッショノコトダ」
おれは犯罪者のような気持ちになっているのかもしれない。このダブワンも大切な一台であることには変わりない。