=その7=

May 29, 2007

ひとり酒をすることが、ごくたまにだけど、ある。

酔っているあいだじゅう、きっと眠りにつくそのときまで、わたしはぼんやりぐるぐるいろんなことに想いを巡らせる。わたしは自分と遊んでいる、というわけだ。

立川談志師匠が言うところの、ヨタローだ。与太郎。

師匠曰く、観客なんて誰もいないところで独り遊びに興じているのがヨタロー。

おもいめぐったものは、いつだってぼんやりしている。それにとりとめがない。だから、すぐに消えてしまう。全部憶えておくなんて、とてもできやしない。 中途半端な記憶だけが残る。昨夜のひとり遊びが愉快だったから、その記憶を遡ってみたいと思うことがあっても、まったく時間の無駄になる。もしかしたらすでに、まだらボケが始まっているのかも知れない。それなら名実ともに与太郎だ。

そこであるとき、なんとか繋ぎとめて置くことはできないか、と考えた。いや消えてしまうから面白いのかも知れない。そんなふうにも思った。

試しに、小さめのメモ手帳を買ってみた。

わたしのことだからきっとそうなるんじゃないかなと予想したとおり、出先の店に置き忘れて帰ってしまった。

きっと中身は読まれているのに違いない。自己嫌悪。

象形文字は解読できないのに違いない。自己嫌悪。

そう簡単には忘れ物にならないもの、たとえばノートパソコンにでもアタマに浮かんだことを直接叩きこめるなら、すぐネタに展開できて便利かも知れない。でも置き忘れないかわりに、酔ったあげく酒をこぼしたり床に落としてしまうのが目に見えている。それから、起動を待つ間に思考が消えることも考えられる。

そこでわたしは閃いた。携帯電話を使うことにしたのだ。

わたしの携帯電話には、100バイトの文章を、10件保存できるメモ機能がある。多少乱暴に扱ってもいいし、いつも身に付ける習慣がついたから、泥酔していても紛失した、ということもない。それから常時、電源が入っているのもありがたい。 漢字変換がいささかプアだけど、1980年台後半の日本語ワードプロセッサを知っている世代としては、我慢できないほどのことでもない。

入力については、難があるけど。

あらら。

この上の段落を作文しているとき、記憶のもやもやした断片に何か引っかかるモノがあった。わたしはその心当たりを求めて、自宅書庫に入って文庫本を何冊かめくった。

見つけた。「言葉を捨てた人たちの便利機能満載機種」というタイトルのコラムだ。そうそう、これを探そうとしていたんだ。

片岡義男さんの「ノートブックに誘惑された(初版:平成四年)」に収録されてあるもので、その当時でも、やや古くさい日本語ワープロ専用機、オアシス・ライトを使って短いエッセイを書くときのことを、こまごまと記したエッセイだ。

そのコラムでは、60行の記憶容量がいっぱいになると、感熱紙にかたっぱしから印刷したのだ、とある。

うふふ。現代にいるわたしは、自分の携帯電話に入力したメモが、容量を超えそうになると、メール本文にコピー&ペーストしてから自宅のマックに転送、つまりメールを送っているのだ。うふふ。

ああ、わたしは平成19年の世にいて、当時の片岡義男式作文法を、手軽に携帯電話で実現できているんだ。そう思うことにしたら、ものすごく高揚感がある。 内容には、とてつもなく差があるけど。わたしのものは単に駄文だし、買ってもらえるレベルでもない。売文目的でない。もしそうなると著作権問題でずいぶんややこしいことになる。だから売る予定もなければ、アファリエイトにも参加しない。

わたしが読み返した片岡氏のコラム「言葉を捨てた人たちの便利機能満載機種」の、おしまいの段落ふたつは、出色だと思う。

『言葉というものに関して、いまの日本は相当にきわどいところまで来てしまった、と作者は直感している』というセンテンスで締められている。

こうしてわたしは、白魚のような右手ひとさし指で、DoCoMo Mova P252iS(古い)を爪弾くようにして、独りで酔っている間の思考を残すようになった。

酒を飲みながら、視線と指先に集中するなら、すぐに酔いが回る。身体にも財布にも良い。結構なことだ。

もはやいまさらそんなことができるもんか、と長い間避けて通っていたのが、携帯電話に文字を入力する行為だったが、次第に慣れてきた。なんぼかボケ防止になってるかもしれない。パブロフの犬よろしく、なんとかしようと思って取り組めばなんとかなるものだ。ただ、気になることがある。どうやら入力している間ずっと、唸り声をあげているらしい。文章をつぶやいている様子だ、と妻が言う。しまった、これでは秘密事項など打ち込めないではないか。

もっと訓練が必要だ。

マックを起動して、メールソフトThunderBirdを立ち上げる。

迷惑メールが次々と受信されては弾きとばされる。それから自分に宛てた携帯メールを見つけて、その内容を読む。まるで迷惑メールそのもの。

自己嫌悪。

たとえば・・・

ボクもいつか死ぬときが来るんだよなあ、とそんなことを思ったら、死ぬ瞬間に何を思うか、ということに興味が出てきた。死にたくない、と思うのかな。 もしも死にに行く人になら、いい思い出だけにはなりたくはない。 そういいながらも手を振って、六月の雨の嵐が出来上がる。

うーん。自分に迷惑メールを送ってどうする。困ったもんだ。酩酊しているときの戯言など繋ぎ止めなかったほうがよかったか。通信パケット代も、ずいぶん浪費してしまうし。

こうして自分宛ての駄文メールにお金を費やしつづけることはどうかということで、いろいろ考える必要に迫られることになった。

わたしが使っている携帯電話はドコモの古いやつだけど、miniSDカードなる記憶メディアが使えるみたいだ。どれ、ひとつ試してみよう。

携帯電話のメモリーから「メモ」データを適当に選んで、カードにコピーした。それをパソコンにセットして、読み込みができるかどうかチェックするのだ。

OSがWIN2000のパソコンで見ると、わたしが知らない拡張子が付いていて、秀丸とか各種テキストエディタで開いてみたけれど、日本人いや少なくとも一般の人間が判読することはないような記号がずらずらと並んでいた。

ケータイで作ったデータは、電話会社の通信回線を介さなければ、パソコンには展開させないかんね。課金課金っ。そんなことなんだろう。

その日の試行錯誤は、ここまでに留めることにした。いくらわたしとて、無尽蔵にヒマがあるわけではない。

このコラムから見たら裏番組にあたる「短距離ライダーの憂鬱」関連の作業で、エンジンの塗色を剥離していた。剥離剤なる、鼻を通る臭いも皮膚に触れたときの刺激も、とても強い薬剤でペイントを剥がしていたわけだ。じつはこの作業、指の指紋が擦り減るのだ。だから汁椀など、じつに持ち難い。食事時に滑って、なんとも不便だ。

ある朝わたしは、持ち手の無いグラスに、砂糖たっぷりのカフェオレを淹れてから、Macに向かった。

ざっと用事を片付けて、一息いれようとしたそのときである。わたしの左手から、グラスが滑り落ちた。キーボードの左部分は、白から茶褐色に変わった。

すぐに開始した分解清掃の甲斐無く、キーボードは再起不能となった。 手元にあったWIN用のUSBキーボードで当座を凌ぐことを試みたが、いろいろ不便である。困ったもんだ。

価格の面で折り合いがつくMac用USBキーボードは存在しないものかと、Webオークションをブラウズすることにした。

ありゃ。妙なモノがヒットしたぞ。

リュウドRBK-100。ドコモのmova専用外付けキーボード。

わっ。そんなものが世の中に存在していたのか。なんてことだ。自分の無知を呪う。

Macのことをそっちのけにして、新たに知ったハードウエアについて調査開始だ。

なんだと。mova専用のものは、すでに生産は完了しているだと。

じゃあ現状のFOMAではどうなの?

なにを。諸事情のため開発製造の予定は無いだと。

ニッチな商品のデッドストックを抱えていそうな店を何件か回ってみた。残念なことにRBK-100はどこにも見つからなかった。ただ、神様が徒労をねぎらってくださったみたいで、副産物というか、「逆」本末転倒というか、初期型iMacタンジェリンのキーボードが400円で売られているのを見つけた。

このジャンクがわたしのものになったことは言うまでもない。

RBK-100欲しいな、どうしても欲しいな。

キズだらけでいいから2,000円くらいで手に入らないかな。

「代理落札してやってくれませんか」

100円スタートの物件を見つけたわたしは、オークションのヘビィユーザーでもあるところの、師匠先生に泣きついていた。

どうやら価値に対するわたしの認識は甘かったようで、値段相場は4,000円前後にある様子だ。何件も連続して競り負けるのを繰り返した。

負け続けている中で、新品未使用だというRBK-100が出品されたのを見つけた。

「8,000円でも9,000円でも払います。師匠先生お願いします」

同じ頃、vMessageChangerというフリーウエアの存在を知った。ケータイのメールやらメモデータを、パソコンで直接読み取ることができるようにコンバートしてくれるものらしい。

どれ、試してみよう。わたしはOSがWIN2000のパソコンを起動して、おそるおそるネットワークに接続した。なにも悪いことが起きなければ良いなあと願いながら、vMessageChangerをダウンロードして、インストールした。

携帯電話のメモ機能で作ったデータをパソコンに取り込んでみよう。

お。いいね。うまいこと変換できている。

これは便利だ。マイクロソフト・アウトルックが起動してくるのが厄介だけど。

RBK-100は、標準希望小売価格が\9,800だったらしい。いろいろなwebサイトにそうしたことが書かれていた。

師匠先生から連絡があった。

「5千円台後半の金額で、落札できたよ」

思惑より安く手に入った。新品だから、なお嬉しい。

DoCoMo Mova P252iSに結合したら、起動時間をほとんど意識しなくてもよい、ちょっとした日本語ワードプロセッサになる。電池で駆動するから、どこででも使うことができる。

これはいいぞ。

こんなに小さいものの中に、生涯書くことのないような文字まで準備されている。片手にさえ余る端末機に、ちょっと前なら(といっても10年以上昔だが)変換学習機能と大々的に呼ばれたようなスペックが、当たり前のように装備されてある。すごいね。

片岡が言っているとおり、やはり日本語は相当にきわどいところまで来ているんだろうなと、わたしも思った。そのように感じさせる性能が、このテキストをエディットする道具には、ある。

わたしの旧式携帯電話は、本文が500バイトまでのメール機能がある。何件保存できるのかは知らない。なにしろ説明書を読まないもので。

説明書を読む習慣のある人間なら、メモ機能ではなく、最初からメール機能を使って文章を綴っていたことだろう。ひとつのファイルについて単純に5倍の差があることを以前のわたしは知らなかった。メモ機能について妻にレクチャーをぶったとき、妻の指摘でわたしは啓蒙されたのだった。反撃された、というほうが正確かも知れない。

RBK-100を使う。

宛先をわざと空欄にしてあるメールが、何件も溜まっていく。これは、自分宛てという意味合いも持つ。

なにしろ、キーボードRBK-100のおかげで、飛躍的に入力速度が向上しているからまるで歯科矯正でラジオが受信できちゃう人みたいに、ふとアタマに浮かんでは消える何かを、かたっぱしからとっ捕まえている。そんな文章をいきなり人様にメールできるわけもない。

その中には妄想、と一般に広く知られる類のもので、ココロに居座るツワモノもある。そいつらには、ケータイに叩き込んだから、とアタマから消え去れと祈ることにしている。

わたしの旧型携帯電話にある「宛先の無い未送信メール」のデータは、一括してminiSDカードに転送する。連続して、携帯電話本体のメモリから未送信メールを一括削除する。

miniSDカードのデータの中にある駄文や妄想は、vMessageChangerでコンバートされ、パソコン上で、いつか省みられたり編集されたりする日を待つことになる。

こうしてわたしの携帯電話は、何日かに一回の割合で浄化されて、拙サイトの駄文の度合いを高めるという役割を担う。

駄文の素になるネタが、こうして累々と吐き出される。

ひとつのファイルは漢字かな混じり文で、最大250文字にも及ぶ。400字詰め原稿用紙を考えるなら、結構な情報量だ。

捨てればゴミ。分ければ資源。「これは資材なのだ」いくらそのように言い張ったとしても、客観的に見て整理されているものでない以上、やはりゴミ屋敷はゴミそのものだ。そのようにわたしは断言する。

ボクノアタマガ、ゴミヤシキ。

鬱々と独り遊びで思いめぐらせたこと、悩んだこと、そういったものを集めて整理して掃きだす。脳内ゴミ屋敷がケータイのメモリを介して消えるそのとき、わたしは排泄の気持ち良さに近い感覚を痛快に感じるのだ。

あの妄想から開放されたら、余った時間で身の回りの整理を考えてみたり、オートバイに取り組むことにしよう。

その妄想とて、きちんと再編集できたならじゅうぶんサイトのネタになる。実際、このコラムがそうだ。これからは泥酔してさえいなければ、ネタを捕まえておくことができる。嬉しい。

与太郎は、嬉しい。

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