わたしは昭和39年生まれ。節分が明けた今日、ついに後厄が終わったことになる。それではさっそく、氏神様に御札を納めたりして、願をほどくことにしよう。甲府ぃ〜。
って、今朝の夜明けを見て、ようやく後厄が済んだと自分で思い込んでいたとしても、じつは何ぞの悪い輩に騙されていて、実際には、まだ2月の2日あたりだったりなんかしてね。「やったぞぉ。厄があけたぞぉ。」なんてウカれて踊っていたら、実はまだ後厄が続いていて、ばっさりヤラれたりなんかするかも知れない。人生なかなか油断できない。
慎むべし。
東直己著「ライト・グッドバイ」を読んでいた。
その物語のクライマックスあたり。おやおや、ここにも例の文言が登場している。もしかして近頃、流行っているのかな。それとも何かの導きで、わたしの意識にその言葉が飛び込もうとしているのか。そんなことを、なんとなく思った。
例の、と断ったのは、つい最近読んだ別の本、いとうせいこう著「自己流ベランダ園芸術」の中で、前後の文脈からその意味を類推することが立ち行かなくなった文言もこれだった。自分の語彙の不足を嘆きながら、ちょうど辞書を引いたばかりだった。それと、そのすぐ後に読んだ、島田雅彦・しりあがり寿共著「一度死んでみますか?」でも、その文言が活字になっていたのだ。たまたまだと思うが、この短い期間にここまでたて続くと、ちょっと不気味だ。
メメント・モリ
Webで調べてみた。死を想う、とか死を知る、などの意味で使われる言葉らしい。難しい。ううむ、42歳の今日まで、こんな概念を知らなかった、自分の不明を恥じる。
余談になるが、Webに散りばめられたナレッジによると、どうも今から10年くらい前に、ミスターチルドレン「花〜メメントモリ」というヒット曲があったという。こうした余計な情報も、検索サイトではキーワードに引っかかってくる。わたしは歌謡曲に興味がない。その曲を知らなかったことを恥じることもない。ただ、わたしより20歳ぐらい若いヤツらのアタマの中に「メメント・モリ」という文言が、すでにセットされていた、という事実に対して、自分の不幸を呪う!ことになってしまったのは極めて残念である。
そのヒット曲のおかげで、なんだか消化不良気味になっている。いつか県立図書館に出かけて自分が納得できるところまで調べてみよう、と思った。そのヒット曲を聴くことは、たぶん無いだろうけど。
拙サイト「進行性ダブル病」は、1999年4月、親しい友人をバイク事故で失った直後、その野辺送りをした夜に始めた(進行性W病 縁起由来)。
それから2006年11月には、思い出深い友達「朝ちゃん」が、長い闘病を終えて、逝ってしまった(短距離ライダーの憂鬱 / 送って憂鬱)。
そしてその二週間あと、幼馴染みの兄が急病で亡くなった。その葬儀には、7年前にバイク事故で亡くなった友人のご両親も参列なさっていた。だからよけいに泣けて泣けて、もうどうしようもなかった。
泣いても泣いてもどうしようもない。
東京で暮らす学生時代からの友人に、朝ちゃんの逝去を電子メールで伝えたとき、彼女がわたしにくれた言葉があった。
「大切な人が亡くなると、ツラくて泣きそうになるけど、亡くなった人はもっと辛かったと思うから泣くのをこらえます。健康が一番よね。」
辛くて沈んでいたわたしは、泣くのをこらえることにした。アタマの中がぐちゃぐちゃで、心すさむ夜には、バランス感覚のよい聡明な誰かに、なにか方向性を示してもらえるのなら、ずいぶん楽になることが多い。
後厄は、次はお前だ、と言わんばかりに、じわりじわりと、わたしのカラダだけではなくココロまで締めつけていたのだろうと思う。
そしてついに後厄をなんとか越したわたしは、メメント・モリについて考えている。
「オリコン・ヒットチャートで『千の風になって』がトップになりました。クラシック歌手では初の快挙です。」
そういった情報が、テレビのニュース番組で伝えられた。歌謡曲には疎くて、ちっとも興味が無いわたしにでさえも、そのとき一度流されたこの歌が、アタマの中に居場所を作ってしまった。そしてぐるぐる回り始める。
泣かないでください、って言われても、やっぱりどうしても涙が止まらない。
以来、メメント・モリが口をつくのだ。
続く