メニューをスキップ


=その6=

Jun 11, 2003

困ったなあ。

ある日を境に、8500/120改-G3が起動しなくなった。どうやらハードディスクの寿命かと思われる壊れ具合のようだ。ほんとに困っていた。

「アイリーさん マック要りますかー?」

YASUZOUくんからメールが届いた。

なんでも、不要なマックを持っている知人からG3-233のマックをあげるワと言われたもんで、てっきり初代iMacが貰えるもんだと思い込んで取りに行ったら、デンとPowerPC233DT本体とキーボードを渡されてしまったっていうことだった。マックはあんまし得意ではないし利用することも考えられない。でもいきなり処分するのもどうかということで、わたしに連絡を寄越してくれた。ありがたいことだ。

便を作って香川県に出かけた。

ガイドブックのTOP20に挙げられなくても、そして万人向けでなくても、わたしが旨いと思う讃岐うどん屋はたくさんある。まずはその店で腹ごしらえをして、YASUZOU宅に向けてグレイハウンドジムニーを走らせた。

その途中でもう一軒うどん店に立ち寄り、粉を5キロほど入手した。

YASUZOU宅に上がりこんで、珈琲を頂く。そしてベージュのマックを貰った。ついでにW1S-Aの部品を物色略取してやれ〜とも計画していたけれども、部屋の整頓ぐあいが新婚家庭がそうさせる特有のものなのか、オートバイの臭いがまったくしない。ガサ入れをするわけにもいかないのでそれについてはあきらめた。

マックのついでにYASUZOU君ちでも余分になっていたDOS/V用ジャンクメモリを、彼はくれた。そういえば、わが家にも何個か不要なメモリがある。規格がうまく合えば、このPowerPCに使うことができるかも知れない。

家に戻ってからメモリを適当に集めてみると、形が似ているものが何個か存在していた。注意深くチェックするとピンの数が違うものが一個あったので、それを取り除いたうえで、どの組み合わせだとメモリが最大になるかひたすら試した。192MBで認識する組み合わせがあるのを見つけた。上等上等。わたしにはこれで充分だ。

初めてLC630のロジックボードを引き抜いて二個イチにしたときには、おっかなびっくりの作業だった記憶があるが、今となってはなんだか懐かしい。それから8500/120にメモリを増設したときには、非常に緊張した。いくつもネジを緩めてから筐体を開いて、ピンを抜いたりネジを取り外したりしてなんとかロジックボードを剥き出しにしたとき、これがきちんともう一回動くのかいな、と不安だったものだ。あのときと比べたら、このG3-233DTなんて楽勝楽勝。なにしろ工具なしでメモリの追加ができるとは思っていなかったもんで違う意味で驚いたわたしだった。

YASUZOU君から引き渡されたときに、スピーカが死んでいることを聞かされていたので、起動音がしないことは知っていた。少し寂しいがしかたがない。そこで起動音を鳴らす仕組みがダメなのかサウンド系の仕組みがダメなのか知りたかったので、そこいらに転がっていたCDをトレイに載せてみた。

とほほほほ CDを認識していない。音楽CDだからダメなんかも知れないと思ったので、普段娘がLC630に突っ込んで遊んでいるおもちゃソフトウエアCDと入れ替えてみたけれどやはりダメ。まったくもって残念な話である。

ここでもしやHDDに障害を抱えた8500/120とCDを認識しないG3-233DTとを2個イチにすることはできないもんかしら、と一応考えた。それぞれの筐体を開いて、CDドライブを抜き取ってみることにした。残念なことにコネクタの形状がまったく違う。余計なことを考えるのは止めにしよう。

この貰い物マックは、中身が初期化されていた。ということは、CDドライブについては初期化する寸前まで存命だったのかも知れんなあと思いながら、プロトコルやらメールアドレスの設定をする。8500/120が起動しなくなってしまった今となっては、Mac用NC4.7あるいはMac用IE5.0を早いところセットアップして、進行性ダブル病の動作チェック専用マシンとして頑張ってもらおうと決めた。

インターネットと記されてあるエイリアスをダブルクリックした。なんだか見慣れないデザインでメニューが動きはじめた。見るとInternetExploler4と書いている。わたしが無知であることは全くわたしの勝手というか不徳の至りなのだが、マック用のIE4なるものがこの世に存在していたことを知らなかったので少し驚いた。

ずいぶん以前のことになるが、Lynxからオペラまでどんなブラウザでも見ていただけるようするつもりで、わたしは拙サイトを整備したことがあった。そのとき動作確認で使ったMac用IEでもっともレガシーだったのが4.5。NC4x系の場合もかなりCSS実装上のバグがひどいもんだなあと思ったけれど、それと比べてもひと味違うバグを抱えていたブラウザがIE4.5だった。地雷を踏まないようにレイアウトの最大公約数を、よ〜く考えて考えて考えて考えて、よくやく現在の進行性ダブル病スタイルが整ったのが2002年の3月頃だった。もちろんこのスタイルを変更するつもりは無い。めんどくさいから。

さあG3-233DTに搭載されてあるIE4.0のホームページを拙サイトに設定した。トップページはNN3.0で出せる程度には表示されているようだ。適当にジャンプしてみよう。

ちゅどーん

いきなり地雷を踏んだ。予想だにしなかった事態だ。わたしのサイトが極悪劣悪史上最悪のひどい状態で表示されている。本文の全てが、約3cm幅のなかに凝縮されて縦に長〜く割り付けられている。テキスト系サイトの進行性ダブル病にあっては致命的な現象だ。一行がだいたい6文字で改行され続けている・・・・。

頭痛がした。こんなどうしようもないブラウザが、わたしのなかでは最新鋭に近いマックに搭載されているなんて信じられない。信じられないがきっとマックの世界では常識なんだろう。ダブワンでは時折ポイントを脱脂したり、焼け具合摩滅具合を考えて進角の狂いを調整するのと同じくらいに。

いつ頃の仕様まで、この恐るべきブラウザが使われていたのか、いずれ師匠たちに聞いてみようと思うが、願わくばもう既に世の中から完全に抹殺されたものであって欲しい。そんなことを考えていた。しかしせっかくこんな遺物を手に入れたのに、いきなり上書きしては勿体無いんでIE系はそのまま放置することにした。

ネットスケープのダウンロードを始めた。Mac版IE4.0に対応して進行性を修理する気力なんて、もちろん湧かなかった。

転職後、わたしは物理的には忙しい日々を送りながらも、働くことに関しては以前と比べてずいぶんと心穏やかに過ごすことができる環境に身を置くことになった。ただ新たなストレスを抱えることにもなった。妻子と過ごすことのできる時間が減った。包丁を持つ時間が減った。WEBにアクセスしている時間も減った。もはやそれはしかたないこととして受け止めるか、それをやはり諦めることはできないと、あらためて別の仕事を探そうかという、新しい葛藤が生まれているのは確かなことだ。

深夜に自宅に戻ると、まずPCの電源を入れ、立ち上がるのを待つ間に着替えるというのがいつもの行動になる。そのときはたしか3日振りか、と思いながら着替えていた。次々と受信されてくるメールに眼をやると、拙サイト内コラム「素浪な武士にしてくれ」を上梓したとき、激励してくださった大勢のゲストさんのうちのおひとかたからメールが届いていた。

東京でエルシノアに乗るデザイナーさん。ハンドルネーム「エイコウノライダー」さんからだ。

「突然ですが、うちのオフィスでPOWER MAC G4/400(グラファイト)が余っておりまして、オークションにでもだすかね?といわれております。スペック的には現行と比べるとかなり落ちますが、もし有効利用できるようでしたらと思いまして・・・。」

うわ。有効利用できるようでしたら、どころの話ではない。わたしにとっては現行モデルと言っても差し支えない世代の機械だ。

やがて何度かメールをやり取りするうちに、わたしがお支払いする金額が決まった。支払いはいつでも良いですよ、と言って貰ってはいたけれど、意地でも借金は作りたくない。慶弔の出費が妙に多い時期だったが、やりくりすればなんとかなる額だった。ありがたい話だ。

わたしは妻に言った。

「マックを激安で譲ってもらうことになったで〜。」

やがてお金の用意ができたので、ありがたいありがたいとさっそく入金した。しっかし忙しい。ビジネスホテルと現場との往復だけを繰り替えす日々が続いた。へろへろと4日ぶりに家に戻ったところ、怪しげな段ボールの包みが玄関の脇にあった。

妻はわたしの食事を温めていた。わたしはその側で、梱包をナイフで丁寧に切り開いていった。

筐体の色を見て、妻の支度をする手が止まった。妻にはこれをいくらで譲ってもらったのか伝えてあったが、妻がイメージしていた中古マックとはずいぶん違ったものだったようだ。

透明の樹脂部品がボディを包み込んでいるマック、家電量販店の店頭に並んでいるのとほとんど同じデザインを見て、それが現代のものだと誤認識するのもしかたないことかもしれない。

わたしがどこの場所にこいつを設置するか考えているうち、夕食の用意ができたようだ。あくる朝には胸焼けを起させる午後11時の食事である。行儀は悪いが、発砲酒を飲みながら同梱されてあったマックの取り扱い説明書などを、ぱらぱらと繰っていたとき、はらりと封筒が床に落ちた。拾い上げて中を見たら、2000年の9月に秋葉原の大型ショップでエイコウノライダーさんが購入なさったときの保証書が入っていた。わたしにあって、2万円を超える買い物のなかでは一番新しいもの、それがこのグラファイトということになる。

食事を済ませた。全身をべっとりと包む倦怠感をなんとかやりすごし、わたしはマックの設置を始めることにした。設置といってもご存知の通り、適当に配線を所定の位置に差し込むだけの簡単な作業だった。とりあえずパワーボタンを押す・・・・・・・・。

うわ。

ジャガーだ。OS10.2で起動開始している。禁断の世界に突入したわたしだった。そのまま一気に、Safariベータ2のダウンロードへと突き進む。そして拙「進行性W病」を見る。

ぐはっ。

いててててて。どうやら改修が必要みたいだ。サファリで意図したとおりブラウズできていないなんて、どう考えてもまずい。それからネットスケープ7もダウンロード。こっちは大丈夫のようだ。

ジャガーだ。ジャガーだ。。。。

マウスを持ったまま眠っていたらしい。続きは明日にしよう。

翌朝。

娘は、死んだように眠りこけるわたしたち両親を叩き起こそうとする試みにはすっかり飽きて、ひとり牛乳でも飲むかと階下に降りたらしい。そこで見覚えの無いパーソナル・コンピュータを見つけたようだ。ロゴを見て、それがマックであることはすぐに分かった、と本人が後で言っていた。

普段なら娘のオモチャとしてそこにあるLC630の場所に、でんとグラファイトが鎮座してあったもんだから、娘はこれが自分専用のものだと思い込んだらしい。しかしパワーボタンがどこにあるのか判らなかったので、娘は再び気絶状態のわたしを、なんとか覚醒させようとがんばったみたいだ。

起動しているときの画面があきらかに違っていることに気付いた娘は、これってホントにマック?! などとぬかしている様子が、ぼけ〜っと霞がかかっている頭に届いた。そうそうこれはマッキントッシュなのだよ。

娘が5歳になってすぐのクリスマスと、6歳の誕生日に、Win-Macどっちでも動くソフトウエアを買い与えたことがある。FLASHベースで幼児向けに作った、動く絵本のようなものだ。かなり楽しんでくれているのは、親としては幸いなことだと思う。娘はCDをセットしようとしている。ずいぶんとなんでも自分でできるようになったもんだなと思いながら、まあ壊れたりはしないだろうと娘の挙動をくわえタバコで見ていた。

うお。

ディスプレイの中でMacOS9.2が動き始めた。これがClassicってやつか。ふーん、勉強になるなあ。そういうことなのか。

その幼児ソフトがいったん起動してしまえば、あとは放っておけばよかろう。世の中は2003年のゴールデンウィークに突入している。天気も良い。この時期にオートバイに触れる気力さえ起こらないなんて情けないことだよなあ。

ぼんやりとキッチンでコーヒーを淹れて飲んだ。新聞に目を落とす。阪神が快調らしい。1999年7の月にハルマゲドンが阪神タイガースだけに降臨したことで、われわれはこうして生き長らえているというのは有名な話だが、5月の15日に何かが降ってくるらしい・・・・という活字が続いて目に入った。あわてて何日か前に買ったスポーツ新聞の記事を探してセ・リーグの対戦予定表を見ると、その日には試合は予定されていないことを知り、すっかり安堵したわたしだったのは言うまでもない。

「おとーさん。こっちのCDは動かないー!」

二枚しかない自分専用ソフトのうちのもう一方をセットして認識させたまでは良かったけれど、今度は起動しない様子だった。やれやれ。対応OS:漢字TALK7.5〜というこのCDは、どうやらジャガーでは動作してくれないらしい。このCDが動くようにするには、おそらくOS9じゃないとだめだ。きっとデュアル・ブートできるに違いないぞと、わたしはでたらめに色々な起動方法を試してみた。マニュアルがないから、かなり奮闘したけれど、よくわからん。

時刻もお昼の少し前。エイコウのライダーさんに連絡を取ってみることを思いついた。メールで質問するよりも、携帯電話を使おう。

「ちゃんと届きましたか。きちんと動きましたか。良かった良かった・・・。」

電波が途切れた。しばらくしてわたしの携帯電話に着信があった。

「今ボクは、箱根にいます。72ミーティングです。山の中だから電波が悪いんでしょうね。」

いいなあ。バイクか。世の中では昨日あたりからゴールデンウィークか。やはりGWはバイクだよなあ。

うらやましがることもほどほどに、わたしはグラファイトのお礼と、OS9系の起動について尋ねてみることにした。聞けばなるほど、そういうことなのか。丁寧なアドバイスに感謝しながら携帯電話を置いた。

教わったとおりに、操作した。あまり詳しいわけではないけど、見慣れた画面で起動しようとしている。わたしの記憶が定着するようにと、すぐにジャガーで再起動。それから再び9.2で起動する。何回か繰り返してみたところで、わたしの脳みそにあってもさすがにもう憶えただろうということで、娘所有のCDをトレイに載せる。当然ながら動く。これでまた当分のあいだ、娘はひとりで遊び始める。

眠い。スパナを握ろうかという気力さえ湧かない。以前だったら時間さえあればしょっちゅうそうしていたのに。みんなこうしてオートバイから離れていってしまったんだろうかなとソファーでぐずぐずと考えているうち、やはり眠っていた。というのが、今度は妻に目覚めるように促されたから、寝ていたことに気付いた。

「さあ 掃除をしよ〜!」妻は気合いたっぷりで張り切っていた。

共働きで生活しているから、本当にしかたのないことだが、どちらかと言えば、などと断るまでもなく、わが家は散らかっている。GWには来客もあるだろうし、6月には父の13回忌もあるから、わたしたちの休日のうち、日中はすべて掃除に宛てないことにはとてもじゃないけど法事には間に合わないだろう、と3月のうちぐらいから妻に言い渡されていたのだった。だから今年のゴールデンウィークにバイクに乗って出かけることは、最初から計画していなかった。

その日曜日が終わり、職場の休日カレンダでは、月曜が出勤、火曜日は祝日だから休日、それから金曜日が特別休日で土日月と続けて4連休を迎えるはずだった。その連休のうち3日もあれば、じゅうぶん法事に耐えることができる程度には片付くに違いない、と踏んでいた。

甘かった。

結論を先に書くと、4連休の予定だった最後の日にあたる月曜日だけが休日となった。その間、一度も自宅に戻ることもなく完全な徹夜開けのまま翌日の夜を迎えたり、朝8時にホテルを出て午前4時に布団にもぐりこむ日が続いた。タイムテーブルだけで考えると、これがもしオートバイに乗ってのことだったら、オール下道で日本一周することさえ可能ではなかったかと思う。

さながら時化で不漁にあえぐマグロ漁船のような職場に拘束されていたわたしの心の状態は、すっかり初夏を迎えた青空を見て、どんよりと萎えていた。ぐったりしているわたしを見かねた妻が、今日一日は何をしても良い、と言ってくれたけれど、心も身体も疲れ果てている。もったいないことだが、心も身体も動かない。

MacOS 9.2を立ち上げ、CDのアイコンをゴミ箱にドロップしては、もう一枚のソフトに差し替えている娘の姿を、ふと認識した。その2枚のソフトは、音源の録音レベルが多少違うらしく、ヴォリューム・フェーダーを表示させてからマウスを使って操作していることにわたしは気が付いた。いったい誰が教えたんだろう。小学一年生ともなったら、側で見ていて勝手に憶えるものなのかも知れない。わたしが小学一年生の時といえば、ラジオ付きカセットテープレコーダが一般家庭に普及しはじめた頃だったし、わたしのW1S-Aが初期登録された頃でもある。本当に世の中は変わったもんだ。

5月になってから、曜日と日付の感覚がなかった。自分が生きているのか死んでいるのか、正気なのかそうでないのか、ということさえ曖昧だった。新聞を読んで初めて今日が「5月5日・こどもの日」だということに気付いた。外は快晴だったから、娘と妻といっしょに車で20分の場所にある水族館に出かけることにした。体力的にも、これが精一杯だった。

次の休日は、いったいいつになるんだろう。ダブルとマックをゆっくり触る時間は、いつになったら作ることができるのだろう。On Any Sunday… その言葉が浮かんだときには、なんだかものすごく悲しくなった。忙しさに紛れて、心穏やかなふりをしているだけのわたしが悲しくなった。

それから半月が経った。やはり日曜日の朝だった。娘はグラファイトで遊んでいる。ブラウザを立ち上げっぱなしで、CD起動のフラッシュプレイヤ系ソフトで遊んでいる。ふと見ると、どうやらファインダーでの切り替えを覚えたらしくて、自分の気分に応じて、切り替えたりしている様子である。手に入れたばかりのマックは、もうすっかりわたしのものではなくなってしまっているようだ。

しかし今のうちはまあ、それもよかろう。そのうちに彼女からアップル・ファインダーを取り返したる。

その日が来るのはそんなに遠い先のことでもないと思うことにして、図書館で貸りてきた「すぐにわかる系のMacOS10.2ガイドブック」を通勤電車の中で眺めている。すぐにわかる系書籍にしてはUNIXの記事にページを多く割いてあって、なかなか読み応えがあるので何度か降車駅を乗り過ごしてしまった。もちろん寝過ごしたのが原因だ。毎日毎日同じあたりを開いては、次の新しい企画についてまとまらない考えをあれこれと巡らせている。

そして、わたしのマック師匠連に新しくエントリしてくださった、曳航のライダーさんに、感謝することしきりなのである。

↑先頭へ


進行性W病 www.w1-3.com 1999-2012
i_irie@po.harenet.ne.jp