幼少の頃から本を読むことは、苦痛でなかったほうだったと思う。 ただ、昆虫図鑑の類だけは例外で、どうしても苦手だった。どうしてそのように感じるようになったのか、その最初は、まったくもって不明なのだけど、わたしは蜘蛛がだめなのだ。だから昆虫図鑑を正視できないのだ。
わたしの生家の風呂やトイレは、土壁に裸電球だった。五右衛門風呂と汲み取り式便所。 日が暮れてから用を足しに行く。 扉をあけると、彼の気配を感じて目をやる、と目が会った、という気がしたものだ。そうなってしまうと、足すつもりだった用事を済ませることなんて、もちろんできなかった。土壁と裸電球それからその壁に張り付いている蜘蛛がビビッドにアウフヘーベンされている姿は、なんとも恐ろしい。なにしろ、8本でも怖いのに、光源が影を作り、恐怖が二乗されているのだ。ひええ。
タタミの上を走ると音がする。バラバラバラ。 小学生の頃に可愛がっていた銀トラの猫は、ネズミを捕まえると、そのご褒美をねだるのに、噛み殺したネズミを見せびらかしに来たものだった。捕まえたものは何でも持ってくる。彼女は、クモさんを咥えて、わたしに見せびらかした。ひええ。ネコから逃げるわたし。
クモさんにも、いろいろな種類があるのだろうな、きっと、と思う。 興味がないってことでもないけど、事典やら図鑑を見るのが辛い。WEBサイトで検索することもない。だから、バラバラ走ったり土壁に張り付いたりする彼の名前は、知らない。生涯調べる予定はない。
タランチュラとスパイダーの違いも知らん。べつに教えてくれなくてもよい。
タラバ蟹にアブラ蟹、花咲蟹なんかも怖い。正視できない。あのヤドカリの仲間たちには、かつて魚介類図鑑を見ようとしたときに、ヤラれた。ひええ。 もちろん、足を一本一本にバラしたならば食材として何の問題もないのだが、生簀やら水族館では避けて通ることになっている。そんなことを言いながら、ずわいがにとかワタリガニなんかは、ひとつも怖くない。なぜだろう。不思議だ。
高知県だか愛媛県の話題なのだかはっきりと覚えていないが、ある季節になるとNHKのローカルニュース・トピックで、女郎蜘蛛の相撲が取り上げられることがある。すぐにわたしはテレビの前から逃げる。うぎゃあ。
かつての職場の上司に、鳥が嫌いだ、という人がいた。オウムだのインコの類が、特にだめなのだ、と言っていたが、さぞ普段の生活に支障があるのだろうな、と思ったことがあった。テレビ見ながら晩酌なんて、きっと恐ろしくてできないだろう。食事時には、ゴキブリやらクモなんかはテレビに映らないように配慮されているだろうけど、鳥なんかは普通に出てくるもの。
いつ付いたのか不明のわたしのモノゴコロだが、42年目にして、クモに対する恐怖が少し変化した。
一昨年あたり(つまりアフター・タイフーンだ)からマイ・ブームになっているのが、ハボタンの栽培。葉牡丹は、英語名がフラワーケール。ケールってのは、いわゆる青汁の主原料にあたる。 もしかしたら食べて美味しいかも知れないそのハボタンの姿は、キャベツの巻き込みが無いものだと思っていただいたらよい。でも、キャベツが畑で育てられる様子をご存知ない人には説明が不足気味になるが、その点はご容赦願いたい。
キャベツの仲間であるということは、キャベツの害虫たちが、わたしのハボタンを食害にさらすため、よそからやってくる。かんべんしてほしいところだ。
♪ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽いたら 桜にとまれ♪
モンシロチョウの幼虫、こいつが、にわかハボタニストのわたしにとっては、最大の敵なのである。
農薬で駆除することだってできるかも知れないけれど、ただいま2歳の末娘が、薬漬けの土やら葉っぱを口に入れたりするおそれがあるから今のところ、使うわけにはいかない。そこで、いわゆる青虫を地道に発見しては、葉から引きはがすしか、わたしには手立てが無い。
葉牡丹の種は、岡山だと7月の中頃に蒔くと良いらしい。土を入れた箱を用意して、適当にバラまく。一週間もすれば双葉が出る。お盆があけて、本葉が見え始めると、今年もわが闘争が始まる。
ウチの庭にある常葉の椿に、クマゼミの抜け殻がぽつぽつと見つかる夏。樹の根元には、蝉が掘った穴がいくつもあって、自然が身近でいいなあと思う。その椿の枝には、蜘蛛が小さな巣を作り始める。黄色と黒の縞模様がよく目立つ、ほかにもミドリとかオレンジの部位があるような気がするけどじっと観察できないから、わたしには正しく特徴をお知らせできないクモさん、しかも失礼ながらその正しい名前を知らないクモさんたちが、今年も何匹か頑張っている。
わたしは葉牡丹の苗を作る。箱からひょろひょろの苗を適当に間引く。日当たりの良い場所に箱を置いてから、その周囲の地面に、長さが1mほどの棒を10本ほど叩き込む。ゴキブリは怖いがクモは怖くないというツワモノの妻に頼んで、ツバキにいるクモさんたちの強制引越をしてもらった。これで陰陽師よろしくモンシロチョウの侵入を拒む結界を張った。よしんば幼虫がサナギになり成虫が飛び立とうとしても、脱出することは困難だろう。にやり。
風が涼しく感じるようになると、葉牡丹の茎も太くなり、葉が繁る。それにつれてクモさんも少し大きくなる。どんなふうにして大きくなるんだろう。少し気になるけど、調べることはない。教えてくれなくても良い。そういや、あのバラバラ走る茶色のクモさんは脱皮する。それくらいのことはわたしでも知っている。いつも大掃除のたびに戦慄することになっているのだ。ひい。
台風とか大雨のたびに、クモさんたちは大丈夫かな、なんて心配するくらい、戦友たちにシンパシーを感じるようになってきた。そうなってくると、接近できないせいで苗の手入れができない、というジレンマから抜け出すことができた。無視というか、存在が気にならなくなった。地面にしゃがんで、どんどん枯れていく下葉を掻き取る。ナンボかは害虫どもの食害を被っているけど、昨年みたいにグダグダにはなっていない。彼らのおかげだ。
クモさんにも強敵がいるみたいだ。鳥に狙われるのか、それとも共食いでもするのか、身体のサイズが大きくなるにつれ、個体数は減っている。せめて最低気温が10度を下回るころぐらいまでは頑張って欲しいものだ。そんなことを願っていたある土曜日の昼下がり、庭で娘たちと遊んでいた時のことである。わたしの知らないオバさんが原付をウチの庭先に停めるや、ずかずかとクモさんたちの結界に突進していった。わたしの制止にも意に介さず、大事なクモの巣がなんとも無残な姿に。オバさんは結界の少し奥、地面に据えてある水道の検針器に用事があったようだ。このくそぼけ。クレームに傾ける耳は無い人みたいだったし、難儀よのう。
「クモ飼ってます。ご注意」どこかでそんな看板を見たことがあったなあ、そんなことを考えながら、プレートを作ってみた。効果ありますや如何に。
寒くなってきた。個体数はどんどん減って、かなりデカいのが二匹、西と東に陣取っているだけとなった。メスだけ残るように共食いでもするのか、はたまた雌雄同体でさまざまな段取りの結果、巣を張っているのはこの二匹だけと決まったのか、何匹かは越冬するのに地面に潜ったのか、それはわからない。生態について調べる気力は湧かない。もちろん教えてくれなくて良い。
12月。師走になった。2006年の冬は暖冬らしい。たしかにそれほど寒くないように感じる。お正月を彩るだけの葉牡丹が、おおむね仕上がった。この頃になると毎朝クモさんの安否を確認することも日課となっていたが、特にデカいほうのクモさんの尻になるのか腹になるのか、もちろん調べないし教えてもらうこともない器官が、しゅっと小さくなってしまっていた。昨日までパンパンに太っていたように記憶しているのだが、もちろん接近して凝視したわけではないので、間違いかもしれない。観察が正しいものだったなら、どこかに来年ぶんの卵を仕込んでから、また巣に戻ったんだろう。そんなふうに思った。間違っているかも知れないけど、中世以前の天動説と同じレベルでも、わたしは一向に構わない。
どこに卵が隠されてあるのかその生態を調べることもできないけれど、うっかり駆除してしまわないことを願うしかあるまい。いやいや、きっと自然発生してくれるんだよな。来年もよろしく頼むよ、チミぃ。
石屋が仁王様を彫ったが動かすことができません。
ある日、偉い和尚さんが来て、お経を唱えると、石屋の心が伝わったのか、仁王様は動いたそうな。
丸亀四宮石材
続く